3 畏れる心

 まず標的になったのが、国土の北でヘルジェンと国境を接する地域、つまりフィストの故郷シュヴァーゲンだ。


「お前の故郷ヤバいんじゃないの?」

 一連の戦いは激しく、家族と連絡がつかなくなっていた。

「これも神のお導きだろ」

 とりあえず神サマのせいにしておけばいい。


 長兄の結婚式以来、故郷の教区からの異動願いが受諾され、フィストは王都の聖母大聖堂に配属されていた。


 聖神教の聖職者の世界は教皇を頂点としたやんごとなき階級社会である。大学神学部卒のフィストはいきなり修道士らを束ねる司祭セルで、地権者という下駄を履いた故郷の教区で十年も粘れば、教会組織本部の管理職である司教ドルのポストは間違いないはずだった。


 ヒラの司祭セルのまま教区を異動してしまえば、出世レースはゼロ以下からやり直しになる。だがそれで構わなかった。


「元カノもろとも焼き尽くせって? 神サマがお嘆きになるじゃねぇか」

 同僚の司祭セルランコムとは、大学からの付き合いだ。人相の悪い坊主頭にデカくてムキムキと、どう見ても聖職者より凶悪犯罪者の外見に違わず、大学時代は大抵の悪事を教養と称して経験している。


 ランコムは、出世街道を外れてやって来た偏屈なフィストを大学時代と変わらぬ気さくさで受け入れてくれ、かつ現在の趣味は筋トレと平和なものなので救われている。


「いやマジでさ、一回くらい帰った方がいいんじゃねぇの? 家族とあんま折り合いよくねぇのは知ってるけど、連絡取ろうとすらしてねぇじゃん」

「うちの家族は干渉し合わないの」


「それとは次元が違くね? 死んだら連絡できねぇし」

「まあ、確かに知ったら無視はできないかな。だから知らぬが何とかって言うじゃん」

 言いながら鞄に書類を詰める。


「じゃ行ってくるね」

「今日はなんだ?」

「結婚式が三件。昼メシ抜きで、日没まで戻らないよ」

「商売繁盛だな、オレもこれから葬式二件だ」


 徴兵前のかけこみ結婚需要で、系列教会所属の司祭セルだけでは足りず、本体の聖母大聖堂所属の若手は毎日あっちにこっちにドサ回りなのだ。


 結婚も葬式も挙式自体はさほどではないが、前後の書類作成に時間がかかる。この世界で司祭セルは神の代弁者であると同時に、裁判官であり、公証人であり、書士である。式の執行だけでなく書類作成と提出までが職務なのだ。

 戦争なんかするより識字率を上げる方が先だと思う。


 薄暗い曇天の中、重たい鞄を持って結婚式用の白い法衣で歩くと、無意識にため息を吐いている。乗合馬車に揺られること一時間、向かうは郊外の農村だった。

 ちょうど収穫時期を迎えた小麦畑が迎えてくれるが、戦火に焼かれる前に刈り取ろうとく農民を横目に過ぎる。


「皆さんお揃いですか。では始めます」

 この村の礼拝堂には普段尼しかいないため、司祭セルはいつも外注なのだという。


 デリバリーされた司祭に形式だけの祝福を授けられ満足する。多くの人の信仰心などその程度なのだ。挙式なんかやめて紙切れだけ提出すればいいじゃないかと思うが、貴重な収入源なのだから完璧に祝福を授けなければならない。


 儀式にミスは許されない。狙撃と同じだと思えば何とかモチベーションを保つことができた。フィストの常に血色が悪い顔は白い法衣にはかえって厳かに映る。身長が高いので法衣姿は見栄えがする。一応仕事は真面目に手際よくこなすので、悪くないと自負している評判は、故郷の教区でも王都でも同じだった。


 一件目を婚姻届提出まで終えるとすぐ次の村へ移動する。馬車に揺られて街道を行くと、離れたところに馬で駆ける一団が現れた。

 弓を放ち、狩をしている。このご時世に優雅なことだ。


 王都に来て最も残念なのは、狩の時間が皆無になったことだ。その代わり、休日はひたすらやじりの製作に没頭している。

「いいなあ」

 馬で駆けることすら最近していないから、口に出ていた。


 その時、ガタン! と馬車が止まる。なんだと身を乗り出そうとすると、いくつかの怒声と御者の悲鳴が上がった。

「野盗か?」


 さっき受け取った現金なら持っている。それで命まで助かるか分からないが、やってみる価値はあるだろう。

 馬車にはフィストの他に小柄な中年男が一人と、親子らしき女性二人組だった。


「ボクが交渉します」

 司祭セルは神の代弁者である。白い法衣姿が幸いだ。野盗に神をおそれる心がわずかでもあるか———それが自分たちの命運を分ける細い糸になる。


「いや、危ないから坊さんはご婦人とここにいてくれ。俺が行く」

 すると小柄な中年男がひらりと馬車を下りた。翻った外套の下に、隠されている剣が見える。


「え、ちょっと!」

 いくら何でもあんな小さな体で一人じゃ無理だろうと思わず窓から顔を出すと、ものすごい速さで一人目を外套の下から抜いた刃で斬りつけたところだった。


 野盗の胸からぱっと赤が散る。続けざま二人目は、ブンと剣を空振って空いた首筋に鋭く刺されて絶命した。

「すごい…」

 戦う姿は小ささを全く感じさせない。


 フィストは男から目を離すことができなかった。おかげで野盗の一人が背後から馬車に上がってきたのにも、婦人の悲鳴を聞くまで気付かなかった。

 野盗は娘の方を連れ去ろうとしている。


「やめろ!」

 とっさに重い鞄を振りかぶってぶつける。しかし焼石に水で、野盗が怯んだ様子はない。護身用に持ち歩いているナイフを抜いてはみたが、しかしそこから動くことはできなかった。


「いやあぁっ!! 助けてぇ! お母さん!!」

 泣きじゃくって抵抗する娘とともに野盗が馬車から降りようとした時、背後に小柄な男が現れた。次の瞬間、野盗の首が胴から離れて地面に落ちる。


「キャアアアァァァーッ!!」

 娘は叫んで卒倒した。

「坊さん、悪いけど娘さんを頼むよ」

 すかさず受け止めてフィストに渡すと、首の無い死体を丸太でも転がすように地面へ蹴飛ばし、残りの二人へと突っ込んでいく。


 小柄な男の腕は確かだった。そして人の首を切り落とすのに、欠片ほども畏れはなかった。

 これが傭兵———。


 中年男は傭兵団長クロムルトガーと名乗った。


「さっきの結婚式の新婦は俺の姪っ子なんだ。父親は死んじまって、俺が父親代わりみたいなもんでな。いや〜、感動したぜ」

 死んだ御者に代わり、ルトガーが手綱を引いて街道を進んでいる。娘の介抱は母親に任せて、フィストも一緒に御者台だ。


 言われてみれば、新婦側の親族に小柄でよく笑う男がいた。人に警戒心を覚えさせない柔和な空気を醸していて、穏やかな話しぶりはまるで茶をすすりながら日向ぼっこでもしているかのようである。ついさっき、一人で四人を殺しておきながら何事も無かったようにだ。


「次も結婚式があんのかい。んじゃ急がなきゃな」

「戦争が始まって、傭兵稼業はさぞ儲かってるでしょう」

「坊さんのとこだって同じだろ? 俺の雇い主はバッシ伯でな」

「名前は存じています。大貴族だ」


「そうだよ。名ばかりじゃなく勇敢な方でな、この間のシュヴァーゲンの戦いにも参戦した。惨敗でさ、やっと生き残ったがひどい戦だったぜ。ヘルジェンの奴ら、住民にまで容赦なくてな。ほとんどが略奪にあって、殺害されたよ」


 のどかなルトガーの声で聞くとどこか遠くの国の話のようだが、それはフィストの故郷の名で間違いなかった。

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