第84幕 呆気なく下がる者
「ちょうど良かった。くずは様に用事があったのですよ」
さっきまで俺と話していた態度を一変させて、男はルーシーと一緒にいるくずはに近寄っていく。
その様子に若干戸惑いながらも警戒する様子をみせているくずはは、男が近寄ろうする度に、少しずつ後退していく。
「何の用?」
「いえ、クリムホルン王からの勅令をお伝えしに来たのですが……どうしたのですか?」
「あまり近寄らないでほしいのよ」
俺の方もくずはの近くに慌てて移動し、男の前に立ちふさがるようにくずはとルーシーを背にする。
そのことが気に食わなかったのか、鬱陶しいものを見るような目で俺の事を見ている。
「……仕方ないですな。くずは様は一度王城に戻るように、とのことです。
他の二人は、そのまま司様と合流するようにと」
「ちょっとお待ちなさいな」
それについて『それはおかしい』とでも言うかのようにルーシーが待ったを掛けてきた。
「……貴女は?」
「わたくしはルーシー・オルティス。
縁あって勇者であるくずはさんに力をお貸ししている者です」
「イギランスの……」
ルーシーが自己紹介をしてすぐ、男がそんな呟きを残したものだから、強烈な違和感を覚える。
それはくずはも同様だったようで、俺と顔を見合わせた後、一層その男に対しての警戒感を強めることになった。
「今、このダティオの町を離れるわけにはいかないのではなくて?
ここには何度かアンヒュルの襲撃があったと聞きますし、ジパーニグのクリムホルン王がいらっしゃるウキョウはずっと離れていますわ。
気軽に王城に戻れるような距離ではないと思うのですけれども……」
睨むように怪しむルーシーの言葉に徐々に苛立ち、表情を歪ませる男。
それに畳み掛けるようにくずはが追求していく。
「それに、なんでルーシーがイギランスに関係しているってわかったのかも知りたいわね。
名前で判断できるようなものでもないし……はっきり言わない辺り、怪しすぎるのよね」
「……ああ、もう、面倒くせぇなぁ」
馬脚を現した男は、頭をがしがしと掻いたかと思うと懐からナイフを取り出して、俺たちの方に向けてきた。
いきなりの出来事に宿の中にいた周囲のお客たちも、ざわめいて関わりたくないというかのように距離を取り始めた。
「最初からそういうのが目的だったっていうわけね」
「ふん、こういうまどろっこしいのは好きじゃなかったんでな。
ある意味、清々したさ」
じりじりと俺たちに詰め寄るように近づく男の動きを観察するようにじっとその様子を伺う。
腰に下げた剣を抜いていないのは、人が多くいる屋内ではむしろ邪魔になると考えたのだろう。
ナイフならまず周囲に近寄らなければ問題ないからな。
……まあ、それはこっちも同じ。
剣と鎌を武器として携帯しているくずはとルーシーは、防御に回るしかないだろう。
この場でまともに動けるのは拳での攻防を主体としている俺だけだろう。
腹が決まった俺は、手甲を装着した両の拳を握りしめ、腰を低く落として相手の懐に潜り込む。
最初から俺のことを警戒していた男は、そのまま短い動きで一突きしてくる。
それに対し俺は軽く握りしめた右拳を力を抜きながらそのナイフの軌道に合わせて繰り出す。
ナイフの刃先と手甲の金属部分合わせて、刃先が触れた瞬間、横に弾き飛ばすように無造作に腕を振るう。
「……っ!」
俺のことを子供だと甘く見ていたのか、一連の動作を見た男の方は驚きにその顔を染めていた。
そのまま俺は右拳を引きながら懐に潜り込むことに成功し、一気に畳み掛ける。
「ふっ!」
左拳を強く握りしめ、強烈な腹部への一撃をお見舞いしてやると、男の身体はいくらか後ろに下がってよろけているようだった。
……ちっ、鎧が固い。いくら手甲を装備してても、行動不能になる程のダメージを与えることは出来ない。
内心舌打ちしながら更に追撃を仕掛けようとしたのだけれど、男の方は一度後ずさり、こちらの動きを警戒しているようだった。
ざわざわと周囲が騒ぎ立てているのも無視して、後ろをちらちら見ながら逃走経路を確認しているようにも見える。
「はんっ、本当に嫌なガキだな。
こんなところじゃなかったらもう少し動けるんだが……」
「まさか、逃げられるとでも思ってないよな?」
この男には聞きたいことがある。
くずはの事はこの国に入れば――端の方はまだ知らないものもいるだろうけど、首都に近い場所だったらいくらでも知ることが出来るはずだ。
だけどルーシーの方は話が別だ。
あいつはイギランスの勇者でこちら側……恐らく他の国の連中が知る機会なんてそうそうない。
半年前に召喚されたわりには出回ってる情報が少なすぎるからな。
少なくともジパーニグにいる間は、ルーシーの事を知る術がない……はずなんだ。
「あいにく、これ以上お前たちに付き合ってる暇はなくなっちまったからな。
逃げさせてもらうぜ! 捕まえられるもんなら、追いかけてくるんだな!」
「あ、待て!」
そそくさと逃げる男の後ろを慌てて追いかける俺。
「ルーシー、あたしたちも行くよ」
「わかっておりますわ。こんな衆目の場で襲われたのですから、せめて理由ぐらい聞きませんとね」
後ろの二人も一緒に追いかけてきて、俺たちは宿から路地。
路地からさらに人気の少ない場所へと男が逃げていって……そこでなにかおかしいことに気付いた。
誰もいないはずなのに、周囲から殺気を感じる。
どうやら、わざと挑発するようにナイフを構えたり、弾かれたと思ったらすぐに逃げ出したり……。
――なるほど、最初から俺たちを人気のないところに連れていくのが目的だったってわけか。
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