4 冬の家

 教会の裏庭で、ヴェンツェルと子供たちの鬼ごっこをヨハンはぼんやりと眺めていた。

「そろそろ食事にしましょうか」

 後ろからゆったりした声をかけてきた老女は尼姿で、名をエッダという。子供はここで保護している孤児たちだった。


「まだ終わらなそうだよ」

 全員、もういっかいぃー! と既に走り出している。

「まあまぁ、楽しそうだこと」

 雪が残っているというのに両袖をまくり上げたヴェンツェルが追いかけていく。


 すると急にクルッと振り返って止まったリーダー格のトーゴが、ちょっと反抗的な顔で怒鳴る。

「お前ほんとは女なんだろ! おっぱい見せろよ!」

「そういうことは私を倒せるようになってから言いな!」

 ヴェンツェルが飛びかかっていき、今度は相撲が始まった。


「懐かしいわね。あなたもこんな風に遊んでもらって、それで傭兵になったのだものね」

 たまたま村に立ち寄った傭兵団が気のいい奴らで、遊んでくれたのだ。戦いごっこでヨハンの類い稀な剣才に気付いた傭兵団長クロムが、自分に預けてほしいとエッダを説得した。ヨハンが十三歳の時だった。


「最初にあの団長クロムに雇ってもらえたのは幸運だったな。戦死して何年も経つけど、あの人を超える団長には未だ出会ってないよ」

「神さまのお導きなのでしょう」


 エッダはヴェンツェルを見つめた。

 トーゴを投げ飛ばした後、今度は他の子供と追いかけっこ相撲になった。つかまえられると地面に転がされコチョコチョ大会で、甲高い声とともに子供たちのテンションは最高潮になる。


「あなたがあの人を連れて来たのも、神さまのお導きだと思っていますよ。話したのでしょう?」

 トーゴは一人、端っこに座り込んで雑草をブチブチ抜いている。女に負けたというのが悔しいのだろう。


「…うん。見たことない反応だった。あと、知りたくもないのに知ってしまうのはつらいだろうって、エッダと同じことも言ってた」

 エッダは微笑むと、よいしょと立ち上がった。


「子供たち! 食事の時間ですよ。手を洗って、お祈りをしてね」

 はぁーい! と子供たちが一斉に建物へ走っていく。エッダはにこにこしながらその後を追った。


「あー、久しぶりに走り回ったな」

 隣に座ったヴェンツェルの刈り上げたうなじから、ふわりと柔らかい香りがする。エッダに髪を切ってもらったのだ。


「ここはあんたが育った場所なんだろう? みんな素直でいい子だよな。エッダのおかげなんだろうな」


 山からは二日かからず集落に下りることができ、そこから一日歩いてこのサルーガ村までたどり着いた。それからもうすぐ二週間になる。傷の経過は良く、痛みはあるが動作に不自由はない。


「いたいた、ヨハンにお客さんだよ。キレイな感じの娘さん」

 呼びに来たのは、小さな教会を切り盛りする村に一人しかいない司祭セルクロードだ。細っこい体に、まだ四十歳にならないが後頭部が既に寂しい。


 最近毎日やってくる娘だろう。ヴェンツェルがニヤッとしてきたので「羨ましいか」と言い返してやった。

「べっつに!」

「午後、剣の相手になれ。リハビリにちょうどいい」

 

 去っていくヨハンの背中を見送ると、クロードが話しかけてきた。

「昔からね、彼はモテるんだよ」

「あんな無愛想で黙ってるだけなのに?」

「まったく許せないよね」


 ヨハンがしていたことといえば、聖堂周りの清掃と雪かきくらいのものである。ヨハンから女子に話しかけるなど断じて想像できない。

 しかし端正な顔と抜群のスタイルに加え、容易には触れがたいシャープな空気を纏う姿は、逆に異性の興味を惹きたてるのかもしれない。


「あいつはどんな子供だったんだ?」

 そうだねえ、とクロードはヴェンツェルの隣に掛けた。


「私が一緒だったのは最後の二年くらいだけど、大人びてたというか、今と変わらないように思うよ。人のシンを知るとはそういうことなのかな。あなたは彼をどう思う?」

 子供らしくない子供だったのかなと想像がつく。


「世間で言われてるイメージとは大分違うみたいだな」

「そういう回答じゃなくてさ、一人の男としてどう思ってるのかを聞いてるんだけどな」

「はあ!?」


「だって、彼が女の子連れて来たのなんて初めてだよ?」

「女の子とかじゃないし! 見ればわかるだろう!」

「興味あるなあ。女だてらに剣振り回して、ぬるい生き方は許されなかったわけでしょう?」


 冷たい風が汗を冷やし、ヴェンツェルは袖を戻した。

「そのうち話す。それより今、ワム無しなんだ。もちろん滞在分は返すつもりだが、その、まだアテが無くて。土木作業でも何でもやるから、仕事を紹介してもらえないだろうか」


「ここの運営は、ほとんどヨハンの稼ぎで成り立ってるんだ。彼の金庫代わりなんだけど。だから滞在費のことは彼と決めてね」

 孤狼が稼ぎのほとんどを孤児院に寄付しているなど、誰が想像するだろうか。


 独立したてでワム無しなのは、最初に契約した二人組に騙し取られたのだった。高額な社会勉強だったと思うしかないが、それからというもの人間不信である。

 

 クロードにはそれが分かったのだろうが、口にはしなかった。代わりに「こうしてあなたと会えたのは縁だ。家だと思っていつ来てくれてもいいんだよ」と言ってくれた。


 厳格な親の方針に背いて改造手術を受け、縁を切られたヴェンツェルには帰る家がなかった。元いた傭兵団からは独立した。今、仲間はいない。

 なんと答えていいのかわからなくて、少しだけ頷いた。


 午後、対峙したヨハンに嘘だろと思わず口走るほど、ヴェンツェルは手も足も出なかった。攻撃が当たる気が全くしないのだ。それも振りかぶって攻撃のモーションに入る時にはもう「あ、これダメだ」と否応なく認識させられる。

 こうまで実力差があるとは思わなかった。


「これが異界テングスまで見通す、神に授けられし力ってやつか」

「なに言ってんだ。おまえなんか見なくても勝てる」

「それ腹立つ!」


 ほんの二週間前は太腿が骨まで裂けていたのである。全力の三割も出していないだろう。

「もう一回だ!」


 子供たちならぬヴェンツェルからのエンドレスもう一回!攻撃を受け続け、夕方にはヨハンの顔は辟易していた。

「おまえしつこいな…。今日は終わりだ」


「もう終わり!? まだ日は沈んでないぞ」

「予定がある」

「あ、もしかしてさっきの娘?」

 完全無視してヨハンは部屋へ引き上げていった。


「滞在費の話、してなかったな」

 クロードには言わなかったが、本当は手持ち金ゼロどころかマイナスだった。隊商護衛にかかる携帯食や寝具などの購入費を借りているのだ。質に入れたのは、別れる時にイーヴがくれた短剣だった。


「ほんと情けなくて嫌になる」

 防具を外して草の上に座り込む。雑草を抜いて投げると、冷たい風にさらわれていった。

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