重金属製の女
重金属製の女①
アイギスホールディングス社の自社ビルはオフィス街の中央に聳え立っていて、入り口には、社章であるアイギスの盾を構えた女神アテーナーの石像が飾られている。あらゆる邪悪と災厄を打ち払う、魔除けの効能を持つ神話の盾。アイギスには、瞳を見たものを石化せしめるゴルゴーンの首が埋め込まれている。
アイギス社は大きく五つの部門に別れており、営業部、法務部、人事部、技術開発部、総務部。その中で実働部隊を擁するのは営業部であり、アイギス社の花形である要人警護を担当する営業一課、対外諜報の営業二課、国際紛争調停の営業三課、国内テロ・刑事事件担当の四課という区分けがされている。
「岩嵜少尉、こちらへ」
声が脳に直接響く。秘匿通信だった。
フロア内を見渡すと、営業四課課長である
「かけたまえ」
課長デスクの前の椅子を促され、岩嵜は無言で着席する。短く整えられた口髭に、スーツの上からでもわかる、五十前とは思えないほど均整の取れた体格。見た目に関してはこれ以上ないほど軍人然とした人物だった。見た目だけは。
「先日の暴走老人の任務は見事だった。中国戦役の折、友軍がきみを
岩嵜はうんざりとしていた。国本は人に厄介な頼み事をする際に、まず褒める。軍属時代からの悪癖だった。そんな前置きなど排除して命令を下すべきではないか。国本の部下となって八年も経つが、岩嵜はずっと疑問に思っていた。
「容疑者射殺に関しても、不問だ。わたしがきみの判断を疑うことはない」
「課長。用件は?」岩嵜は彼の話に割って入る。これ以上前置きが長くなるのも御免だ。
「そう。問題はそこだ」国本はぽんと手を叩く。
「わたしがきみの判断を疑うことはない。しかし、わたし以外の者がきみの判断を疑っているのだ。鑑識からクレームが来ている。所轄の警察とはいえ、我々の顧客だ。クライアントの意向には逆らえない。業腹ではあるがな」
「出頭命令が来ている、と?」
「そこまで大袈裟なものではない。任意の事情聴取だ」
岩嵜は思わず鼻で笑う。
「そんな顔をするな。令状が出ているわけではない。少尉、行ってやれ」
「わかりました。どうせただの難癖でしょう。すぐ戻ります」
岩嵜はそう告げると、立ち上がってデスクを後にする。国本は椅子に腰掛けたまま、岩嵜の背中を見送っている。
「難癖で済めばいいんだが」ぼそりと、呟いた。
車で二十分の距離に、神尾市警察署がある。都心に近く、電子化した様々な犯罪に対応するため、署内には神尾市の中でも一際大がかりな鑑識課が設置されていた。
受付用ガイノイドにワンタイムのセキュリティカードを発行してもらい、署内に入ろうとしたとき、一人の刑事が声をかけた。
「四課のゴミ処理屋じゃねえか」四十手前であろう刑事は、にやにやと笑っている。
「おめえ、また暴走ババア相手にリボルバーぶっぱなしたそうじゃねえか。鑑識の姉ちゃんがカンカンに怒ってたぞ。復元が大変だ、つって」
「その鑑識から直々の呼び出しだ。――“ラボ”へはどう行けばいい? 」
「奥のエレベーターで地下三階だ。殺されるなよ」刑事はにやりと笑う。
「善処する」岩嵜の答えに、刑事は親指を立てる。
ワンタイムのセキュリティカードを
“ラボ”は、透き通るように、まるで何の汚れをも許さないような白い部屋だった。その中では自動化されたロボットアームが
「待っていた。岩嵜少尉」
白衣を着た女だった。ろくにトリートメントもされていないぼさぼさの髪、瘦せぎすの体躯に、化粧っ気の無いそばかす顔。白衣よりも白いその手には、プラスチックの袋に入れられた薬莢が握られていた。
「45
「嫌味のために呼び出しを?」皮肉を言いながらも、岩嵜は女の胸元に視線をやる。鑑識課科学鑑識係と肩書きがある名札がぶら下がっていた。
「まさか」女は薬莢を机に置く。
「自己紹介が遅れた。わたしは
なるほど。それで少尉呼ばわりか。岩嵜は小声で早口でまくしたてる大槻の言葉に耳を傾けている。
「岩嵜希望、あなたは十年前、中国戦役の口火を切る人民解放軍の富山奇襲作戦で両親と両腕を失った。そして、日本陸軍の国本少佐に拾われ、両腕の機械化手術と軍事的訓練を施される。五年前、膠着していた中国戦役に投入された、日米軍合同部隊である機械化機甲歩兵中隊――暗号名は
「ストーキングが趣味かな。主任検査官」
「中国戦役は三年前、終戦を迎える」大槻は皮肉を意に介さず続ける。
「結果的に、中国戦役は日米両軍率いる連合国の勝利に終わった。あなたは除隊後、国本少佐の紹介でアイギスホールディングス社に入社し、シープドッグ時代に機械化した両腕で、反動の強いスーパーブラックホークを携えて任務にあたることになる」
岩嵜は、大槻の意図を図りかねていた。必然的に、彼女の次の言葉を待つ。
「岩嵜少尉、あなたは一連の暴走老人の事件についてどう思う?」
「どうって?」岩嵜は思わずそう口走った。聞き返すのであれば一連のという言葉にすべきだった。暴走老人の事件は最近増加傾向にあるが、被害者と加害者には何の関連性も見当たらないというのが社会的な見解だった。
「増加する暴走老人の事件に恣意的な何かを感じるかどうか、と言い換えてもいい」
「意味がわからないな。それを判断するのが
「被害者の脳核内のマイクロマシンには何の欠陥も見当たらなかった。あなたが射殺してここに運び込まれた後も数十分は稼働していたくらいには、正常だった」
よく話の主題が飛ぶ女だ。対人感受性が欠けているタイプだろう。岩嵜は彼女をそう分析していた。
「つまり、何が言いたい?わざわざ民間軍事会社所属のわたしに、一連の暴走老人の事件には裏があると主張したかったのか?主任検査官、それは窓口が違うんじゃないか?」
「そう、その通り。あなたに言うのはお門違いだ。事実、わたしは刑事課に何度も上申している。だが、誰もわたしの話を聞きはしない」
大槻の病的なまでに白い肌は、いつの間にか紅潮しつつあった。
「だろうな。事件性を立証するには物証ってやつが必要だろう。話としては弱すぎる」
「先の加害者である
「いや、覚えていないな」嘘だった。岩嵜の脳裏に、あの老人の姿は克明に刻まれていた。
「ハルエちゃん。彼女はそう繰り返していた。そうよね?」
岩嵜は問いかけを無視する。
「高橋貴美の周辺関係には、ハルエという名の人間は存在しなかった」
「それがなんだ。加害者の記憶障害で片付く話だ」
「わたしもそう思っていた。高橋貴美が暴走する一ヶ月前に起きた、別の暴走老人の音声ファイルを聞くまでは」
大槻は机の右端を指でとんとんと叩く。そうすると、目の前に仮想ディスプレイが立ち上がり、その中のファイルを一つ開いた。現場突入した別のアイギス社の隊員の視覚映像だった。
「ハルエちゃん……ハルエちゃん……」
くぐもった男性の声で、明らかにそう言っていた。
「もちろんこの男性の近辺にも、ハルエという人物はいなかった」
大槻は岩嵜の反応を窺っていた。岩嵜は毅然とした態度で言い放つ。
「だからなんだ。本庁から正式に捜査協力要請があれば何でもやる。あなたの個人的な頼み事というのであれば他をあたってくれ。要は
「協力要請さえあれば」大槻は微笑みながら岩嵜の言葉を反芻する。
「わかった。岩嵜少尉、わたしはその言葉が聞きたかった」
「話というのは以上か」
「ええ」大槻は満足げに、微笑んでいる。
これ以上の問答は無駄だと、岩嵜はそう判断し、踵を返す。
――神尾市警察署から連続暴走老人事件の正式な捜査協力要請がアイギス社に通達されるのは、このやりとりから三日後のことだった。
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