6 救いなき世界

 何も残っていないとリリーは言ったが、そうではなかった。サラ地になっていた方がまだ良くて、骨組みだけを残して焼け落ちた建物や、修繕されることなく朽ちていくのを待つだけの村は、内臓を引きずり骨がむき出しになったゾンビを見ているようだ。


「誰もいないね」

 戦から既に四ヶ月が経過しているが、復興の兆しどころかネズミの死骸すらない。村一帯から生命というものがまるっきり消えていた。


 出発前、ようやくフィストは傭兵団長クロムルトガー、そしてリリーから聞いたシュヴァーゲンの惨状を伝えた。ユグルも心構えだけはしていたようで、黙って受け入れた。

 それでも、生家が焼かれ荒らされ略奪された無残な痕に、ユグルは涙をこぼしたのだった。

 

 ここには何の絵が掛かってたんだっけな。四角く日焼けしていない壁の跡を見ながら通り過ぎる。傭兵団長クロムルトガーの言葉には何ら大袈裟なところはなく、徹底して叩きのめされた故郷の姿に、フィストの記憶や思い出は封じられたように何も浮かばない。


 屋敷の裏手、五分ほど歩いたところにあるブリーゲルの丘には、大規模に掘り返され再び土をかぶせた跡があった。死者はここに埋められたのだろう。墓石も墓標もなく、兄も、母も、誰も彼も区別なく。


 赤や黄色に色を変えた広葉樹が舞い、丘は美しく彩られている。

みたま送りを授けないの?」


 聖神教の葬儀で、式を執り行う聖職者は死者を神のもとへ導く案内役なのだ。みたま送りの言葉は死者が異界テングスへの道を誤らないための道標だった。


「今更?」

「みんな、ただ放り込まれだけだろうし。せめてさ」

「医者のキミがそんな信心深いと思わなかったな」

「人間、どんなことをしても死ぬ時は死ぬ。その時人を救えるのは医術じゃなくて宗教だと思うよ」


 弟にそんな死生観があるとは意外だった。

「今のボクにみたま送りをするような資格はないよ」


 長くいるのも辛く、早々に引き上げようとした時だ。突如として現れた黒い兵団に取り囲まれる。野盗ではない。揃いの武器防具を身に着け、理解できない言葉で会話している。


「帝国兵か」

「なんだよ! 帝国は味方のはずだろ」

 しかし槍の穂先を向け、明らかに威嚇してきている。二人が両手を上げると荷物を奪われ、歩くよう突かれた。


 ユグルは片言のクリユ(帝国の公用語)で自分たちに捕まるいわれはないことを伝えたが、取り付く島も無い。取り囲まれたまま休みなしで二時間は歩かされただろうか。道はだんだん細くなり峠道にさしかかる。


 着いた先は山の中にそびえ立つスフノザ砦だった。かつてブレア軍の前線基地だったのがヘルジェンに奪われ、その後帝国軍が奪い返している。


「フィスト兄、あれ何かな」

 砦の外郭、灰色の断崖絶壁と一体化して垂直に切り立つ囲壁から何かがぶら下がっている。二つ、三つ。遠くてユグルにははっきりと見えない。しかし、フィストの異常な視力ははっきりととらえていた。


「人だ」

「えっ!? 生きてるの? 死んでるの?」

「わからない…」


 言わなかったが、鳥についばまれ流血した黒っぽい跡がいくつもあったし、体を縛りぶら下げている縄は新しいものには見えなかった。


 もう一度ユグルは帝国兵へ説明を試みるが、問答無用で地下牢に放り込まれる。そこには十人ほどの男がいた。よく目を凝らせば他の牢にもいて、全部で四十人ほどか。


「おい、お前ユグルだよな? アルドマン家の末っ子の」

「ああ。君は…バール?」

 牢の中の恰幅の良い青年はユグルの幼年学校の同級生だ。確か家も近所で、フィストも一緒に遊んだような気がする。


「今頃戻ってきて何のつもりだよ? おまけに捕まりやがって。みんな酷い目に遭わされたんだぞ! お前の家族は真っ先に殺されてな。まるで処刑だったぜ」


 二人は何も答えられない。たとえ自分たちが居たところでシュヴァーゲンの惨状は何ら変わらなかった。それはバールとて分かっているはずで、それでも言わずにいられなかったのだ。


「みんな捕まったのか?」

「ああ。ヘルジェン兵が去って、これからどう立て直そうかって話してた矢先にな」

「これからどうなるんだ?」

「男は炭鉱へ送られるんだよ。帝国軍の武器防具を作るためのな。女子供は奴隷どれいさ」


 ここに捕えられているのは戦を生き延びた男たちだ。帝国兵は、共にヘルジェンと戦う味方ではなかったのか。それが強制労働とはまるで虜囚だし、奴隷にされるなど虜囚以下だ。


 すると帝国兵が奥の牢から十人ほどを連行していく。男たちは列になってのろのろと上階へ上がっていった。


「帝国の奴らはもみ消しやがったがよ、あいつらヘルジェンと一緒になって略奪しやがったんだ!」

「俺の家族を殺したのはヘルジェン兵じゃねえ。帝国兵が乱射した銃に当たったんだ」

「帝国さえ来なきゃ戦争もなかったし、こんなことにはならなかった!」

 男たちが口々にする、身を切るような思いが突き刺さる。


「そのうえ帝国の武器を作る為に働かせられるだと…? その武器はヘルジェン兵だけじゃなくブレア国民の生活と命を奪うものだ」

「ブレア国は、丞相はこのことを知っているのか? まさか知っていて知らぬふりをしているとか…?」

 ユグルの喉も上下する。


「帝国の為に血を流すことがこの国では正義になってしまったんだ。もう俺たちを助けてくれるものはいない」


 バールの声は冷たく響いた。しかしそれを引き裂くように聞こえてくる悲鳴と銃声。それも一発や二発ではなく連続で、全員が息を飲んだ。


 固唾を飲んで見つめていると、さっき十名が連行されていった上階から笑い声が聞こえてくる。だんだん大きくなって、下りてきた帝国兵が発していると分かる。

 帝国兵は二人の人だったものを引きずってきた。おびただしい流血に染まった死体をズリズリ引きずり体全体をヒクつかせながら、ゲラゲラ笑いだった。


「ヒヒ…ヒヒッ、二人ダケ逃ガシテヤルカラ戦エト言ッタラ、殺シアイヤガッタ」

「コイツラ最後二生キ残ッタヤツ。アーハッハッハッハァ! 他ノ死体モ見セテヤロウカ」

 彼らに分かるよう、わざわざ片言で言いながら笑いが止まらない。


 外郭に吊るされたのも捕われた住民だろう。部外者のフィストとユグルも、これには怒りしかなかった。

 ————これが帝国なのか。帝国の属国になるとは、こんな狂った笑いを甘受しなければならないのか。


「だから、俺たちは蜂起することにした」

 帝国兵が去ってそのまま放置された無惨な遺体に祈りながら、バールは言う。


「無謀な事だと分かってる。けど、このまま帝国兵の享楽で死なされるよりずっとマシだ」

 武器もなく、素手で帝国正規軍へ立ち向かう。敵うわけがない。だが、彼らには死への畏れはとうになかった。


「二人は今日来たばかりだし無理強いはしない。けれど蜂起に参加しないからといって助かる保証はできないぞ」

 無論、フィストとユグルもやる気だ。


「ユグル、キミは医者だ。話せば虜囚として厚遇されるだろう」

「やだよ。帝国に仕えるなんて死んでもごめんだ。フィスト兄こそ血を見たことなんかないくせに、やせ我慢するなよ」


 明日は我が身ということで、蜂起はその日と既に決められていた。帝国兵が夕食を運んできた時に襲いかかる。外に出たら他の牢を開放する。裏門から逃げる。作戦はそれだけだ。


 最初に食事が提供されるのが、フィストらの牢だった。帝国兵を圧するのはバール、ベルント、ギレスの三人だ。彼らは徴兵された時に戦闘訓練を受けていた。


 男たちの目が底光りする中、黒い装備に身を固めた二人の帝国兵が食事を牢へ運び入れる。最初にバール、次にベルントが飛び掛かると、ギレスに続き集団がその上からのしかかり、手足の自由と呼吸を奪っていく。それから武器と鍵を奪うと、絶命した二人の兵士を踏みつけ一気に外へ駆け出す。


「進め! 足を止めるな!」

 牢を開けると次々と人々がなだれ出る。武器は無くとも、雄叫びを上げた生々しい力が帝国兵を押し潰していく。誰もが異常な興奮状態で、倒れた帝国兵から武器を奪い、徐々に血の匂いが立つ。


 脱出口の砦の裏門を開けるのに手間取っている。その間に背後から帝国兵が群れで迫る。フィストは死んだ帝国兵のそばに落ちている弓を手にした。

 それはニレの木にニカワや樹脂を幾重にも塗り込み強度を高めた、帝国製の弓だった。元の持ち主が愛し、丁寧に手入れしていたことが一目見ただけでわかる。


 自分の中で、何かが削げ落ちていく。おそれが消えていく。


 バールやベルントらにとって大切なものは、全て戦に奪われてしまった。その不幸を上塗りするように強制労働で奴隷の生活を強いられ、帝国兵の狂った享楽の為に命をもてあそばれている。


「こんな時、助けてくれるのは神サマじゃない」

 何もかもが帝国のせいだというのなら、せめてもの抵抗を示したい。


 弓を構える。流れるような動作で矢をつがえて放つ。しかし思う軌道から外れてしまった。すぐさまもう一度。今度はまっすぐに帝国兵の顔面を射貫く。


 人を射るのも獲物を射るのも変わらないな。そう思った。

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