死神の祈り
1 もう一つの聖夜の奇跡
ブレア国の北部、ヘルジェン王国との国境に位置するスフノザ砦で、ヴェンツェル団は二度目の冬を迎えた。
聖誕祭の今日は幾分冷え込みがやわらぎ、
そんな中、食堂の椅子に斜めに座ったフィストの歪んだ顔が向かいの女に向けられている。
「キミの言うことは根拠が無さすぎるんだよ。いいかい、今日は聖誕祭だ。てことはキミと遊んだのはぴったり二週間前。つまり早すぎるんだよ。だから父親はボクじゃない。そうだろう? 誰よりキミが分かってるはずだ」
「どうして決めつけるのよ! 女には誰の子かわかるんだから!」
冷静に話そうと努めていたフィストだが、論理性皆無、感情の塊と化したロザミーナにこめかみが波打つ。
「ありえないんだよ! 過ちを犯したって女の告解をボクは散々聞いてきた。あんまり多いからデータを取ってみたけどね、それによると女が妊娠できる時期は決まってる」
バンッ! とテーブルに手を打ち畳み掛ける。
「遊ぶ前に、最後に月のものがいつ来たか聞いたよね? もうすぐ来るって言ったよね? ボクは取れない責任のリスクは負わない。避妊のミスはないし、そもそもボクを好きだと言ったのもどうせ嘘なんだろ。責任を押し付けられる筋合いなんて無いね」
「遊びって…そんな何回も言わないでよ…ううっ…」
二股かけられていたのはこっちなのに泣かれては分が悪い。悪すぎる。案の定遠巻きにこっちを見ているギャラリーからは「最低でやんすね」「うん最低最悪だな」とこっちに非難の目、目、目だ。
なんだよ仲間甲斐のない奴らだな。
その時入ってきたのはむさい男ではなく、艶めく黒髪に布では覆い隠せぬゴージャスなボディ。
「カロリーネ姐さん? なんでここに?」
答えずに彼女は、そっとロザミーナの横に寄り添う。
「つらかったね。不安なんだろう? 急に子供ができちまって」
戦場にこの人あり。娼婦という名の
「相手の男は助けてくれないし、どうしていいのか分からなくてフィストを頼ってきたんだね?」
涙を拭いながらロザミーナは頷く。
「相手の男とはもうよりを戻せないのかい?」
「分からない…」
はああ、とフィストはため息を吐き出す。
「もしかしなくても離れていく男を引き止めようと、抱いてくれって懇願したわけ? そんなのやり逃げされるに決まってるじゃん」
———黙ってな。
歴戦の
「男は所詮男だからさ、女が身ごもった後のことなんて想像つかないもんだ。産むつもりなんだろう? 大丈夫、ツテを紹介してあげるから。けど当座の費用が必要だね。金はあるのかい?」
「…ない」
「砦の警備隊のこの男なら安定した収入があると思ったんだね。いくらか用意してもらえたら、もうこんな嘘はつかないかい?」
「うん」
あーもう、いつから男と女は見返りありきになったのかな。フィストは黙って1,000
ロザミーナを見送りながら、元気で頑張れよと心の中で呟く。
「金で解決してくれて助かったよ」
「アンタ、割とクソだったんだね。遊ぶなら娼婦か人妻にしなよ」
三ヶ月前も、その時は別の女だったが、ヴェンツェルにも言われた。女
「それで何の用? 商売で来たんじゃないよね? ヴェンツェルならいないよ、女装して妻のところへ極秘帰省中」
「そうなのかい? 実はね…」
食堂に戻ると、見つめ合いこの上ない笑顔の男女。男はフィスト団のベルントで、女はカロリーネ団のナターリエだ。
「そういうこと。知らなかったな」
ナターリエには娼婦にありがちな擦れてはすっぱな感じがなく、むしろ才色兼備だ。華奢な体型はフィストの好みではなかったが、一目置いていた。カロリーネもよほど上客でなければ相手をさせないという秘蔵っ子だ。
「なんでまたベルントと?」
「山砦の戦いで助けられたんだよ」
ヴェンツェルは駆け出し
「その時お互いに一目惚れってわけね。なんだよあいつ、そんなの一言も言わなかったぞ」
ベルントはフィストにとって最初の仲間で、相方と言っていい。中流家庭に育ち、戦争が起こらなければ困らずに暮らせていたらしい。
「あの子、もう長くないんだよ」
「え?」
言われて思わずナターリエを見つめる。
「医者の見立てでは、もってあと半年だと。だから会わせてやりたくてね」
彼女はそれを伝えに来たのだろうか。笑い合う二人の姿にはそんな冷たい影はかけらも見当たらない。
「ナターリエ、いいよ、好きに過ごしな」
ボスが許可を出すと、二人は手を繋いで食堂から出て行った。
言うまでもなく、どんなに愛したところで娼婦を独占することなどできない。男も女も葛藤を抱えたまま、それでも一途に想い続ける。
そんな崇高な感情はもうこの世に存在しないと思いかけていたが、違ったようだ。
「なんだかボクだけ
「アンタにも純な頃があっただろう? 覚えてないだけでさ」
「んー、そう言ってくれると救われる」
聖誕祭の夜はもともと男だけで宴会の予定だったが、カロリーネ団が砂糖菓子や肉など色々持ってきてくれて一気に華やかになった。
「メラニー姐さぁ〜ん〜、会いたかったでやんすよぉ」
娼婦にも色々なタイプがいる。こちらは熟女専門セバスチャンのお気に入り、メラニー姐さん(生涯現役)だ。カロリーネ団はヴェンツェル団と共に転戦したため、互いに顔馴染み体馴染みなのだ。
ナターリエはベルントに伝えたのだろうか。一緒にいられるだけで幸せそうな二人を見ているうちに、フィストは迷いながらも思いを口にした。
「結婚式、挙げようか」
「えっ」
一瞬間を置いて、ナターリエの顔にぱっと花が咲く。しかしベルントは固まったままだ。
「あ、いや、ボクみたいな死神でエセ
「そんなことない。あんたに挙げてもらえるならこれ以上嬉しいことはないよ」
ベルントはフィストの過去を知る数少ない一人だ。
「ありがとう
礼を述べる顔は晴れやかで、まぎれもなくフィストに向けられたものだった。
「教書捨てちゃったから途中間違えるかもしれないし、法衣もないけどね」
するとベルントがダッシュで食堂を出て行き、ややあって教書と法衣を手に戻ってきた。
「キミの小道具か」
情報収集役のベルントはいつも聖職者に変装するのだ。
「そうきたら女は準備だよ! お前たち、ナターリエを手伝っておやり」
「「「はーい!」」」
手渡された分厚い教書をめくる。
自分が信じるものは神ではないと、八年前に捨てたはずだった。戦争オフシーズンバイトで教会の手伝いをしても、それは形式だけだ。
しかし今やろうとしているのは、仲間の為の本気のやつである。
「八年経って、ボクも許せるようになったのかな」
これもキミのせいだな、
白い法衣を纏うと、その記憶が蘇る———
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