重金属製の女④

「本部より各員、神尾市吉澤にて199発生。特捜案件の疑いもある。現場に急行せよ」

 上山が車内の気まずさに耐えかねていたそのとき、警察の通信が二人の頭に届く。199とは刑法にまつわる符丁で、殺人事件を示す。続き、地図データが視界に送信されてくる。奇しくも、吉澤は現在地から五分ほどの距離にある。

「09より本部、装備A2で向かう」岩嵜は瞬時に秘匿通信で応答する。

「09了解」

「さて、上山、おまえはどうするんだ?わたしは行くが」

「行きますよ。少尉のパートナーですから。ですが、次に無茶をする時はおれにも言ってください」

「ああ、善処しよう」岩嵜は不敵に笑った。

 現場は上山の想像以上に騒然としており、神尾市警察署の巡査らが逃げ惑う市民を誘導していた。

「状況は?」

 岩嵜は車を降り、一人の警察官を捕まえる。若い警官は防護服を着用した女を、怪訝な顔で窺う。岩嵜は舌打ちしながらIDを懐から取り出した。

「し、失礼しました。暴走老人とおぼしき個体が、須藤組事務所に押し入り、構成員数名を殺害した模様で、現状も事務所内から数度発砲音が確認されています」

「了解した。引き続き、市民の避難誘導を頼む」岩嵜は手短に確認を済ませ、スタンナックルをはめた手首を回す。

「09より本部。現着げんちゃくした。容疑者は吉澤の須藤組事務所に立てこもっている模様。このまま増援を待てば市民を巻き込む可能性が高い。突入の可否を問う」

 しばらくの静寂ののち、通信のチャンネルが開く。

「09了解、突入を許可する」

「わりとすんなり許可が出ましたね」通信内容を聞いていた上山が軽口を叩く。

 ふん、と岩嵜が鼻で笑う。

「市民が死んでも公務員が死んでも責任問題だからな。お上の勘定には、PMCとヤクザは数に入っていないということだ――準備は出来ているか?」



 ドアを蹴破り、Mx6を左右に向けて周囲の安全を確保する。電気は消えて、人影はない。先導役ポイントマンである岩嵜が前方警戒しながら進んでいく。

 神尾市警察署のデータベースよりダウンロードした資料によると、須藤組事務所は三階建となっており、岩嵜は一階フロアからの突入を決定した。警察側の増援を考慮すると、一階フロアの安全圏確保は絶対だった。

 しかし、岩嵜の想像とは裏腹に、一階フロアでの戦闘は一切発生しなかった。血液と硝煙の匂いがわずかに鼻孔をついた。

「少尉」上山が床に落ちていたマカロフ拳銃に気付く。

 銃口を鼻に近づけながら、「発砲から間もない。9mmでは止められなかったか……?」

「粗悪な銃に練度の低い射手。命中したかどうかも疑わしい」そう呟く岩嵜の視界の右端に、血を流して倒れている構成員が入ってくる。Mx6を向けるが生体反応がない。近づいて確認するが、やはり死んでいる。須藤組の構成員だろうか。アロハシャツの首元は夥しい量の出血で赤く染まっていた。下顎は消失し、そのまま喉を抉られている。切断されたというにはあまりに雑な切り口だった。後ろからついてきた上山が遺体を確認し、静かに呻く。

「死体には触れるな」上山は脈を確認しようと伸ばした手を引いた。トラップへの警戒か。上山は己の油断を自ら戒めた。

 ――ぱららららっ。

 階段を登りきったあと、フルオート小銃の発砲音が静寂を切り裂いた。

「どこの組のもんだ」

 ドスの利いた声が事務所内に響く。声が聞こえた方角と、銃弾の射角によると発声者は2階フロアではなく、吹き抜けとなった3階フロアにいるようだった。岩嵜は、側にいる上山にしかわからないほどの溜息をついた。

「警察だ。武器を捨てて投降しろ。拘束はさせてもらうが、命までは奪わない」

「投降だぁ? おれらは被害者だぜ。いきなりジジイが乗り込んできたんだ。ウチの若い衆も何人かやられてる」岩嵜の眉がぴくっと動く。

「わかってる。そのジジイはどこだ」

「ここにいる」

「引き渡せ。悪いようにはしない――」

 岩嵜が言い終わる前に、床や机に弾丸が降り注ぐ。

「後日配送してやるよ。着払いでな」

「交渉決裂ということか」警察に踏み込まれて後ろ暗いことがあるらしい。岩嵜はそう判断した。

 岩嵜が防護服から鏡を取り出し、状況を確認する。どうやら、男は吹き抜けの3階から小銃の銃口だけを覗かせてこちらを狙っているようだった。階段側からはうまく身を隠している。向かって右奥には3階に繋がる階段があるが、悠長に登っていけば、小銃の餌食となる。その前に、階上の小銃を止める必要があった。

「どう攻める?」上山の脳に、秘匿通信で岩嵜の声が届く。

「3階に窓がある。増援を待って挟撃しましょう」

「時間はかけられない。BMIのデータが破損するおそれがある」岩嵜の脳裏には、先日の出来事がよぎっていた。暴走老人は手足に45口径を喰らっても活動を停止しなかった。今、活動を停止しているとすれば頭蓋の破壊を行った可能性が高い。データのサルベージが時間との戦いであることは、上山も理解していた。

「少尉には、何か考えがあるのでは?」

「そうだな」岩嵜は首肯する。ブラックホークのローディングゲートを開き、45口径特殊装甲弾を排莢する。そしてポケットの中から、さきほどとは色が違う弾丸を新たに装填し、シリンダーを回す。

「わたしが何故リボルバーを使っているかが知りたいんだったな」撃鉄を起こす。カチッという金属音が鳴り、弾倉が止まる。

「今から教えてやろう。合図を待って五秒だけフルオートで援護しろ」

 上山に一方的に命令を下し、岩嵜は階段とは逆側に位置するデスクの残骸に飛び移る。その後を追いかけるように、小銃の弾が着弾していく。

「“ホークアイ”を起動する」

 上山の頭の中に、岩嵜の凛とした声が静かに響いた。

「上山、撃て!!」

 合図と共に、上山は階上の柱をフルオートで打つ。コンクリートの欠片が霧のように捲き上る。突然の反抗に、階上の男は完全に壁に隠れてしまった。岩嵜の角度からでも階上の男を撃つことはできないだろう。彼は撃ちながら、岩嵜の方に視線をやる。真っ直ぐに伸ばした右肘を、左手で支えながら射撃姿勢をとっている。そして、彼女は引鉄を引いた。

 奥の梁に当たったのか、金属音が鳴る。

 やはり、外した!!上山の動揺をよそに、岩嵜は叫ぶ。

「着弾した。走れ!!」

 わけもわからずに言われるがまま、射撃体勢を維持しつつ階段を駆け上がる。その先に飛び込んできたのは、右手の甲から血を流して倒れている構成員だった。小銃は手から離れている。「手を頭の後ろで組め!!」小銃を蹴飛ばして、叫ぶ。Mx6の銃口を男に向けながら、上山はさきほどの不可解な現象を振り返っていた。弾丸は確かに奥の梁に着弾していた。少尉が放った弾は一発……。

 岩嵜が排莢しながら階段を上がってくる。ローディングゲートから滑り落ちた薬莢が、階段に落ちる。45口径フォーティファイブにしては、軽い音だ。まさか――。

「跳弾だ」

 岩嵜は、再びブラックホークに特殊装甲弾を詰めながら静かに言ってのけた。

「質量の違う弾丸を任意に入れ替えて発射する。自動拳銃オートマティックでは出来ない芸当だろう?」

 岩崎の両の瞳が、“ホークアイ”の起動の影響か、みどりに妖しく煌めいている。

 脂汗を流しながら右手を抑える構成員に、岩嵜がにじり寄る。そして彼の胸ぐらを掴み、片手で体ごと持ち上げた。

「暴走老人はどこだ」

「へっ、自分で探しな」苦痛と呼吸困難に顔を歪ませながら、構成員は悪態をついた。岩嵜が自らの顔を左の手のひらで隠す。そこには、構成員が吐きかけた唾が付着していた。

「そうか。ならば、そうさせてもらおう」唾をそのまま握り締め、左拳で構成員の顎を撃ち抜いた。鈍い音を響かせて、糸が切れた操り人形のように男は膝から崩れ落ちる。末端の関節が痙攣している。脳震盪を誘発させるように顎先を狙い、さらにスタンナックルで確実に気絶せしめる。それは警察の制圧術とは程遠い、軍隊仕込みの人体破壊術だった。

 おいおい、殺す気かよ。上山は岩嵜に聞こえぬよう、頭の中で呟いた。

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