5 クロムと少女
二日後、クロードが紹介してくれたのは居酒屋給仕のバイトだった。小さな村では最も賑わう場所で、隊商が立ち寄ることもあるし、用心棒などの傭兵仕事の仲介屋と接触することもできる。
しかし仲間なし、
「あんた一人? 免状ねえんだろ。しかも女ときた。そんな奴を雇う物好きがいると思うか?」
と、だいたいこんなものである。
傭兵は誰をボスにするかが全てと言っても過言でない。力のある
「叩き上げだからこそ必要なんだよなぁ」
ヴェンツェルをスカウトし、傭兵の基本を根気よく教え込んでくれた
昼間は子供たちの世話をしたり、薪割り、買い出し、教会の手伝いで夕方からバイト、帰るのは深夜だった。店主とともに戸締りをして外に出ると、小雨が降っている。
帰り道を小走りに進むと、こんな時間に孤児院の少女を見かけた。ターニャ、と声をかけそうになって、隣に男がいることに気づく。小太り体型で遠目に見ても脂っぽいオヤジだった。
「妙な取り合わせだな」
オヤジはターニャの肩を抱いて、いかにも目立ちたくないようにサッと建物の中に入っていく。
ターニャは孤児院では最年長で、十一歳と言っていた。しばらく迷う。
「…予想が外れだといいんだけど」
ヴェンツェルは踏み込むことにした。
音を立てぬよう静かに侵入する。平屋の小さな建物で、かすかな灯りが漏れている部屋から声がする。
それはターニャのすすり泣く声と、男の猫なで声だった。
「泣かんでもいい。怖くはないぞ。ほれほれ、可愛らしい体をおじさんに見せておくれ」
気持ち悪いっつうの。一息に扉を蹴り飛ばす。
「ひいっ!?」
そこは外れてほしかった予想通りの図だった。
二歩でオヤジをつかんでターニャから引き剥がし、改造強化された鋼鉄の拳で殴りつける。でぶった体が寝台から落ちてバウンドし、ヴェンツェルが上から押さえつけて腕を振ると、鼻と口から赤が散った。更に肝臓を狙って強烈なのをお見舞いする。男は体を折って動けなくなった。
「もう大丈夫だ。さあ帰るよ」
涙を流して震えるターニャに服を着せると、手を握って外に出た。雨は冷たいが、オヤジの脂臭がこもった部屋からようやく息が吸えた気がする。
「あのオヤジは誰だい?」
手を離さずに、濡れながらしばらく歩いてターニャの嗚咽がおさまると、ヴェンツェルは問いかけた。
ターニャが給仕として働く食堂の店主だという。
「あたし、今日もお金間違えて怒られたんだ。お前みたいなどん臭くて不細工な娘なんか雇ってくれる店がほかにあると思うかって。仕事を続けたかったら、今夜来いって…」
虫唾が走る思いだった。どうしてオヤジの醜い欲のためにこの子が心に傷を負わなきゃならない。
「そんな店、すぐ辞めちまいな。あんたにもっと合う仕事が見つかるよ」
「ねぇヴェンツェル、どうしたらあたしも強くなれる?」
目に涙を溜めて言うターニャがたまらなくなり、ヴェンツェルはギュッと抱きしめた。
「強く見えるかい? でもね、私もあんたと同じなんだよ。金も実績もコネもなくて、誰にも相手にしてもらえない。けど女と知れたら、やらせてくれたら考えてやるだとさ。悔しいよな」
我ながらなんて情けない。こんな小さな子相手に何を吐き出しているのか。
「ヴェンツェルが? あたしとおんなじ?」
「そうだよ。でもあんたには助けてくれる家族がいるじゃないか。孤児院に迷惑かけたくない気持ちはわかるけど、一人で抱えることなんてない。甘えてもいいんだよ。クロードだってそう言うはずさ」
ターニャは小さく、一度だけ頷いた。
「今はつらくても、私みたいに腕っぷしだけ強くなろうなんて思っちゃいけないよ。優しいあんたには似合わない」
いいや、腕っぷしだって強くなんかない。考えまいとするが、空しい無力感がどうしようもなく全身を絞めつけてくる。
すると、駆け足に人の気配に警戒したがヨハンだった。
「ターニャ! こんな時間に一人でどこへ行ってたんだ。みんな探してるぞ」
「ごめんなさい…」
教会に戻るとターニャのことはエッダに任せて、事の顛末をヨハンとクロードに説明した。
「あの店主がそんな男だったとは…。ターニャを危険な目に遭わせたのは私の責任だ。ヴェンツェル、本当にありがとう」
クロードは深々と頭を下げたが、そんな必要ないと笑ってみせてまっすぐに部屋へ向かった。
◇◇
エッダから湯気が立つカップを二つ渡されて、扉をノックしたヨハンは少々面食らった。
雨に濡れたヴェンツェルはエッダから貸りた前合わせの単衣に着替えていたが、小さなエッダと大きなヴェンツェルなのでサイズが合わない。普段は隠されている手足が、白い石鹸のように滑らかな質感だったのだ。
「風邪をひかないようにってエッダから」
「そんないいのに…、逆に悪いな」
カップを渡し、招き入れられた狭い部屋は大人が二人いれば窮屈さを感じるほどだ。思いのほかふっくらと緩んだラインの太腿とふくらはぎに目がいってしまい、顔をそらした。
小さなテーブルに向かい合って、生姜の蜂蜜漬けを熱い湯で溶いたのをふうふうしながらヴェンツェルは何も言おうとしない。いつもと様子が違うのは声を聞かなくても分かる。
「中途半端だ」
「?」
「報復されたらどうするんだ。おまえが襲われる分には構わないが、ターニャがまた狙われるかもしれないだろ。やるなら報復する気も失せるくらい徹底するべきだ」
「…そうか、切り落とせばよかったかな」
ヴェンツェルは立ち上がると、壁に吊るした巾着袋から金を出した。
「今日までの滞在費だ。いつまでも世話になるわけにいかないし、明日か明後日には出発しようと思う」
「金はいらない。俺は一冬越せるくらい充分稼いだし、孤児院の分も足りてる。おまえは命の恩人だ。俺が死んだらここは立ち行かなくなるから、エッダもクロードもおまえには感謝してもしきれないと言っている」
テーブルに置かれた金にヨハンは触ろうとしなかった。
「
「それは私じゃなくてあんたが依頼されてるんだろう。そこまで甘えられない」
「
「そんなこと分かってるよ!」
ヴェンツェルは湿った髪をかきあげ、顔をそむけた。しかしこらえきれなかったのだろう、手の甲で乱暴に目を拭う。
金を受け取って明日には別れればいいのに、それで終わればいいはずなのに、なぜわざわざ引き延ばすようなことを言ってしまったのだろう。
手を伸ばしそうになり、ヨハンはぐっとそれを抑えた。
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