最終話 二人の契約
クロードの足が治るまで教会と孤児院の手伝いを頼まれ、ヴェンツェルは滞在を延長していた。そのおかげもあり、子供たちは日常を取り戻してきている。
最初、ターニャが一緒に食事を作ろうと言うので手伝ったが、半分以上身が無くなった芋をすくったヨハンに「ありえん」と呟かれ、翌日にはお役ご免となった。
「人には向き不向きがあるからね、気にしない気にしない」
クロードの鞄を肩にかけ車椅子を押して、向かう先は隣街の合同役場だ。
村に一人の
この日もだいぶ前から依頼の測量結果や届書を提出に行くのだが、作成はヴェンツェルが手伝ったのだった。
「字はきれいだし早いし、言うことなしだ。来年もオフの間はここに来てバイトしないかい? 給金はあんまり出せないけど食事と寝床付きで」
「来年もって…」
家だと思っていつ来てくれてもいいと確かに言ってくれたが、遠慮なく上がり込めるほどヴェンツェルは図々しく育っていない。
「子供たちはみんなあなたが好きだ。それに、私にとってもあなたはもう身内だよ」
「それは嬉しいが…」
肝心な男の同意をまだ得ていないのだ。
「そこはちゃんと言葉にしないと。彼が自分からは言わないの知ってるでしょう」
煮え切らないヴェンツェルに、クロードは微笑んだ。
「私の知るヨハンは、いつも私たちの為に何かしなきゃと必死だった。ここでさえそうなのだから、戦場なら尚更だと思う。
街に入ると顔見知りの住民からこんにちはと声をかけられ、クロードはいいお天気ですねと返す。
「あなたと出会ったことで、なんていうかな、彼は大きくなったと思う。命をすり減らして恋人にすがりついていた男が、少し離れたところから群れを見守る父親になったみたいにね」
あの山で見た、気高く美しい毛並みの
「そうだな、あいつは翠狼みたいに強くてきれいだ」
「そして彼にもう一つの居場所を与えてくれるのは、あなただよ」
「だから私はそういう女の子とかじゃないし、金も
「けどこのまま別れたら後悔しない? 彼は今フリーだよ?」
あらゆる傭兵団が恐れ疎みながらも欲しがる『孤狼のヨハン』。こんな機会はもう二度とないのは確かだ。
「…あんたも人の心が読めるのかい」
「はははっ、まさか。でもそう言うってことは、もう心は決まっているんでしょう?」
くそ、一本取られた。薄くなった後頭部を見ながら、下り坂で車椅子から手を放してやろうかと思う。
「なら言うしかないじゃない。あー、いいねぇこういうの大好き!」
勝手に盛り上がってろとヴェンツェルは心の中で毒づいた。
大通りに入ると急に人が増えて、庁舎が見えてくる。
「さっき、ヨハンを
そう呼んでくれたのはクロードが初めてだ。車椅子を押す手に力を入れて、口角が上がりそうになるのをごまかす。
「まだ誰にも言ってないけど、登る山はもう決めてあるんだ。挑戦してみたい相手がいる」
「へえ、教えてよ」
「とにかくいけ好かない奴なんだよ。超絶イケメンであらゆる語学に秀でて、剣術槍術弓術どれもマスタークラスで金持ちで王族で、人類の最高傑作みたいな奴でさ———」
◇◇◇◇
そしてクロードの傷が癒え、春の気配が舞い降りたある日のこと。
「話がある」
真剣な顔でヨハンは呼び出された。
「これから出かけようって時にそんな顔でなんだ。急ぎなのか?」
「あ、もしかしてデート?」
「…だから何の用だ」
「じゃあ帰ってからでいい。今日はバイト休みだし、部屋で待ってるから」
そんな言われ方をしては気になって仕方ない。おかげで気が散って、食事も散歩もそこそこに切り上げて帰ってきてしまった。たぶんもう二度と誘ってくれないだろう。
裏庭に回ると、ヴェンツェルはトーゴに剣術を教えている。この一ヶ月間で驚くほど様になったのは、教える方も教わる方もかなりのセンスがあるということだ。
鐘が鳴り、トーゴはクロードの手伝いの時間だ。ヴェンツェルが一人になったのを見計らって近づく。
「なんだ、随分早いお帰りだな。フラれたのか?」
「誰のせいだと思ってる」
男物のシャツにパンツ、ブーツを合わせたヴェンツェルは手にしていた棒を置くと、少し緊張した瞳で一つ息を大きく吸った。
「私と契約してほしい」
心地良いような緊張感がダイレクトに伝わってきたが、ヨハンは表情を変えずに答える。
「俺はそこそこ有名で契約金は安くはないが」
「わかってる。私みたいな実績もコネも金もない
今まで勝つため、生き延びるためには戦ってきたが、
「斬られても撃たれても死なないこの体で、私は必ず強くなってみせる。それにあんたが私の名を上げてくれれば、
「俺に頼んでるのか? それとも利用したいのか?」
「どっちでもいいさ。もう少しあんたと旅がしてみたいし、それにあんたが許してくれるなら、またここで冬を過ごしたいんだ」
「それはクロードも子供たちも喜ぶだろう」
「あんたは?」
「………っ」
いきなり問われて、思わず詰まる。
「言えないって顔だな?」
ヨハンの表情を覗き込むようにヴェンツェルがにじり寄ってくる。
「私にもあんたの心なら読めるぞ」
「う、嘘言え」
半歩の距離まで詰められ、ヨハンの喉仏が上下する。
「当ててみようか。契約金は1,000
「ばっ…!? 見当外れだ! それにそんな安すぎる契約があるか」
「それじゃ、もう一つの方。この先何が待っているのか私と共に見てみたいと思ってる。違うか?」
「そ……」
否定できないヨハンに、ヴェンツェルは唇の端を上げる。
「契約成立だな。金はクロードに渡せばいいな?」
いいのか、こんなことで。1,000
けれど面白いかもしれない。そんな初めての予感にヨハンも唇の端を上げた。
「…言っておくが、おまえが名を上げるまでの契約だ。一緒にいても無駄だと判断した時点で打ち切るからな」
「言ってくれるな。けど、あんたの
「やってみろ。やれるものならな」
共にその先へか———。あぁ、悪くないな。
それからもうすぐ四年になる。
今や戦場で『鋼鉄のヴェンツェル』の名を知らぬ者はいない。しかし旅の間、二人きりの世界は静かで温かく、あの頃と何も変わらなかった。
「一番心配なのはクロードの後頭部だな」
「おまえ…それ本人に言うなよ。意外と気にしてるんだぞ」
「わかってるよ。あ、ターニャ! おぉーい!」
ヴェンツェルが手を振ると、教会の前で掃き掃除をしていたターニャが振り返り、
「ヴェンツェル! 会いたかったよぉ…ちっとも手紙くれないんだもん」
「ごめんごめん、私も会いたかったんだよ。すっかりお姉さんじゃないかターニャ」
「おかえりなさい、ヨハン」
ターニャはエッダが着ていたのと同じ尼服を身に着けていた。抱擁するとエッダの匂いがするようだ。
「ただいま。みんな元気か?」
「うん。トーゴがずっと修行しながら待ってるよ、おれも傭兵になるって」
「修行?」
「一人で頑張ってるよ。ヴェンツェルに勝って絶対おっぱい見てやるんだって」
「えぇ? 四年越しに期待されるほどじゃないんだけどな」
二人の会話を聞きながら聖堂へ歩き出すと、正午を告げる鐘の音が冷たい空気に響き渡る。
冬が好きではなかった。
けれど、ヴェンツェル団で過ごした賑やかな季節に、降り積もった雪は静けさを際立たせるだけのものではなくなった。そこには共に歩んできだ足跡がはっきりと残っている。
そして冬の家で待つべき相手を1,000
「…ドケチが伝染したな」
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