Dearest

聖夜の奇跡

 都ディウムの王城下には、ぎっちぎちに市民が集まっている。最後にもう一度キスを投げ手を振り、より大きな歓声に送られてアドルフはバルコニーから室内へ戻った。


「もうよいな?」

 二度のアンコールに応えて出たのである。臣下全員、笑顔でお疲れ様でございました、おめでとうございましたと頭を下げた。


 デザイナーがこの日の為だけにあつらえた、輝く白地に赤のアクセント、房飾りはまばゆい金色にフワフワの毛皮を纏いの豪奢な衣装を、完璧な角度にセットされた鮮やかな紅蓮の髪を、脱ぎ捨て崩して歩きながら鎧を持てと命じる。


 誕生日は国民全員で祝う、それがヘルジェン王家の伝統だった。しかもアドルフの誕生日は聖誕祭と同日で、これも建国の英雄ヘルジェンの再来と言われる所以なのだが、とにかく王国最大の祝祭が街という街で催される。


 そんなわけで今日は七度バルコニーに出て笑顔で手を振り菓子を投げたが、帰ろうとする者は無く、熱烈なアンコールに答えて二回追加と投げキスを大盤振舞いしたのだ。


「アーディ! あぁもったいない、もう脱いじゃったのかい?」

「鎧が一番落ち着くのだ。練兵で体を動かしてくるぞ」

「それならアタシのプレゼントを受け取っておくれ」


「プレゼント? ばあが余に?」

 婆と呼ばれたバカでかい声の老女は、名をバルタザールという。不老不死を実現しようと人体改造や生物改造を主として、あらゆる動植物を研究対象としている。祖国ブレア国を異端追放され今はヘルジェンの軍事顧問だ。


 運ばれてきたものを見て、アドルフが無邪気な笑顔になる。

「おぉ…!」

「新作の鎧だよ。この間のはヴェンツェルの骨に近い耐久性だけど重かったからね、軽量化したよ。早速練兵で使ってみてくれるかい?」


 配色もアドルフ好みでガンメタのプレートメイル。だがまったく新しい金属を生成したのだろう。

「婆よ、感謝するぞ」


「陛下! またそのような格好で歩かれては困りますぞ!」

 いかめし顔で現れたのは、父王時代からの腹心ゴーラルだ。脱ぎ散らかしながら歩くアドルフはほとんど下着姿だった。従者と衣装係が慌てて追いかけてきて、鎧下を着せていく。


じいよ、今日まで怒ることはなかろう」

「関係ありませぬぞ。しかもこんな品のない派手派手しい鎧…!」

 言いながら、ギロッと睨む先はバルタザールだ。


「アンタに文句言われる筋合いないね! 気に入ってくれただろ、アーディ?」

「まぁ、」

 当たり障りのない返答をしようとしたアドルフに完全に被せて、婆は続ける。


「アタシはアーディの誕生日の為だけに作ったんだ。オマエなんてプレゼントすら用意してないくせに、偉そうな事言えたクチじゃないだろ!」


「陛下とお呼びしろと何度言わせるのだ! 新参者の貴様など知るはずもないがな、これは二歳の陛下が私にくださった手紙で」

 そう懐から取り出したのは「じい だいすき」と書かれたセピア色の紙切れだ。


「わずか二歳にしてこの達筆ぶり、そしてお優しい心! 幼子の頃より傑物であられたのだ。この爺にお手紙を…」

 目頭を押さえた爺に、クソッタレという婆の顔。


「オマエなんざ使い古しの捨て駒だがね、アタシはアーディの手足だ。オマエと違って本物のな」

 生身の手足と何ら変わりなく動くアドルフの義手義足は、バルタザールが作った。

「貴様愚弄するか!!」


「二人とも、そこまでにせよ」

 アドルフの一喝に二人とも黙る。


 爺の方は、アドルフの一番の側近というポジションを婆に奪われるのではと危惧と嫉妬の入り混じった感情を抱き、婆の方はアイツの顔がキライだねと、顔を合わせればこうなる。


「二人とも余にはかけがえのない存在なのだぞ、頼むから仲良くしてくれ」

 で、いつも仲裁のアドルフだった。仕方ない、これも人気を集めすぎる己の応報なのだから。


「それでじいは何の用だ?」

「はっ、失礼しました。この書物を陛下にプレゼント致そうと」

「プレゼント? ドウール国の書か」


 東の海を隔てた大陸の南方に位置する国で、新たな貿易相手として開発交渉にかかるところだ。


「かの国の歴史や風土をまとめた貴重な書物であります」

 まだ翻訳されていない。しかしアドルフは既に通訳なしで使者とやり取りするレベルだった。


「爺よ、よく手に入れてくれたぞ」

「勿体ないお言葉に存じます」

「フン、時代劇じゃあるまいし」

「おのれ!」


「婆、今日は喧嘩は無しと言ったぞ。それから鎧の色はやっぱり黒に変更だ。爺もこれで文句ないな?」


 衣装係と従者が鎧を留めていく。すると今度は、ヘアメイク係と食事の支度や掃除をするメイドたちが固まってやってきた。

「陛下、お誕生日おめでとうございます。私たちからのプレゼントでございます」


 渡された黒い布を広げると、寝巻き用のガウンだった。

「これは美しい。手間がかかったろう」

 ガウンの襟元、袖口、裾には色とりどりの花や蝶の細かい刺繍が施されていた。


「平素の感謝を込めて、私たち皆んなで縫い上げました」

「つまりこれを着て寝る時はいつも、余はお前たちに抱かれているというわけだな」

 その笑顔はメイドたちのハートを全方位から撃ち抜いたようだ。キャー! という悲鳴のような甲高い声に満足する。


 それから城内を進むたび、次から次へとプレゼントを持った臣下が現れる。運輸大臣からは実在の艦船を模した精巧なボトルシップ、農産大臣からは希少な黄金絹の下着、ぶろまいど画家からは等身大1/1サイズの『投げキスのアドルフ陛下』誕生日限定パネル、宝石商からは腕が上がらないほど重たそうな腕輪をデコレーションし金箔が貼られたバースデーケーキ…などなど。


 あっという間に持ちきれなくなり、従者三人の両腕もいっぱいになった。

「…部屋に戻るか」

 早く練兵に行きたいが、その辺に放置するわけにもいかない。


 戻る間も、新作のチョコレートだとか、美肌に良いハーブだとか、折り紙で作った花だとか、きりがない。


「フォードン煉瓦レンガ窯からこちらが届いております」

 と、煉瓦ブロックがデンと置かれていた。赤と緑の聖誕祭カラーのリボンで装飾され、表面にはAの文字が刻まれている。

 アドルフのA、そしてヘルジェン語で「愛」の頭文字である。


「奴隷たちが我こそはと丹精込めて作ったと、ヤム監督が申しておりました」

 あの無口で常に不満気な施設監督のヤムがプレゼントなどかつて一度も無い。しかも赤と緑で不器用にデコってよこすとは。

「…なぜだ」


 さすがに違和感を覚えて自室に入ると、黒ずくめのガロンがふっと空間から現れる。

「ちょうど良い。練兵に出てくるからお前も整理を手伝え」


「陛下、俺も陛下へのプレゼントにぽえむを作りました。歌ってもいいですか」

「お前も!? ていうかお前そんな趣味あったのか?」

 ガロンは頷いて、そのボソボソしたコシのない声で歌い始めた。


 愛 死が二人を分かつまで 

 闇に浮かぶ花 この身は貴方に捧げる供物

 信じるほど遠く 貴方は月の彼方に

 聖なる夜 終わらない接吻を


 たとえ何を言われようとも国民感情に寄り添い、最後まで神妙かつ真摯な顔で耳を傾けるのが王の責務である。だが、この時ばかりはどんな顔になっているか自信がなかった。

 しかしガロンは気にした様子もなく、少し頬を赤らめて消える。


「失礼致します陛下」

「こっ今度はなんだ!」


 ひきつった王の顔に、殺されるぅ!? と従者は戦慄したようだがすぐに姿勢を正し、「王后陛下がお呼びでございます」と伝えてきた。


「母上が?」

 病の母をこちらから見舞うことはあっても、向こうから呼び出されるなどここ数年無い。さすがに鎧姿で参上するわけにはいかず、アイコンタクトで飛んできた従者が留め具を外していく。


「失礼します」

 いつもの地味な服に着替え、訪問した先は寝台に体を起こした母だ。白髪交じりの紅の髪を結い、肩にショールを掛けて待っていた。


「誕生日おめでとう。忙しいのに呼び立て申し訳ないですね」

「いいえ、母上が健やかに過ごされることこそ、私にとって最上の喜びですよ」


「これを」

 母が指さしたのは、寝台横のテーブルに置かれた木箱だった。促されて開けると、クッキーが入っている。


「私が作りました。プレゼントです。食べてみてください」

 王妃だった母が手作りしたものを食べたことなど、無論ない。口に入れると、それは何と言うことのない素朴なクッキーだった。


「これを母上が作られたのですか。なぜ———」

「あなたには一度も誕生日にプレゼントを贈ったことがありませんでしたから、何をすれば良いのか分からなくて。情けないですね、実の母なのに。そうしたらマンフリート殿が話してくれたのです。幼い頃、母君が焼いてくれたクッキーが嬉しくて今でもよく覚えていると」


「…私の為に無理はなさらぬように。感謝します」

「どうか皆への感謝を忘れずにね。よい聖誕祭を過ごしてください」


 自室に戻るとようやく静かになった。ひとり、気に入りの椅子に座ってクッキーの木箱を見つめる。


 母から母親らしいことをしてもらった記憶はない。幼い頃、同じ城に暮らしても会うのはよくて三日に一度だった。別段憎く思うわけでもなければ、甘えたり反抗した記憶もなく、乳母や爺の方がよほど身近な存在だった。


 母の老い先がもう長くはない事を、アドルフも母自身も承知していた。最初で最後のプレゼントになるかもしれない。

 クッキーを一つ取り出して口に入れると、たっぷりした発酵バターの香りと甘さが広がる。素朴な味わいは、しかしまぎれもなく格別なものだった。


「失礼します」

「なんだ、珍しいな」

 入って来たのはイシュタルだ。


「プレゼントで地下に奴隷を用意しました。お好きなように叩き斬ってください」

「…今はそんな気分じゃない」

 過激な言葉を平然と口にして去ろうとする妹を、アドルフは呼び止めた。


「母上が作ってくださった。食べてみろ」

「母上が? …おいしい」

 目を丸くしたイシュタルが微笑む。


「ブレア王家では母君が作ってくれたそうだ」

「そうなのですか…。王妃が一般的な母らしいことをする国もあるのね」


 いつかお前もしてやるがよい。そう言いかけてやめた。代わりに投げかけたのは我ながら雑過ぎる質問だった。

「あいつとは上手くいってるのか」


 聞くまでもない。以前は読んだ本の感想をよく聞かせにやって来たのが、公務以外では一切訪れてくれなくなった。これでは男に可愛がられないだろうなと思っていたトゲトゲしさが削れて、我が妹ながら幸せオーラを纏った美しさは輝くばかり。全力で愛し愛される喜びは周りの空気を変えてしまうほどなのだ。


「ま、男なんてのは80になって耄碌もうろくしても、まだおっぱいおっぱい言う生き物だからな。アテにしないことだ」

「アテ? 何が言いたいのですか」


 兄の気持ちなど察するはずがない。そういう妹だ。バカなことを言ってしまったと後悔する。


「あいつはどこにいる」

 気を取り直して、声色まで変える。

「私の執務室で、外務大臣から講義を」

「至急来るよう言え」


 現れたマンフリートは、水色の瞳をキラリとさせた。

「お気に召したか?」

「母上までとは言ってない」


 二週間で臣下、幕僚、官僚を掌握しろ。

 それがアドルフが与えた課題だった。


「合格だろう?」

「フン、人の誕生日を利用しやがって」

 マンフリートは無邪気な少年のように笑う。

「今、外務大臣から東の大陸の情勢を教わっていた。行ってみたいものだな」


 ヘルジェン国の西側はブレア国に接していて、東側は海に面している。その向こうには別の大陸が広がっているのだ。現在交流がある国以外にもまだ見ぬ世界がある。

 本当なら自ら艦船を率いて足を踏み入れたい。この目で見てみたい。

 しかし帝国の影が消えぬ限りアドルフが王国を離れるわけにはいかず、かなわぬ望みなのだ。


 しかしこの男が行くなら———

 死んでもその先を言うものかと思いながら、あぁ、結果は出したと認めてやることにする。


 目が合うとマンフリートがはにかむ。

「おめでとう。聖誕祭で誕生日なんだ、今日くらいは帝国のことも戦のことも忘れて、海の向こうの世界の話をしないか」


 帝国が消え戦争が終わる。好きに生きる。

 聖夜といえど、そんな奇跡は起こらない。


 しかしその夜、イシュタルの執務室に大きく広げられた地図を前に、外務大臣や爺が先に寝落ちしてもなお、三人の話と笑い声が尽きることはなかった。

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