電子の海に鷹は舞い

ひどく背徳的ななにか

プロローグ

 小雨がぱらつき始めた。

 建売住宅が立ち並んでいるその通りには、普段であれば子どもたちのはしゃぐ声や、主婦たちが語らう姿もあったはずだった。

 天気のせいではない。道路は警官隊によって完全に封鎖され、物々しい雰囲気の中で続々と配置についていく。

「またボケ老人か。いい加減にしろっての」

 若い警官が、電子兵装の動作確認を行いながら愚痴をこぼした。そう思っているのは彼だけではなく、配置につくほとんどの警官たちが胸に秘めていた。

 暴走老人の通報があったのは今から二十分前のことで、主婦一人を殺害したところを、通行人が目撃したという。老人は依然として路地に潜伏しているが、警察はすでに包囲を終わらせていた。

 脳にマイクロマシンを注入し、外部の電子機器との連携や、インターネットに直接接続する技術は、二十一世紀にはブレインマシーンインターフェースと呼ばれ、身体障害者向けのものとして存在していた。脳と身体の一部を機械化することにより、健常者と変わらぬ生活を送ることができた。そして、BMIは二十二世紀の初頭に携帯型デバイスに変わって、身体障害者のみならず先進国の健常者たちにまで普及した。

 その普及が顕著だったのが老人たちだった。介護福祉問題と高齢化問題はBMIによって大部分が解決したかに見えた。そう、表層的には。脳と身体の一部を機械化した老人たちのマイクロマシンは、旧世代であることも災いし、サポートが終了している個体がある。そして、ろくなメンテナンスも受けぬまま劣化の一途を辿っていく。多くは機能不全に至り活動を停止していたのだが、今回の事件のように傷害や殺人に発展するケースもあった。主人格の脳はとうにボケているのに、記憶装置や身体機能はデジタル化していることにより、意識は茫漠としたまま動作だけが機敏なサイボーグ老人たち。彼らの多くは何故か生体、つまり生身の人間に向けて危害を加えることが多く、根本的な解決策も提示されぬまま社会問題化しつつあった。

 さきほど愚痴をこぼした警官の視界に、若い女が現れた。

「おい、ここは立ち入り禁止エリアだぞ」

 そう叫ぶが、女は一向に歩みを止めない。黒のショートヘアをオールバックに撫でつけ、太い眉に切れ長の瞳。赤い革のジャケットには、肩に鷹の意匠のワッペンがある。防弾スーツはなくタンクトップの胸元からは小ぶりだが胸の谷間が見えている。腰には黒い革のホルスターが一丁。黒い銃のグリップがそこから覗いている。民間軍事会社PMCだろうか。警官は、視界に映るインターフェースからそのワッペンをネット検索する。

「アイギスホールディングス社か。IDと許可証を見せろ」

 女は警官を一瞥すると、不機嫌そうに革のジャケットからIDと政府発行の許可証を出す。といっても、どちらも電子識別子が表示されているだけであって、文字が書かれているわけではない。

 警官は再び視界の端に電子識別子読み取り用のアプリケーションを起動させる。女は読み取りの完了を待たずに、また歩を進め始める。「おい、待て」言いかけたそこに、壮年の警官が割って入る。

「アイギスのゴミ処理屋だ。新入り、こんなのと関わってちゃ命が幾つあっても足りゃしねえぞ」

「え?だって……」

 そうやりとりをしている間にも、女は歩いていく。配置についている警官たちは、彼女の姿を確認すると道を空けていった。

「なんであんな女に」

 若い警官はその光景が腑に落ちなかった。

「いいか新人、俺たちがむざむざ英雄を気取って死ぬ必要はねえんだ。危ない橋はあいつらPMCに任せておくんだよ。現に今だって、突入しようと思えば突入できるものを、アイギスの姉ちゃんが来るまで包囲しただけだ。俺たちは民間人に危害さえ及ばなければ、それでいいんだ」

「なんだよ、それ」

 女は路地を曲がっていった。


「ハルエちゃん、ハルエちゃん」

 ところどころノイズが混じった人工音声が聴こえてくる。目標は近い。聴覚の集音精度を上げる。

 今回の暴走老人は、民間人の殺害に対する容疑止まりだった。後に詳細な捜査をする必要性から射殺許可はまだ下りていない。女に与えられた任務はあくまでも暴走老人の無力化だった。

「ハルエちゃん、どこなの」

 声が近くなってきた。警察の包囲の前線はとうの後方だった。

 税金の無駄遣いだ。女はそう思いながら革のホルスターの留め具を外す。さっきの警官たちは電子兵装は二世代も前のもので、火器に関してはセミオートの小口径拳銃だった。あんな玩具みたいな弾では、機械化老人たちの装甲は抜けない。骨粗鬆症対策のために、大体の高齢者はチタン外骨格の強化手術済みだ。

 女は銃をホルスターから抜く。スーパーブラックホーク。今から百年も前に製造されたモデルの銃だった。製造は完全に終了し、今では博物館に歴史資料として飾られている。女は自社の武器製造ラインに掛け合い、すでに特許が切れたスタームルガー社のスーパーブラックホークに現代的なカスタムを加え、一点限ワンオフりで作らせたのだった。

 擊鉄ハンマーを起こし、トリガーを引く。カチッという音とともに擊鉄が落ちる。安全装置セーフティの無いシングルアクションの銃であるため、女は初弾を必ず弾倉から抜いていた。もう一度、擊鉄を起こす。シリンダーが回転し、装填された弾が持ち上がってくる。

「ハルエちゃん、そこにいたの」

 角を曲がった路地の先に、はいた。優しい微笑みをたたえた老婆だった。しかしその顔や胸は、殺害した主婦のものであろう返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。腕にも夥しい量の返り血が付着しているが、女が注目したのはそこではなかった。二の腕の皮膚が破れ、白い人工筋肉が露出していて、その繊維は千切れかけている。稼働限界を超えて酷使された時に見られる症状だった。視界の録画機能をオンにする。PMCのエージェントには容疑者の身柄を拘束する権利を与えられているが、その行為に違法性が無いかどうかを管理するために逮捕時の映像を録画し、警察側に提出することを義務付けられている。

「あなたには黙秘権がある。証言は、法廷であなたに不利な証拠として扱われる場合がある。あなたには弁護士をつける権利がある」

 女は左手でブラックホークを構え、トリガーに指をかけながら、ひどく無感情な棒読みで逮捕時の権利を読み上げた。

 その時だった。

「ハルエちゃん!!」

 ノイズかかった人工音声がいななき、老婆が猛然と走り寄る。

 女はすぐに老婆の左足に向けてトリガーを引く。爆発にも似たマズルフラッシュを伴い、45口径のマグナム弾が左股を貫く。バランスを崩した老婆は頭から派手に転倒する。銃痕からは人工筋肉を動かすためのマイクロマシン入りの白い人工血液が流れ出ている。

「両手を頭の後ろで組め。ゆっくりとな」

「ハルエちゃん……ハルエちゃん……」老婆は女の言葉に耳を貸すそぶりはなく、立ち上がろうと蠢いていた。

 、女は考えを巡らせる。多分この老婆はもう、言葉などわからない。だから、老婆が右足だけで立ち上がり、自分に向かって跳躍しようとしたことに関して、特に驚きもなく、

 炸裂するような音が響き、老婆の下腹、胸、額に穴が空いた。

 fanningぐような動作で親指、人差し指、薬指の順番で擊鉄を弾く、ファニングショットと呼ばれるシングルアクションの銃特有の連射法だった。

「ハルエちゃん、どうして……?」老婆はそう呟き、何度か大きく痙攣したのち、動かなくなった。

 女はブラックホークのローディングゲートを開き、四発分の薬莢を排莢する。トリガーガードに入れた指を支点にくるくると回し、ホルスターに収納した。録画は、すでにオフにした。

 銃声を聞き、警察の先行隊がかけつける。

「ははっ、さすがゴミ処理屋だな。後始末は任せとけよ」

 一人がそう軽口を叩き、仲間の警官が大声で笑う。

 女は彼らに中指を立てながら、現場を去っていった。小雨はいつの間にか、本降りになろうとしていた。

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