10 クロムがいない
「実りなき戦に国費国民を投じ、国家と王家への信頼を失墜させた罪は重い。国王グスタフとその政策を継承する王太子フェルディナントを弾劾し、武力を行使する」
諸侯らを前にしたマンフリートの演説をかいつまむと、こんな内容だった。
死んだと思われていた第二王太子が目の前に復活して、自分たちを率いると言うのだ。しかもヘルジェン王国という帝国に抵抗しうる強力な後ろ盾を持って。
「そりゃみんなマンフリートになびくわけっスよね」
山砦の地下牢に放り込まれたユリアンとセバスチャンが頷きあう。
「しかしあまりに一発コロリすぎるのではないかね!? ほとんどが行ってしまったではないか!」
唾を飛ばすエグモントと、マンフリートへの帰順を拒否した200人程のブレア兵士がばらけて牢に収容されている。エグモントの言う通り、中庸を表明していたほとんどの諸侯が流れて行ってしまった。
「ここにフェルディナントはいないでやんすからね。勝ち目はないでやんす」
「むむむ…! お前たちの
「団長、いないっスね」
「あいつめ、まさか私を置いて一人で逃げたわけではあるまいな?」
「んなわけねーっス。きっと外で何か作戦を考えてるっスよ。さっきみたいな色仕掛けとか」
「色仕掛けぇ? あんな胸では無理だろう」
瞬間、ユリアンとセバスチャンの目が殺人者のそれになる。
「…今なんつった?」
「どうしてあんな胸とか知ってるでやんすか」
「もしかしてあんたも、のぞいたのか?」
「私がそんな下品なことするはずないだろう!」
「お頭の価値を胸の大きさで決めつけるでやんすか?」
「だーかーら! 私はもう孫もいる年代で!」
「
「あっしらのもんでやんすよ!!」
「ちょっ…! 待て待てはやまるなーーっ!」
※しばらくお待ちください
「…ふぉっ、ほ、ほれで、こひぇからろうするといふのだ?」
顔面が変色して腫れたエグモントに、セバスチャンは涼しい顔で答える。
「準備するでやんすよ」
「ふぁにを?」
「脱出でやんす」
「ふぇ?」
「ヨハンさんとフィストさんもここにいないっスからね」
◇◇◇◇
「じゃあ、始めようか」
木の陰から主塔を伺うフィストがじめっと言うと、頷くようにヨハンが刃を抜く。
ムカデ状に連なった筒をポーチから取り出し、フィストは矢にしっかりと結び付けた。帝国兵から買ったバクチクだ。
「さっきも言った通り、着火してから音が出るまで四秒間、音が鳴るのも四秒間だ。すごい破裂音がするから、キミまでビビるなよ」
そして一度視線を合わせてから着火し、流線の動作で矢を夜空に向け放つ。
すかさずヨハンが疾走した。
最初の二秒で主塔に向かって突進する。次の二秒で動線上の障害となる三人を排除し、異変に気付いた兵士らが阻もうとしたその時、頭上でけたたましい音が破裂する。
全員が上を見上げて動きが止まり、その隙に主塔内部へ二人は侵入する。
更に加速したヨハンの剣が弧を描いて一人目を両断。
そのまま右足を軸に体を反転させて二人目を切り上げ、瞬時に三人目に詰め寄り攻撃される前に刃を突き刺す。
「へぇ…」
彼が通った後は、人がまるで棒切れのようにひしゃげていた。フィストが惚れ惚れと目を輝かせるほど、迷いや無駄はおろか考える余白すらない軌跡。
「神が一筆書きしたみたいな動きだな」
返り血一つ浴びることなく流し目で振り返る。向けられた瞼、目線。男と分かりながら思わずゾクっとして縫い留められた。
間合いを侵しただけで八つ裂きにされそうな『孤狼』の威圧感は、普段のヨハンとは全く別物だ。
「無駄口たたいてる暇があればお前も働け」
前方に向け顎をクイッと振って、ヨハンが挑発する。そう、これは挑発だ。
「…見せてみろってわけね?」
今度はフィストがヨハンの前に出る。わらわらと現れるヘルジェン兵へ、走り込みながら至近距離で凄まじい連射だ。
腰にぶら下げた矢筒から矢柄を引き抜いてつがえ、指を離すまで二秒かからない。それこそ剣を構える間も与えず、顔や防具の隙間に次々と矢が吸い込まれていく。
しかし敵も弓で応戦してきた。
駆けながら右に左に避けると、ヨハンが隣で矢を剣で叩き落していく。どこに矢が飛んでくるのか予め分かっているようだ。
「つくづく敵に回したくない奴」
ヨハンが矢を弾いた直後、即座に撃つ。次はヨハンがかわす、間を縫うようにその上から撃つ。
互いに動きを予測しているわけではないが、なんとなくテンポが合う。二人の動きに
弓攻撃が途切れた間に、再びヨハンが突っ込んだ。
動きは流れるようでいて、細身の体の芯から深く力強く繰り出される斬撃。複数を相手に瞬時に沈めていく。
そしてフィストの矢が外側から兵士を剝いでいく。
やがて、恐れをなした兵士が後退を始めた。
「この二人…強すぎだろ…」
「ボクはそういう趣味ないけど、お美しいですねって戦場で告られたことあるだろ?」
そう言うと、珍しくプッと笑う。
「あったんだな」
「お前こそあの速さで百発百中は見事だな」
「おろろ?」
カッツーン
予想外の賞賛に手元が狂い、矢が防具に跳ね返される音がやたら響く。
「…そうでもないか」
「ボクだって褒められたら嬉しいんだからな!」
だがそこへ突如割って入ってくる殺気。
まっすぐにつっこんできた一撃に、とっさにフィストは横に転がり、かろうじて避ける。孤狼と互角のスピードで打ち合う水色の髪———マンフリートだ。
「へぇ、強いな王子サマ」
戦い方に余計な恐れがない。あれほど強烈な殺気を見せつけられた後に死を意識しないのは、感覚がトチ狂っているか、よほどの覚悟ができているかだ。
「タイマンの邪魔して悪いけど、ゆっくりしてる時間ないんだよねぇ」
ポーチから取り出すのは、手投げの小さな矢。
指先でつまんで一瞬狙いを定める。さりげなく放たれたそれは、ヨハンと剣を押し合うマンフリートの肘に刺さった。致命傷ではない。
だがヨハンが剣を弾いて、刃を首筋に当てるには十分だった。
「さぁ、牢を開けて貰おうかな、王子サマ」
手を縛り、背後からヨハンが刃を当てながら地下牢へ向かう。もちろんブレアを離反した諸侯たちは誰も手出しできず、半口を開けて言うことを聞くしかない。
「ヨハンさん! フィストさん!」
「あ、心細かった? ハグしてあげるよ」
「平気っス!」
普通スルーするところをちゃんと返事するのがユリアンの良いところである。
そしてこの時を待ち構えてるいたブレア軍が一気に飛び出す。
「行け! 足を止めるな! ヘルジェン兵と裏切者の諸侯を決して許すなああああぁぁぇぇぇ!!」
「エグモントのとっつぁん、なんであんなに荒れてるの? 顔腫れてるし?」
「さあ」
ユリアンとセバスチャンは肩をすくめる。
「フィストさん、
「あれ、ここにいると思ってたんだけど?」
顔を見合わせて、それから全員の視線がマンフリートに向くが、もちろん口をつぐんだままだ。
しかし、マンフリートの記憶を読んだヨハンの刃に力がこもる。
「最初からヴェンツェルを狙っていたな。殺さずに…荷馬車に乗せたのか。どこへ向かった?」
「オレは知らぬ」
ヨハンがそれ以上何もしないので、本当なのだろう。刃の代わりに柄で首筋を叩くと、マンフリートの体が崩れ落ちた。
想定外に現れたマンフリートを倒すのは今回の契約にないし、
「追うぞ」
「どこへ? 当てずっぽうに走り回ったってムダだよ。まず情報集めなきゃだから、とっつぁんに協力させようぜ」
「アドルフの元に突き出されるんだぞ! のんびり構えてる時間はない」
「ふぅん、キミでもそんなに焦ることがあるんだな」
「…だから何だ」
「いぃやあ、別ぇっつにー」
じめーっと答えるフィストに、心底嫌そうな顔のヨハン。
「これは見ものでやんすね」
「ヨハンさん、
「聞こえてるからな」
コソコソしていた二人は殺気を向けられ、即座に姿勢を正すのだった。
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