20 共に
ユリアンが突き進む。セバスチャンがなぎ払う。ヨハンがガロンを追い立てる。ハンスら騎兵たちが周りを固め、外側からはフィスト団が驚異的な精度で敵を飛ばし続けている。
「出てこいアドルフ! 私を倒すんだろう!」
駆け抜けてすぐに馬首を返し、相手が転回する前に背後から襲いかかる。これも兵士たちと繰り返し調練した動きで、皆しっかりついてきている。
そしてもうヘルジェンの騎馬には走れるだけの力は残っていない。散開させられると元の隊形には戻れないのだ。山ほどに高いアドルフまでの壁が、薄くなっていた。
ここぞとばかりに全員が食いつく。
「
ユリアンの馬上で白刃が舞い、騎手が、馬が倒れていく。
皆が切り開いてくれたわずかな隙間。ヴェンツェルは一直線に進む。
「はあああああっ!」
全力で振り抜いた剣を迎え撃つアドルフの短槍。刃と刃が火花を散らし、一打目から腕が痺れるほどの衝撃だ。
直後、ヴェンツェルよりも速い二撃目は馬の
暴れた馬に振り落とされそうになり、なんとか着地すると、騎馬のアドルフが踏みつぶそうと向かってくる。
「危なっ!」
スライディングでかわして体を起こしざま剣を投げつけ、今度はヴェンツェルが黒毛馬の臀部に命中させた。
すぐさま腰に差したもう一本の剣を抜く。それはフェルディナントから拝領した、クヌードを倒した時の剣だ。柄にはブレア王家の花の紋。『そなたと共にありたい。使ってくれ』そう言ってくれたのだ。
ひらりと下馬すると、アドルフは義足と思えぬスピードで猛然と攻め寄って来た。突き、払いと連続して繰り出される斬撃は重く、瞬きよりも速い。
「けどな!」
こっちもヨハンとの猛特訓で底上げしてきた。ヴェンツェルの剣が疾走し、アドルフの鎧を鋭く突く。
「…フン、良い剣だ」
「剣じゃなくて腕だと言いな」
ヴェンツェルは
アドルフも黒い兜を外す。嫌になるくらい鮮やかな
ブンと槍が唸り、お返しとばかりの鞭のような突きが次々と襲い来る。
ジテ湿地の時は剣を使っていた。それを短槍に変えてきたのは、斬撃にも打撃にも強いヴェンツェル対策だろう。
なるほど、槍の一点突破力は剣の比ではないし、傷は浅くても刺されたところをかき回されたらダメージは大きい。
「剣術槍術弓術はマスタークラスだっけ。ほんっと許せない」
闇雲に攻撃したところで体力を消耗させられるだけだ。斬撃にも打撃にも動じないのはアドルフも同じだった。あちらはバルタザール開発の硬化アーマーだ。
次の突きを避けずに腕で受ける。穂先が刺さるが、骨で弾き返す。そのまま間を詰めて脇腹の鎧の継ぎ目を狙う。
入った。致命傷ではないが、刃には血。
しかしアドルフは痛みに顔を歪めるでもなく、平然と次の攻撃だった。
「腕で受けるとは、お前の体は痛みを感じないのか?」
しかも話しかけながらだ。
「普通に痛いっつうの。手足切り落としたあんたの方が信じられないよ」
一度ならず二度まで壮絶な体験をすれば、痛みと恐怖のリミッターが飛んでも不思議ではない。
傷を負えば無意識に次は守ろうとするものだが、アドルフにはそれがない。お構いなしに、より攻撃的に槍を振るう。
「…私もそうなのか」
四肢の半分は痛みを感じないアドルフと、鋼鉄の体で刃も弾丸も弾き返すヴェンツェル。
「厄介な体だな」
「私のセリフだ!」
宙空を裂く音が聞こえそうな突きを一回、二回とかわす。
すると短槍の柄を地面につけ、それを軸にアドルフの体がひらりとヴェンツェルの背面に舞い上がる。
上から鋭く繰り出される三度目の突き。速い。槍のリーチが長く、こっちの足が追いつかない。避けきれない…!
「ああう…っ!」
串刺しは避けたが、腹の防具が破られ脇腹に痛みが広がる。あまりの痛さにそれ以上声も出せない。
研究したのだろう、ヴェンツェルの弱点を確実に突いてきている。とっさに傷を押さえると、手の平が濡れて真っ赤に染まる。どくどくと堪えようのない痛みが全身を打ち鳴らす。
そして着地と同時にすくい上げるような足元への攻撃。飛んだつもりが痛みでほとんど足が上がらず、ブーツが破れて地面に倒れてしまう。
「!!」
振りかぶった槍、勢いをつけて全体重と共にアドルフが心臓を貫こうとしたのを、ギリギリ身をよじる。避けきれずに肩に食らった。まるで馬に蹴られて骨を砕かれたような衝撃だ。
槍が鋼鉄の骨を割って突き刺さっていた。
「外したか」
感じたことのない痛みとショックに、目の前が暗くなる。
アドルフが槍を引き抜くと、声にならない凄まじい痛みにぷつりと視界が無くなった。
「これは…?」
真っ暗で一人きり。自分の体が見えるだけの景色に、さっきまでの喧騒が一切聞こえない。傷はあって血が流れても痛みはなく、全ての感覚が閉ざされてぽっかりと体だけが浮いているようだった。
右足を前に出すと、暗闇の目の前にいきなり極彩色の花々がたくさん咲き乱れた。どれも両手を合わせたよりも大ぶりで、胸焼けするような甘い香りを放っている。黒と見まがう艶のある鋭利な葉は露に濡れ、道なき一本道に沿ってそれがずっと続いていた。
きれい、なのだろうか。
花を愛でるような生活とは程遠いから、そういう美意識はどこかに置き忘れた気がする。ただ、彩りが豊かすぎる花はどこか毒々しくも映る。感覚がないのに匂いだけをはっきり感じるせいかもしれない。
「は…ぅ」
気付くとそれは手足に巻き付いてきて、血を吸い傷口を舐められるようだった。甘い香りがとろけるように体の中まで侵入して、このまま倒れ込んで全て委ねてしまいたくなる。
「ヴェンツェル、
ふと、後ろの方から聞き覚えのある声がする。感覚のない体に水のように流れ込んむ。
「そっちじゃない。俺の声のする方へ戻って来い」
さっきよりも大きく聞こえる。
「ゆっくり足を後ろに動かせ。一歩ずつでいい」
ダメだ、植物が絡んで動けない。痛くて体に力が入らないんだ。
痛み…? さっきまで痛くなんてなかったのに。
「異界の誘惑に取り込まれたら死んでしまう。こっちへ戻ってくるんだ」
けど痛いし、道がわからないんだ。
「それともこのまま大赤字で死ぬか?」
「…ご免だね」
私のツボをよくわかってる奴だ。
なんとか半歩下がり、それからゆっくり花に背を向ける。甘い香りが後ろから抱き着いてくるが、声に集中する。
「もう少し左だ。少しずつ感覚が戻るはずだ」
「何も見えない。本当にこの真っ暗なところから抜け出せるのか?」
「大丈夫だ、俺を信じろ。昔もそうだったろう。今度は右だ」
足を前に出す。声が出そうな程痛いが、進める。少しずつ気力のようなものが湧いてくる。
「そうだな。おまえとは二人でどこまでも歩いたな」
「無名だから着いた街で使いっ
「今思えば、おまえみたいな売れっ子がよくあれに付き合ったものだな。薬草を採りに行く仕事の時だっけか、野宿で私が火の番をしていたらセバスチャンが襲ってきてさ」
「狩りから戻ったら身ぐるみ剥がれたおっさんが土下座させられてて、何かと思った」
「小競り合いの時は、襲撃された村でユリアンが追いかけてきたな」
「やっと傭兵らしい仕事が増えたのはこの頃からだったな」
そうだった、こいつらが私を
腰に剣の重さを感じた。柄にブレア王家の紋が刻まれた、大事な剣。
『そなたはなぜ祖国でもない国の戦に身を投じているのだ?』
出会った時は理由などなかった。けれど今は違う。
「立て、ヴェンツェル。みんなが待ってる。俺たちの
暗闇が抜けるような青空に変わる。それを細身の背中が塞いだ。
倒れたヴェンツェルを庇いながら、ヨハンはアドルフの槍を弾き、返す刃でガロンを斬る。だが異界を往来する黒ずくめは捉えたと思うと姿を消し、次にはもうアドルフが超速の突きを繰り出している。ふわっとかわしたヨハンが顔をこちらに向けた。切れ長の瞼がわずかに微笑んでいる。
瞬間、伸ばされた手をつかんで起き上がった。手の平に感じたヨハンの熱が一瞬にして全身を駆け巡り、力となる。
「はああァァ———ッ!」
そのままアドルフの胴へ渾身の力で打ち込んだ。腹の傷は死ぬほど痛いし左肩から下は思うように動かない。
しかしアドルフの硬化アーマーを割り、ふらつき後退させた。
「おのれ死に損ないが!」
するといきなり間合いの中に現れたガロンが、ヴェンツェルに向かって刃を繰り出す。至近距離で強引に刃を抑え込むと、その脇から穿孔しに来るアドルフの槍をヨハンが弾く。
次、ヨハンならアドルフの反撃が来る前にもう一発叩き込んでから、ガロンへ攻撃するだろうな。
言葉など必要ない。ヴェンツェルが思い描いた通りの軌道でヨハンは動き、攻撃に転じるアドルフの槍よりも速く切り上げる。アドルフの足が浮いた一秒以下の間に即座に体を切り返し、ヴェンツェルが力で組み抑えているガロンへ上から斬りつける。
ヨハンにしかできない、流水のような切れ目のない身のこなし。
「ぐううぅぅうああああっ!! おのれええぇぇ!」
左顔面から肩口まで至る深い裂傷。致命傷のはずだが、真っ赤な血で黒服を染めながらもガロンは倒れなかった。
「はああああぁっ!」
気合を発したアドルフの槍が向かってくる。今度はヴェンツェルが剣で弾く。遠心力付きで槍の柄が顔に飛んでくる。ためらわずこめかみで受けると、首から頭蓋が引っこ抜かれたような痛みに加え、目の前に赤が散る。
「いけ、ヴェンツェル」
ヨハンがガロンに打ち込んでいる。今なら邪魔はされない。
怯まずに間髪入れず反撃すれば、痛みも、砲撃の音も、怒号も叫び声も聞こえなくなった。
汗、かいてるな。
感じたのはそんなもので、フル回転する頭と体が川の流れから浮上したようだった。だから見えた。
アドルフが上段から喉を突いてくる。すんででかわすと、右肩の皮膚が破ける。槍を持ちわずかに上がり伸ばした右脇の下、一瞬空いたところへヴェンツェルは剣を突き刺した。
槍が唸り反撃が来る! だがここで下がるわけにはいかない。当然弱点の腹か喉頸を狙ってくるだろう。どこで受ける? いや、避けたら攻撃が浅くなってしまう。
考えるのをやめて更に踏み込み深く刺した。
身を固くし反撃に備える。きっと死ぬだろうな。
しかし振り下ろされた槍には、もう力がなかった。ヴェンツェルの頭に当たり、それから地面に落ちる。
至近距離でアドルフと目が合った。剣を抜くと仰向けに崩れて、みるみるうちに血溜まりが広がる。
海を思わせる深蒼の瞳が作り物の石に変わるように光を失っていくのを見ていたが、まるで現実感がなかった。
「陛下!!」
ガロンの声にはっと引き戻される。ヨハンに深傷を負わされ歩くのもやっとだ。
アドルフの隣に膝を落とすと、まるで愛しい相手を初めて抱き寄せたかのような顔で遺体を包み込み、あっという間に跡形もなく消えた。
「…首を取ってなかったな」
一瞬の沈黙の後、周りで見ていた
その背にドスドスッ! と矢が刺さる。前に立つヨハンが斬り倒す。後ろではユリアンが、セバスチャンが威嚇している。
「全ヘルジェン兵がキミに向かってくると思った方がいいね」
「敵陣のど真ん中だぞ。また私のために死んで盾になれとか言うつもりか」
「お頭、生きて抜け出すでやんすよ」
「これってしめんそか? それともヴェンツェル団無双っスかね」
こっちは左腕は上がらないし倒れそうなくらい痛いし止血もまだなのに、こいつらときたら全員笑ってやがる。
ヴェンツェルも唇の端を上げた。
「
◇◇
アドルフの死が伝えられヘルジェン軍が退却した時、立っていられたのはおおむねブレア軍兵士だけだった。
「おめでとうございます、陛下。しかし…これでよかったのでしょうか。
大元帥の喉が上下する。
フェルディナントは大きく息をついた。高台から凄惨な戦場を見渡しながら、今までとても生きた心地がしなかったのだ。
「たっぷり絞り上げられるだろうな。ここからが私たちの正念場だぞ、大元帥」
「…御意」
「まずはヘルジェンに停戦を申し入れる。これは帝国ではなく、我が国とヘルジェンの停戦だ」
「はっ!」
父王の時代に帝国の属国になって以来、初めて手にしたブレア国としての勝利だった。そしてアドルフを討ったのは、
「
見上げた空は、血を洗い流すような高い青さだ。
まるでそなたのようだと思いながら、フェルディナントは目を細めた。
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