11 チェックメイト

 麻袋を頭に被せられ、荷馬車に揺られること小一時間。一旦下ろされ、どうやら別の荷馬車へ移されたようだ。

「ブッハッッ! あー泥臭っ」


 袋が外された。顔に唇に土がついて拭いたいのに、手は後ろに縛られたままだから、ぺっぺっとするしかない。すると、大きな手が顔に触れた。乱暴に扱うことなく、汚れを払っていく。


「久しぶりだな、ヴェンツェル」

「………イーヴ」

 それは、かつて同じ傭兵団長クロムに雇われていた同僚の名だった。

 互いに座っていても見上げる大男は、眠たげに見えるとろんとした垂れ目で、再会を喜んでいる。


 ヴェンツェルより先に独立したはずだが、今は腕に黄色のスカーフを巻いていた。

「クヌード団に入ったのか」

「独立してから色々あってな。買収されたってわけだ」


 マリウス・クヌード団とは、敏腕経営者マリウスと、傭兵界最強と言われる『雷帝クヌード』が率いる一万人規模の傭兵団だ。トレードマークの黄色いスカーフに、死の蜂と例えられている。

 経営難に陥ったところを拾われたのだろうと予想したが、そこはあえて聞かないでおいた。


 荷馬車ががたんと動き出す。幌に覆われた荷台にヴェンツェルと大男イーヴ、その配下があと二人いるので動き回るスペースはない。脱出を試みても押さえつけられるだけだろう。


「クヌード団は、今はヘルジェン国王に雇われてるんだったな。アドルフが私を待ってるわけか」

「お前は昔からアドルフ嫌ってたもんな。片腕飛ばすとは、よくぞやりやがったもんだよ」


「あんたが護送についたのは偶然か?」

「いいや。お前が死ぬ前にもう一度会いたかったからな、無理くりしたよ」

「なら話は早い。私を逃がしてくれ」


 発言に、両脇に座るイーヴの配下が早速肩を押さえつけてくる。

「んな契約違反できるわけねえよ。お前も傭兵団長クロムなら分かるだろ」


「そこを何とか」

「無理」

「昔のよしみで頼む」

「無理だ」

「みすみす私を見殺しにしていいのか?」

「俺だって仲間と部下を守らなきゃならねえんだから無理なもんは無理」


 そう言われては同じ傭兵団長クロムとして引き下がるしかない。

「お前の仲間が救出に来たら、俺たちは全力で戦う。傭兵同士、それだけだ」


 それからイーヴは革袋の栓を開け、喉を鳴らして飲んだ。

「飲むか? 水だけど」

 袋を受け取り乾いた喉に流すと、つうーっと入ってくる。


 体内に水分が染みるのを感じ、一つ深呼吸した。

 イーヴの額と目尻に刻まれたシワは、最後に会った時には無かったものだ。傭兵団長クロムとして色々と苦労があったのだろう。


「あんたが傭兵団長クロムルトガーから独立して、それから四年ぶりくらいになるか」

「そうだなあ。お前はいつ独立した?」

「あんたが出て行った一年後だ」

「早かったな。『孤狼』と組んでるってのは本当なのか?」


「本当だ。あいつがたまたまフリーの時に巡り会ってな、トントン拍子に契約した」

「お前はほんっと男運が良い! 傭兵団長クロムルドガーに声をかけられ、俺と出会い、孤狼だもんな」

「そこにあんたも含まれるのか?」


「俺はいい男だったろ?」

「自分で言うか?」

 そんな話をしているうちに眠くなった。突き落とされるように、抵抗むなしく一気に目の前が暗くなる。


 自分は飲むフリだけして、水に眠り薬を盛っていたのか…。


「ごめんな、ヴェンツェル」

 倒れ込む直前に抱きかかえられて、唇にそっと柔らかいものが触れた気がした。


 気付くとイーヴの膝枕だった。ズボンにヨダレの水溜りを作っての爆睡である。

「くそ…、油断しすぎた」


「悪ぃな、お前の寝顔は楽しませてもらった。ほら、着いたぜ」

「私の仲間は?」

「襲撃して来なかった。わざわざ眠らせといたってのに、拍子抜けだ」

 ヨダレを拭って、手足の縄が外されているのに気付く。


「ここまで来たら抵抗しても無駄ってことか」

「俺はお前を取り逃がすヘマはしないからな」

「ズボンの染み、漏らしたみたいになってるぞ」

「誰のせいだよ」


 荷馬車から降りると、日が高く昇っている。夜通し駆けていたわけだ。

「これ、俺のだけど着ていけよ」

 イーヴが差し出すのは、寝ていた間に体にかけてくれていたお世辞にも綺麗といえない外套だ。


「いいよ。寒くないし」

「いいから着てけって」

 強引に頭から被せられる。ヴェンツェルは肩がむき出しの綿シュミーズ一枚しか身に着けていなかった。女装して胸を寄せ上げていたから、いつもの晒し布も巻いていない。


 手足を縛られていたのだ。護送についたのがイーヴでなければ、どんな目に遭わされていたか。

 大男のイーヴの外套はぶかぶかで、ヴェンツェルの足首まである。


「…ありがとう」

 イーヴはちょっと微笑んで、ヴェンツェルのやわらかな頬を撫でた。

「俺の契約はここまでだ。じゃあな」


 ぽつんと佇む小さな城には人気ひとけがなく、がらんとしている。普段は使われていないのだろう。要塞としての機能はなく、邸宅といった感じだ。

 狭い一室に押し込まれると、外から鍵がかけられる。パントリーか酒蔵と思しき穴蔵部屋は、天井近くに空気を通る穴が一つだけで、日光は遮断されていた。


 壁をぺたぺた触るが、壊せそうな気配はない。

「詰みかな…いや、まだだ」

 外套にくるまって、体力を温存しながらその時を待つ。


 それは意外と早く訪れた。まだ日が落ちる前だ。アドルフの前に連れ出される、そのために扉が開く———


 渾身の力でヴェンツェルは先頭の男へ拳を叩き込む。鉄骨の一撃で昏倒させられるはずだった。しかし男は倒れない。どころかヴェンツェルの拳を、平気で受け止めている。


「!!」

 炎の髪、海の瞳。黒塗りの鎧に身を包み、鋼鉄に覆われた左手と右脚。


 考える間もなく、アドルフの鉄の左手が飛んでくる。

「…っつう!」

 受けた右腕に鈍痛が走り、肘から先が全部痺れて動かせなくなる。

 いきなりご本尊登場って! 王様なんだから玉座で待ってろよ!


 だが痛みに悶えている暇はなく、腹を狙った右足の膝蹴りが来る。上体を捻り、大腿の側面で受けるが、これも骨に響く。

 その隙にもの凄い力で右肩を掴まれ、壁に頭を、背中をいやというほど叩きつけられた。

 なんつう壁ドンだよ…!


「光栄に思え。余に傷を負わせたのは、帝国とお前だけだ」

 超絶イケメンが至近距離で歌うような声だが、ヴェンツェルにはメデューサの首がガラスを爪で引っかく声で歌っているとしか思えない。

 光栄どころか、万に一つのチャンスを逃したのだ。思い出すと今でも、腹の中が煮え立ちかき回されたようになる。


「バルタザールはお前を最高傑作の一つと言っているぞ。成功率三割以下、術後三ヶ月は痛みで起き上がることもままならない。そんな改造手術をよく受けたものだ」

「そりゃどうも!」


 急所狙いの蹴りを繰り出すがさらっとかわされ、代わりに強烈な拳が腹にめり込む。呼吸を失い倒れこみそうになるが、もう一度鋼鉄の右脚へ回し蹴りする。やはりこたえている様子がない。


 上から両手拳が振り下ろされ、鈍器でぶん殴られたような衝撃に今度こそ倒れこんだ。絶息している間に肝臓を踏みつけられ、更に喉元へ剣が突きつけられる。


「この余に丸腰の下着一枚で挑むとは」

「あんたのから…だ…も、婆サマが」

 呼吸が戻らず声が上手く出せない。


 生身の手指と何ら変わりなくアドルフの意思に沿って滑らかに動く義手と義足は、バルタザール開発の硬化金属なのだろう。そうでなければ鋼鉄より硬いヴェンツェルの打撃に耐え、なおかつ打撃でダメージを与え返すなどありえない。


「さあ、どう死にたい?」

 優雅な声が残酷に響く。

 剣先が頬をなぞり、赤が流れた。

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