最終話 二人の契約

 クロードの足が治るまで教会と孤児院の手伝いを頼まれ、ヴェンツェルは滞在を延長していた。そのおかげもあり、子供たちは日常を取り戻してきている。

 最初、ターニャが一緒に食事を作ろうと言うので手伝ったが、半分以上身が無くなった芋をすくったヨハンに「ありえん」と呟かれ、翌日にはお役ご免となった。


「人には向き不向きがあるからね、気にしない気にしない」

 クロードの鞄を肩にかけ車椅子を押して、向かう先は隣街の合同役場だ。


 村に一人の司祭セルクロードは神の代弁者であると同時に、裁判官であり、公証人であり、書士である。一人では追いつかず、机の上にはいつも書類が積み上がっている。


 この日もだいぶ前から依頼の測量結果や届書を提出に行くのだが、作成はヴェンツェルが手伝ったのだった。

「字はきれいだし早いし、言うことなしだ。来年もオフの間はここに来てバイトしないかい? 給金はあんまり出せないけど食事と寝床付きで」


「来年もって…」

 家だと思っていつ来てくれてもいいと確かに言ってくれたが、遠慮なく上がり込めるほどヴェンツェルは図々しく育っていない。


「子供たちはみんなあなたが好きだ。それに、私にとってもあなたはもう身内だよ」

「それは嬉しいが…」

 肝心な男の同意をまだ得ていないのだ。


「そこはちゃんと言葉にしないと。彼が自分からは言わないの知ってるでしょう」

 煮え切らないヴェンツェルに、クロードは微笑んだ。


「私の知るヨハンは、いつも私たちの為に何かしなきゃと必死だった。ここでさえそうなのだから、戦場なら尚更だと思う。異界テングスとこの世の狭間で一人、自分の居場所を求めてもがいていた。しかしあなたと帰って来た時、彼は変わっていたんだ」


 街に入ると顔見知りの住民からこんにちはと声をかけられ、クロードはいいお天気ですねと返す。


「あなたと出会ったことで、なんていうかな、彼は大きくなったと思う。命をすり減らして恋人にすがりついていた男が、少し離れたところから群れを見守る父親になったみたいにね」


 あの山で見た、気高く美しい毛並みの翠狼グリファの雄を思い出す。

「そうだな、あいつは翠狼みたいに強くてきれいだ」

「そして彼にもう一つの居場所を与えてくれるのは、あなただよ」


「だから私はそういう女の子とかじゃないし、金も傭兵団長クロムの実績もないし」

「けどこのまま別れたら後悔しない? 彼は今フリーだよ?」

 あらゆる傭兵団が恐れ疎みながらも欲しがる『孤狼のヨハン』。こんな機会はもう二度とないのは確かだ。


「…あんたも人の心が読めるのかい」

「はははっ、まさか。でもそう言うってことは、もう心は決まっているんでしょう?」

 くそ、一本取られた。薄くなった後頭部を見ながら、下り坂で車椅子から手を放してやろうかと思う。


「なら言うしかないじゃない。あー、いいねぇこういうの大好き!」

 勝手に盛り上がってろとヴェンツェルは心の中で毒づいた。

 大通りに入ると急に人が増えて、庁舎が見えてくる。


「さっき、ヨハンを翠狼グリファみたいだと言ったね。あなたもそうだよ。頂上目指して進むことだ、傭兵団長クロムヴェンツェル」

 そう呼んでくれたのはクロードが初めてだ。車椅子を押す手に力を入れて、口角が上がりそうになるのをごまかす。


「まだ誰にも言ってないけど、登る山はもう決めてあるんだ。挑戦してみたい相手がいる」

「へえ、教えてよ」


「とにかくいけ好かない奴なんだよ。超絶イケメンであらゆる語学に秀でて、剣術槍術弓術どれもマスタークラスで金持ちで王族で、人類の最高傑作みたいな奴でさ———」



◇◇◇◇


 そしてクロードの傷が癒え、春の気配が舞い降りたある日のこと。

「話がある」

 真剣な顔でヨハンは呼び出された。


「これから出かけようって時にそんな顔でなんだ。急ぎなのか?」

「あ、もしかしてデート?」

「…だから何の用だ」

 異界テングスの声が聞こえない。こいつ、一体何を企んでる。


「じゃあ帰ってからでいい。今日はバイト休みだし、部屋で待ってるから」

 そんな言われ方をしては気になって仕方ない。おかげで気が散って、食事も散歩もそこそこに切り上げて帰ってきてしまった。たぶんもう二度と誘ってくれないだろう。


 裏庭に回ると、ヴェンツェルはトーゴに剣術を教えている。この一ヶ月間で驚くほど様になったのは、教える方も教わる方もかなりのセンスがあるということだ。

 鐘が鳴り、トーゴはクロードの手伝いの時間だ。ヴェンツェルが一人になったのを見計らって近づく。


「なんだ、随分早いお帰りだな。フラれたのか?」

「誰のせいだと思ってる」


 男物のシャツにパンツ、ブーツを合わせたヴェンツェルは手にしていた棒を置くと、少し緊張した瞳で一つ息を大きく吸った。

「私と契約してほしい」


 心地良いような緊張感がダイレクトに伝わってきたが、ヨハンは表情を変えずに答える。

「俺はそこそこ有名で契約金は安くはないが」


「わかってる。私みたいな実績もコネも金もない傭兵団長クロムじゃ、あんたが納得できるような契約は結べない。けど、私は必ず成り上がってみせる。だから私にはあんたが必要なんだ。私のために戦ってくれ」


 今まで勝つため、生き延びるためには戦ってきたが、傭兵団長クロムのために命を張ったことはない。なんだこの唯我独尊団長は。何も持ってないくせに。


「斬られても撃たれても死なないこの体で、私は必ず強くなってみせる。それにあんたが私の名を上げてくれれば、免状ウェイスの取得だって夢じゃない。そしたら言い値の報酬を払うし、今日までの滞在費を払わせてもらう。どうだい?」


「俺に頼んでるのか? それとも利用したいのか?」

「どっちでもいいさ。もう少しあんたと旅がしてみたいし、それにあんたが許してくれるなら、またここで冬を過ごしたいんだ」

「それはクロードも子供たちも喜ぶだろう」

「あんたは?」


「………っ」

 いきなり問われて、思わず詰まる。

 

「言えないって顔だな?」

 ヨハンの表情を覗き込むようにヴェンツェルがにじり寄ってくる。

「私にもあんたの心なら読めるぞ」

「う、嘘言え」

 

 半歩の距離まで詰められ、ヨハンの喉仏が上下する。

「当ててみようか。契約金は1,000Wワム。成功報酬はしばらく飯代でいい。どうだ?」

「ばっ…!? 見当外れだ! それにそんな安すぎる契約があるか」


「それじゃ、もう一つの方。この先何が待っているのか私と共に見てみたいと思ってる。違うか?」

「そ……」

 否定できないヨハンに、ヴェンツェルは唇の端を上げる。


「契約成立だな。金はクロードに渡せばいいな?」 

 いいのか、こんなことで。1,000Wワムでこき使われる自分の未来が見えた気がする。

 けれど面白いかもしれない。そんな初めての予感にヨハンも唇の端を上げた。


「…言っておくが、おまえが名を上げるまでの契約だ。一緒にいても無駄だと判断した時点で打ち切るからな」 

「言ってくれるな。けど、あんたの傭兵団長クロムは私だと必ず認めるようになるさ。覚悟しなよ」

「やってみろ。やれるものならな」


 共にその先へか———。あぁ、悪くないな。




 それからもうすぐ四年になる。

 今や戦場で『鋼鉄のヴェンツェル』の名を知らぬ者はいない。しかし旅の間、二人きりの世界は静かで温かく、あの頃と何も変わらなかった。


「一番心配なのはクロードの後頭部だな」

「おまえ…それ本人に言うなよ。意外と気にしてるんだぞ」

「わかってるよ。あ、ターニャ! おぉーい!」


 ヴェンツェルが手を振ると、教会の前で掃き掃除をしていたターニャが振り返り、ほうきを投げ出して走ってくる。胸に飛び込むとバキバキの胸骨に負けて「痛っ」と笑いながら、もう一度ギュッと飛びついた。


「ヴェンツェル! 会いたかったよぉ…ちっとも手紙くれないんだもん」

「ごめんごめん、私も会いたかったんだよ。すっかりお姉さんじゃないかターニャ」


「おかえりなさい、ヨハン」

 ターニャはエッダが着ていたのと同じ尼服を身に着けていた。抱擁するとエッダの匂いがするようだ。


「ただいま。みんな元気か?」

「うん。トーゴがずっと修行しながら待ってるよ、おれも傭兵になるって」

「修行?」


「一人で頑張ってるよ。ヴェンツェルに勝って絶対おっぱい見てやるんだって」

「えぇ? 四年越しに期待されるほどじゃないんだけどな」


 二人の会話を聞きながら聖堂へ歩き出すと、正午を告げる鐘の音が冷たい空気に響き渡る。


 冬が好きではなかった。

 けれど、ヴェンツェル団で過ごした賑やかな季節に、降り積もった雪は静けさを際立たせるだけのものではなくなった。そこには共に歩んできだ足跡がはっきりと残っている。


 そして冬の家で待つべき相手を1,000Wワムで手に入れたのは、人生最大の儲けものかもしれないと思う。


「…ドケチが伝染したな」

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