第137幕 ある男の日記
俺の本気の答えにラグナスは納得した――というか、嬉しそうに頷いていた。
「ありがとう」
「いいさ。どうせ、ここから出ていっても、行くあてなんかないしな。
ジパーニグに戻ってもややこしいことになるだけだ」
どうせ戻ったたらアリッカルの勇者を攻撃した事で問い詰められるに決まってる。
それに……ヘルガのあのやり方を見たらとてもじゃないが人側を信用することなんて出来るわけがない。
「君ならそう言うと思っていたよ。
でも良かった。これを持ってきた事が無駄にならなくて」
ラグナスの手にはいつのまにかやたら古めかしい一冊の本があった。
本の表紙にあたる部分の全てが分厚く作られていて、中心に石のようなものが埋め込まれていた。
「なんだそれ? いつの間に持ってきたんだ?」
「いつの間に……って最初から持ってたじゃない。
気付かなかったの?」
なんだか凄く非難するような視線でくずはが俺のことを見ているんだけど、気付かなかったんだから仕方ないだろう……。
どうにも情けない気持ちになりながら、俺はラグナスからその本を受け取って中身を開いてみた。
――
【炎季・1月25】
今日も暑い一日が始まる。
どうにも俺は炎の季節というのは暑くて好きになれない。
早く土の季節になればいいのに……。
――
「……日記?」
どうにも見慣れない言葉が書かれてるけど、文字自体は今の俺たちが使っているのと同じだ。
だけど、なんでアンヒュルの――魔人の使ってる文字がこっちと全く同じものなんだろう?
「その通り。それはおよそ400年前の本だと推測されている。
炎の季節というのは、ちょうどその頃使われていた季節の表記で、今で言う『夏』に相当するものだろう。
風・炎・土・水の四つの季節に、1~4までの月。
その後が1~30の数字で構成されていて、1月30の次の日は2月1といった感じだ」
ラグナスは俺が抱いていた疑問を推測して、先に答えてくれた。
思わず『なるほど』と小声で出しながら軽く頷いてしまった。
つまり、この日記を書いてる人物はちょうど夏が始まって少し過ぎた辺りの事を書いているのだろう。
その後もぱらぱらとめくっては見てみるけど、どれもそんなに色々書かれてる訳じゃなくて、短くいくつか書かれてるだけだ。
どうやらこの日記を綴っている人物はあまり長い文を書くのが好きではないらしく、どこかの町の門兵をしていたようだ。
夏は鎧が蒸して嫌だとか、仕事終わりの冷たい酒が最高だとか、日常を切り取って見ているような気分になった。
「……普通よりも短い内容のばかりだけど、これのどこが――」
「2月14の辺りから見てみてくれないか?」
平凡と言えば平凡な日記を見て、思わず文句が吹き出しそうになった俺の事をラグナスは宥めながら先を読むことを進めてきた。
仕方ないな……という顔をしながら、俺はそれをを読み続けることにした。
相変わらず、日常に起こった出来事を書かれていたんだけど、途中から妙な記述が目立ってきた。
――
【炎季・2月12】
最近、記憶を無くしている人を多く見かける。
一人くらいならそういうのがいてもおかしくないんだろうが、この2月に入ってから十人以上見つけている。
一体、この町で何が起きているんだ……?
【炎季・2月16】
とうとうコリンズが記憶喪失になってしまった。
俺の事どころか、彼の妻のことまで忘れてしまっている。
あいつとは良く酒を酌み交わしたもんなのに……こうなってしまって本当に残念だ。
しかし……なんでこんな事が立て続けに起こっているんだ……?
やはり、1月の終わり頃に来た男が原因なのかも知れない。
少し、探りを入れてみるか。
【炎季・2月21】
きっとこの日記を書くのは今日が最後になるだろう。
俺にはわかる。あの男が俺の記憶を消すために現れると。
二日前の夜、確かに見たんだ。
道端で酔い潰れていたシューレミアにフードを被った男が何やら囁いていた光景を。
シューレミアの身体が薄く紫色の光に包み込まれたかと思うと、あいつはそのまま糸が切れたようだった。
思わず声を上げた俺のことに気付いた男は、こっちの方に歩み寄ろうとしていた。
それを振り切るようにひだすら走り続けていたが、その時は幸いすぐ近くに酒場もあったおかげか、なんとか逃げ切ることが出来たのだけれど……ラッキーはそう簡単には続かないだろう。
……次の日、シューレミアは記憶喪失になって発見された。
それがどういうことか……子供でもわかるってもんだ。
明日から、いつ記憶を失うことになるか怯える事になるだろう。
だからこそ、ここに残しておく。
この一連の記憶喪失事件は、あのフードの男……エルズ・ヴェスヴィアが原因だったのだと。
何を企んでいるかはわからない。
だが、この日記を見つけた君にはどうか……奴の野望を暴いて欲しい。
シューレミアが記憶を失った夜、あの男の恐ろしさを実感した。自分が勝てないと悟ってしまった。
あいつのあの恐ろしく冷酷な表情、雰囲気……今でも恐怖で身体が震えている。
俺に出来るせめてもの抵抗は、この本が誰かに見つかりにくい場所に隠すことだけだ。
この国――ジパルニアになにか恐ろしいことが起きている……その事を、いつか誰かに伝える為に……。
――『アード・リヒッティナの日記』より一部抜粋――
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