第86幕 大切にしてほしいこと

 イギランスでヘンリーたちと相対し、なんとか逃げ出した後、俺たちはジパーニグのダティオに向かって帰路に着くことにした。


 最初は鎧馬を使って安全に帰ろう……という話をしていたのだけれど、そんな事をしている間に襲撃があったらどうするんだ? という話になり、結局は速力強化の魔方陣を使って身体を酷使することに決めた。


「それはいいけど……その子はどうするのよ?

 言っとくけど、私は運ばないからね。

 グレリアがなんとかしてよね」


 と若干ため息混じりにそんな事を言われたが、俺も最初からそのつもりだ。

 人と魔人……未だに相容れない二人の関係を見て、それでも彼女にエセルカを任せようだなんて思ってない。


「大丈夫だ。俺が抱きかかえて走るから」

「グ、グレリアくん……!? それは……!」


 こう、横に抱きかかえるような仕草をしていると、エセルカは顔を赤らめて恥ずかしそうにいやいやとしていた。


「あなたねぇ……それをされる身にもなってみなさいよ……。

 そんな辱めを受けたら、私は間違いなく死ぬわね」

「そうは言っても本当に命の危機が迫ってるかも知れないんだぞ?

 だったら四の五の言ってる場合じゃないだろう」


 シエラが呆れたような顔をこっちに向けているが、今は下手にここに留まってたら逆に危険な目に遭いかねない一刻も早く別の国に行く必要がある。


「あ、あのでも……流石にそれは……グレリアくんは恥ずかしく……ない?」

「そりゃあ俺もちょっとは恥ずかしいけどさ……ま、でもエセルカだったら構わないよ」

「え……」


 あー、なんだ……自分で言ってて少し恥ずかしくなってきてしまった。

 後頭を軽く掻いて、若干照れくさそうに視線を外してしまうと、熱い視線が自分に注がれているのを感じる。


「グレリアくん……」

「……はー、やれやれ。本当にごちそうさまでした」


 呆れた……というよりもなぜかもうお腹いっぱいといったような様子で深い、深いため息をつかれてしまった。

 結局、最初は頬を赤らめて渋っていたエセルカだったけど、最終的には承諾してくれた。


「ほら、エセルカ、しっかり首に手をかけて」

「う、うん……あの、グレリアくん、私、重くない?」


 横に抱きかかえながら身体の体勢を確かめつつしっかりと抱きつくように指示を出していると、ふとエセルカがそんな事を聞いてきた。


「むしろ軽いくらいだ。お前ちゃんと食事してるのか?」

「た、食べてるよちゃんと」


 年齢の割りに小柄で、その分体重の軽いエセルカの方がむしろ心配になってしまう程だ。


「……あー! もう、いちゃいちゃしてないでさっさと行くわよ!」


 俺たちが色々と体勢を整えたりしている間に、イライラとした様子のシエラが我慢できないとでも言うかのように大声を上げている。

 それでまた一層エセルカの顔が赤くなっていく。俺はただ質問に答えながら早く行けるようにしようと思っただけなんだが……。


 結局シエラが怒ったことでさっさとジパーニグに行くことになったのだった。



 ――



「うわぁ……すごく速い」


 速力強化の魔方陣を展開しながら他の人と出くわさないように人里離れた道を走っていってるが、それでも鎧馬でのんびりと走り抜けるよりもずっと速い。


 そんな速度の中でエセルカは怖いのか、ギュッと強く抱きついている。


「怖いか?」

「す、すこし……」


 少し声が震えているようで、出来ることなら多少速度を緩めてやりたいところだが……今はもう少し我慢してもらうしかないだろう。


 せめてどうにか出来ないもんかと、とりあえず目線だけエセルカの方に向けると、彼女は怖がる――というよりどこか申し訳ないような目でうつむきがちに視線を落としていた。


「どうした?」

「……ごめんね。グレリアくん」


 いきなり謝るエセルカは本当に悲しそうな目をしている。

 しばらく黙って彼女が口を開くのを待っていると、ぽつりぽつりと話をしてくれた。


「私、この一年ずっと頑張ってたはずなのに、結局イギランスじゃなにも出来なかったし」

「仕方ないだろう。ヘンリーが連れてきていた兵士たちはどいつもそれなりに出来る奴らだった。

 シエラなら一人二人くらい相手を出来ただろうけどな」


 だけどそれは暗にエセルカじゃ相手にならなかったと言ってるようなものだった。

 俺自身はそういうつもりは全く無くても、エセルカは実際そういう風に感じているようだった。


「私も……私もその魔方陣が使えれば……」

「ここでそれを使えば、お前は人の国にいられなくなるかもしれないぞ?」


 エセルカに向けて言った言葉は、まんま俺にも当てはまることだろう。

 だけど俺は自分でわかっててやった。家族にも迷惑がかかる事も含めて。

 人の国で……ヘンリーたちの目の前の魔方陣を使うってことは、つまりそういうことなのだ。


 だけどそうしなければ、あの場は誰かが犠牲になっていた可能性が高かった。

 だから、俺自身家族に申し訳ないという気持ちはあっても後悔することはない。


 でも……エセルカには出来ればそういう安易な道を歩んでほしくはなかった。


「今すぐ決めないでもう少しゆっくり……自分の考えを整理しろ。

 家族のこと。友達のこと……それを含めてお前がどうしたいのかをな」

「どうしたいのかを……」


 エセルカはそれっきり黙ってしまった。

 真剣に今後の事を考えているようで――俺もそれ以上、何も言わなかった。

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