最終話 それぞれの世界

 暖炉のまきがパチッと音を立てる。ブレア北部に位置するスフノザ砦は、朝晩かなり冷え込む。

 燃料がもったいないのでなるべく広間に集まって過ごす。それがドケチな傭兵団の新しいルールになった。


「ふぅん、一番割りを食ったのはミロンド公だね」

 セバスチャンのお手製、蒸留酒を湯と果汁で割ったジャンベルをすすりながら、フィストは書簡をヴェンツェルの手に戻した。そこには国王フェルディナントの印影が刻印されている。


 戦に勝ったブレア国がヘルジェンへ停戦を申し入れたのは、同日夕刻だった。アドルフを失ったヘルジェンは即座に受け容れるしかない。

 焦った帝国がすぐに訂正を求めたが、フェルディナントは頑として取り下げず、三か月が経過した今も態度を改めないという。


 そんな中、ヘルジェン女王イシュタルの婚姻を書簡は知らせてきた。

「信じてたマンフリートに一本取られちゃってね」

 マンフリートはヘルジェン王家に入る。つまりブレア国の王位継承権を放棄することであった。


 画策していたマンフリート政権の擁立が泡と消えたうえ「そなたはどうする。私に仕えるか、それとも爵位と所領を返上するか」とフェルディナントに迫られれば、従うしかない。


「陛下のことだ、煮え湯を飲まされた分こき使うだろうな」

「だろうねぇ。誰かさんには100万Wワムぶんどられるしさ、お気の毒さま」


 くつくつと笑うフィストだが、つらい日も過ごしていた。

 ヘルジェン軍との戦いでフィスト団六名は虜囚となった。移送中に逃亡したのだが、その時三人の仲間を失った。弔いの最終決戦には勝利したものの、涙を落としたのだ。


「しかも女王様のお腹にはもう赤ちゃんがいるんでしょ? マンフリート様は前のお妃を亡くしているし、今度は幸せになれるといいねぇ」

 アンナも両手でカップを持って、ふうふうしている。こっちは果汁多めだ。


 扉が開くと冷たい風がサーッと流れ込んできて、思わず背中を丸めてしまう。

「うー寒かったぁ」

「あ、それうまそう! オレも熱っついの欲しいっス」


 哨戒しょうかいから戻ったヘンドリクとユリアンに「あいでやんす」とセバスチャンが立ち上がる。

 クヌード戦で重傷を負ったヘンドリクは、ようやくまともに動けるようになったところだ。


 ヴェンツェル団五名、フィスト団三名、ヘンドリク隊五名がいるスフノザ砦はヘルジェンとの国境にある。ヴェンツェルは警備隊長になっていた。


 『帝国はそなたの身柄引き渡しを求めている。手はずを整えたから急ぎスフノザ砦へ身を潜めるように』とフェルディナントから火急の書状が送り付けられるや否や、傷ついた体に無理をさせ転がるようにやって来たのだ。常宿のしずく亭に帝国兵が押し入ったと聞いたのはそのすぐ後だ。


 ヴェンツェルは、ヘルジェンからは煉海クオリアの王の憎き仇として、また帝国からは裏切りの戦犯扱いで手配された。長年帝国とタイマンを張ってきたアドルフと、傭兵界最強の『雷帝クヌード』を破った傭兵団長クロムとして、もはやその名を知らぬ者はいない。


 更に帝国は懸賞金をかける準備をしているから一同警戒するようにと、フェルディナントは伝えてきている。


「あれ、ヨハンさんは?」

 警戒するよう言われたそばから一人足りない。

 もともと好んでボッチの奴だが、最近何も言わず消えることが多い。ヴェンツェルは席を立った。


「ちょっと出てくるから。アンナ、セバスチャン、先に夕飯にしててくれ」

「オッケー」

「へいお頭」

「もう暗くなるっスよ。オレ、護衛するっス」

「ユリアンはあっしを手伝うでやんすよ」


 外套を巻き付けてうまやに向かうと、馬丁がまぐさを与えてブラシをかけていた。ヨハンの馬がいない。

 冷たい空気を顔に受けて駆ける。なんとなく、向かう場所は間違っていない気がした。


 そこは十五分ほど駆けた場所にあり、崖から突き出た、山の下から空まで全部が見渡せる場所だった。

 夕暮れのオレンジが少しずつ薄くなり、筆で刷いたような淡い紫色に冷やされていくのをヨハンは座って眺めている。


「寒くないのか」

 後ろから声をかけると、冷気に背中を丸めるヴェンツェルをちらりと振り返り、少し微笑んだ。

「平気だ」


 ヴェンツェルは隣に腰を下ろす。一つ、二つ、吐く息が白い。


「みんなに何も言わずに行くつもりか?」

「おまえたちのことが嫌になったわけじゃない」

「だったらちゃんと自分の口で言うんだな」

 口ごもった相棒をヴェンツェルはひじで突いた。ほんと、損な性格だな。


「おまえには稼がなきゃならない事情がある。みんなへの説明はこれでいいな?」

 嘘ではないが、旅立つのはそのためだけでもない。ヴェンツェルはしばらく身を潜めねばならないのだ。どのくらい続くかも分からない。ヨハンのような男にそれを待てというのは酷なことで、戦場を求める気持ちは理解できる。


「私がここまで来られたのは、おまえがいてくれたからだ」

 数えきれぬほど命を救われた。クヌードもアドルフも、半分以上ヨハンが倒したようなものだ。


「そういう契約だからな。それに俺もおまえには何度も救われた」

「契約を果たしてくれたし引き止められないな。約束通り金は払う。他に何か必要なものがあれば言ってくれ、工面するから」


 するとヨハンの切れ長の瞳が丸くなる。

「おまえが自分から金を出すだと。具合でも悪いのか?」

「私だって出すときは出すさ!」

 ほかでもない、おまえの為なんだから。とは言わなかった。


「…勝手に心を読むなよ」

「仕方ないだろう、聞きたくなくても聞こえてくるんだから」

 つくづく生きにくいだろうなと思う。


 ヨハンと出会ったのは、傭兵団長クロムになりたての頃だ。それからずっとかたわらにはヨハンがいた。だから彼がいない傭兵団はちょっと想像がつかない。

 考えるといきなり宙に投げ出されたような感じがして、ヴェンツェルは自分の肩を抱いた。


「おまえはバキバキの骨太のくせに寒がりなんだから、暖かくして風邪をひかないよう気をつけろ」

「あんま関係ない気がするけど」

「あと頑丈だからってむやみに体を盾にするのもほどほどにな」


「そうだな、もう治療してくれる人がいないから戦い方は改めるようにする」

「ヘンドリクにやってもらえばいいだろう」

「まだ根に持ってるのか?」

「そうじゃないし」

 そうだろうが。するとヨハンは黙ってしまった。


 三年半以上を共にしてきたが、こんな子供じみたところがあるとは思わなかった。だからこっちも寂しいとは言ってやらない。

 ぴんと冷たく澄んだ空気も、二人の静けさの中ではどこか温もりを感じるのだった。たぶんヨハンも同じだろう。


「帰ろう。アンナとセバスチャンが夕飯を用意してる」

 空にはもう、一番星がきらめいている。


「ヴェンツェル」

「なんだ」

「次の戦地に行く前に、サルーガ村に寄るつもりだ。クロードや孤児院の子供たちもおまえの顔を見たら喜ぶと思う。一緒に来ないか」


 少し考えて、頷いた。




 それからヴェンツェルはいつ戻ると言わずに旅立った。


 スフノザ砦はヘルジェンに国境を接しているものの、今は平和そのものである。

 警備隊の仕事といえば哨戒しょうかいと、下町でのちょっとしたトラブル解決と、ごくごくたまに現れる野盗の討伐だけだ。


 ヴェンツェルがいない傭兵団は、なんだか身が入らない。しかし戻らないならそれでもいいとユリアンは思う。ヨハンと生きる道もあるだろう。誰も口にしないが、みんなそう思っているのはなんとなく分かる。


 一か月ほど経ち、スフノザ砦に雪が積もるようになった。

 寒さに目が覚めて頭まで布団をかぶり直し、二度寝しようとユリアンが寝返りをうった時だ。


「いつまで寝てるんだおまえたち! ヴェンツェル団の朝は町内清掃からだろうが!」

「痛ってええぇぇーー!!」


 この脳天にダイレクトに伝わる衝撃、間違いなく鉄骨ゲンコツ。ついでに布団を引っぺがされる。

「うへえっ!」


「お頭が戻ってきたでやんすかぁ?!」

 完全浮浪者なのは、寝ぼけ眼で寝ぐせのセバスチャン。


「フィスト! ヘンドリク! おまえたちもとっとと行きな。銭拾ってくるんだよ!」

「え、ボクも?」

「なんだよ随分早いお帰りじゃねえ? さてはつっ返されたな」


 仁王立ちのヴェンツェルはハラマキ防具を巻いた腰に手を当てて言った。

「私はおまえたちの傭兵団長クロムだ」

 その後ろから、まだ少年と言っていい年頃の黒髪がひょっこりのぞいている。


団長クロム、そいつは?」

「トーゴという。傭兵になりたいと、私が迎えに来るのを待っていたんだ。ユリアン、今日からおまえの弟だと思って面倒見てやりな」


 群青の髪をかきあげて、それはいつも通りドケチな傭兵団長クロムだった。




◇◇◇◇



 二年後———


 ヘルジェンとの間に和平条約が結ばれた。

 調印式は外務大臣ではなく、元首間で執り行いたい。フェルディナントの強い希望が受け容れられ、女王イシュタルの出産を待ってからの運びとなった。


 一つの時代が終わり、共に新たな世界を紡いでいく。そんな瞬間に思えた。


 列席したマンフリートは産まれた王子に会わせてくれた。元気な赤子にまるで我が子のような愛しさを覚えて、ヘルジェン王家の繁栄を願うばかりだ。

 そしてあの子を討つようなことはしたくないし、自分とマンフリートの子供同士が争う姿も見たくないと思う。


「これも全てアドルフの思惑通りなのだろうな」

 死してなお、あの男のことだ。

 

 フェルディナントはペンを取る。そして一呼吸おき、書き出した。


「あら陛下、よろしいのですか」

「何がだ?」

 クリスティーナの目線の先で動くペン先は書状。最後に印影を刻印する。


「私はヴェンツェル殿と旅ができて嬉しいですけれど」

「決して楽しいだけの旅にはならないだろうが…そうだな、少し妬けるな」



 傭兵団長クロムヴェンツェル


 王妃クリスティーナと第一王太子エルンストの護衛及びブレア国特使として、久瑠栖クルス帝国へ同行せよ。

 契約金は20万Wワム。前金にて全額支払い、諸経費を含むものとする。

 特使任務については機密事項ゆえ別途通達する。


 ブレア国王 フェルディナント3世


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