19 星

 乾いた音が鳴り響く。帝国の後列がバラバラと倒れるが、何が起こったのか理解できない。なぜ背後から銃声がする?

 だがその音は止まず、隣の味方がやられるのを見て、これは見間違い聞き違いではないと認識させられる。


 そしてあっという間に犠牲者が三桁を超えて、ようやく気付く。

「遊軍の傭兵どもだ!」

塹壕ざんごうに隠れて撃っていやがる。傭兵どもが裏切りやがったぞ!」


 しかし気付いたところで前からはヘルジェン軍の猛攻。後方へ戦力を割く余裕はない。これを待っていた。


「さすがとっつぁん、言うことなし。完璧だ」

 コンスタンツェの軍需工場から銃を買い占めたのだ。元手はもちろんミロンド公との契約金100万Wワムで、妻にもがっぽり儲けてもらった。


「盤返し状態でやんすね」

 予期せぬ傭兵団の銃撃に帝国はもちろん、ブレアもヘルジェンも動揺させらている。眼下の戦場にセバスチャンが手のひらをひっくり返す真似をした。


 銃を扱える傭兵がいる一方で、全体の八割以上を占めるのは己の肉体で突撃するのが唯一の特技という、野蛮な奴らである。そんな装備も格好もバラバラなガラの悪い奴らが、林から、塹壕から次々に飛び出し、今にも獲物に食らいつこうとヨダレを垂らした獣のごとく向かってくるのだ。


「さあ、かかれ」

 傭兵の基本その一。一番手は誰にも渡したくない。


「手に入れろ」

 その二。ブレア国は街での略奪を禁じているが、戦場は治外法権。


「そして勝て」

 その三。勝てば成功報酬。負ければ解雇。失業保険はもちろん無し。


 最初に餌食となった後方を食い荒らしウォーミングアップを済ませると、次はヘルジェンと組み合う本隊だ。まさか飼い犬に手を噛まれると思いもしない三万の帝国軍は混乱の極みだった。上がるのは銃声ではなく悲鳴で、欲望にたぎる一万の傭兵は野性そのものだ。


 悲鳴は帝国を殲滅せんめつせんとするアドルフの耳にも否応なく届く。

「ガロンよ、何が起こっている」

「ブレア軍の傭兵どもが帝国兵に襲い掛かった模様です。指揮しているのはエグモント伯———」


だ。フン、余の手で帝国を葬り去る邪魔をしよるか」

 旗を持てと命じ、情況がつかめず混乱している背後の兵士へと馬首を向けた。紅蓮の煉海旗が戦場を駆けるとともに、豊かな声が歌うように戦場に響き渡る。


「兵士諸君、今こそ侵略者どもの野望を打ち砕く時だ。帝国が不意を食らった今こそ千載一遇の勝機! 黒い壁を打ち払おうぞ。その暁に余は祖国の幸福と繁栄を約束する。不滅の栄光への階段を駆け登り、その手でつかむのだ! 余に続け!」


 それはまるで流星だった。

 あぁ煉海クオリアの王が、ヘルジェンの星が勝利へ導いてくれる。動揺から立ち直り士気を上げたヘルジェン兵が、一気に中央へ全戦力をぶつけた。


 前からのヘルジェンと背後からの傭兵。この挟撃に耐えられるはずもなく、帝国軍が死体の山を量産する末路はもう疑いようもない。


「ここまでは予定通り」

 右翼のミロンド軍勢を確認すると、よしよし、ヘルジェンとつかず離れず互角に戦っている。


 その時、ドオン、ドオンと砲撃音に地が揺れる。砂塵がこっちまで飛んでくる。

「この混戦状態で砲撃だと?」

 ヴェンツェルは目を疑い、すぐに左翼側のブレア軍砲台を振り返った。


 砲口が向く先は、ヘルジェン、帝国、そして傭兵がごった返す戦場ど真ん中。左翼のブレア軍は既にアドルフに破られ一旦退いている。

 ドオン! 砲口がまた火を吹く。砲身を水で冷やし、すすを掻き出し、次弾装填にかかっているのはまぎれもなくブレア兵だ。


「…これは聞いてなかったな」

 吹っ飛んでいく人がヘルジェン兵なのか帝国兵なのか傭兵なのか、もはやどの所属か正体は不明だ。


 ヴェンツェル自身もあの中にいたかもしれない。構わずそこへ撃ち込んできたのだ。

 フェルディナントの覚悟を見た。それは非情ともいえる戦場の王の決断だが、これまでにはなかったことだ。


 ———ブレアは負けない。帝国にも屈さず、これ以上望まぬ戦には加担しない。

 砲撃は遠くの光に手を伸ばすようなフェルディナントの想いだった。

 私を切り捨ててくださいと言ったのはヴェンツェルの方だ。しかしそうされたとは思わない。


「見せてくれるじゃないか。陛下の決意、受け取りましたよ」 

 同じ星を見ている。


 進むべき道が一つに繋がっている。だからミロンド公との危険な取引にも命を賭けた。シンでつながり合っていればこそだと、そう思うほどに感じるのは幸福感に他ならなかった。


「待たせたね。おまえたち、準備はいいか」

「へいお頭」

「もう待ちくたびれたっス」


「おまえ、大砲にぶち当たっても死なないと思われてるんだな」

 つぶやくヨハンに全員賛同だ。

「死ぬよたぶん!」

 もしかしてつながってるとかじゃなくてそっち? と一瞬不安になる。


「いいかい! アドルフの首を取るよ」

 気を取り直して群青の髪をかき上げ、兜を被ると馬を走らせる。ヴェンツェル団、ハンスら元兵士、そして丘に埋没させていた300騎が後に続く。


 この混乱の最中、わずか300騎が単独行動してもノーマークだ。赤地の煉海旗を目指し丘を駆け下りれば、そこはヘルジェン軍と帝国がひしめく戦場の中心である。

 最前線で剣を振るっているようで、アドルフの周りは常に精強な麾下きかたちが取り囲んでいて、主君の危機には躊躇ためらいなくその身を盾にする。まずはそれを剝がさなければならない。


「おおおおおおうぉぉぉぉぉっ!!」

 雄叫びと共に300騎が塊になり突っ込む。ヴェンツェルはすれ違う敵を二人、三人切り倒した。帝国兵は既に散り散りで隊列を成していないし、不意を突かれたヘルジェン軍が動揺し散開する。


 しかし黒塗りの鎧に上等な黒毛馬、集団の中にいてもすぐに分かる鮮やかな覇気を持つ総大将は一旦馬首を返し、隊を二つに分けるとこちらへ向かってくる。挟撃するつもりだ。


「囲まれるな! 駆け続けろ!」

 アドルフの騎兵は既に戦って長い。馬にも限界が来ているはずだ。一方こちらは駆け出したばかりだから足では負けない。駆けてぶつかり合いを繰り返して相手の戦力を削ぐ。これはジゼルやヘンドリクから学んだ戦い方だ。


 しかし先ほどブレア軍を相手に畑打ちをしていたアドルフの騎兵は、言うほど簡単ではなかった。駆け抜ける300騎の矛先を巧みにずらしながら、二つが四つに割れてはたちどころに元に戻り、まるで一匹の巨大な生き物のように虎視眈々と飛びかかるチャンスを狙っている。


「このままじゃらちが明かないね。いずれこっちの馬にも限界が来る」

 そうなれば取り囲まれて袋叩きだ。

「一点突破だ。アドルフだけを狙うよ」


 駆けながら手で信号を送る。すると300騎が50騎ずつに分かれた。

 彼らのほとんどは、ヴェンツェルがブレア軍司令官として前線基地に居た頃から共に調練してきた兵士で「山砦で命を救われた」「司令官殿の奥方にたくさん食わせてもらった」と自ら除隊してまでヴェンツェルの元に集ったのだ。クヌードにも共に立ち向かった精鋭たちだった。


 それが50騎ごとに代わる代わる突撃を食らわせていく。同じ一点に繰り返しだ。調練を積んでいなければできない連携で、一度の攻撃で崩れたところにすぐさま二隊目が突っ込む。取り囲まれる前に離脱し、三隊目。


「いけるッス!」

 ばたばたと倒れるアドルフの騎兵。乗り手を無くした馬が逃げていく。


 だが六隊が一巡したところでアドルフが後退した。

団長クロム! あいつ逃げるっスよ、追わなきゃ!」


 逃げるだと? あの男にそんな言葉があると思うか?

 追うか。いや何か罠があるんじゃないか。だがここまで追い詰めたのにリセットされるわけにはいかない…


「迷ってる暇ないっスよ団長クロム!」

「あっ、待て!」

 止める間もなくユリアンが飛び出していた。


「ユリアン待つでやんす!」

 セバスチャンに続いてヴェンツェル、ヨハンも駆ける。

 だがその時、目の前でユリアンの背中がいきなり落馬した。


「ユリアンッッ!!」

 ユリアンの馬の横には黒ずくめがいる。空中にいきなり現れて馬上のユリアンに斬りつけたのだ。そのままとどめを刺さんと上から剣を落とす———


「…っ!」

 ヴェンツェルは声にならなかった。思わず顔を伏せてしまう。


「しっかりしろヴェンツェル」

 ヨハンに背中を叩かれ顔を上げると、間一髪のところでセバスチャンが自分の馬上にユリアンを引っ張り上げたところだった。


「あぁ…、すまない」

 心臓がうるさいくらいドクドクして何も考えられない。手綱を持つ手も震えている。

 その間に黒ずくめが今度はセバスチャンを狙う。左手にユリアンを抱えながら右手で応戦すると、ガロンはまた異界テングスに消えた。


 いつ、どこに現れるか知れないこいつは本当に厄介だ。

「ヨハン、黒ずくめは任せるぞ」

「ああ。だがあいつにばかりに気を取られていると包囲されるぞ」

 その通りだ。体制を立て直したアドルフが騎兵を従え駆け出している。


「お前を生かしたことを、余に後悔させるのだろう」

 歌うような声が聞こえた気がした。震えていた手に力がこもる。


 再びガロンがセバスチャンの背後の空間から縫い出て来る。察知したヨハンが馬を寄せ、馬上で組み合った。馬の力で押し戻されたガロンが地面に逆立ちに手をついて回転すると、真っ黒の覆面の下でにたりと笑った気がした。


「逃げろセバスチャン!」

 そうしている間にもヘルジェン兵が二人に向かって一斉に攻撃してくる。六隊が集結し守りに入るが、元々が兵の数が十倍違う。一旦守りに入ってしまえば劣勢は明らかだった。ヴェンツェルも必死に剣を振るうが、間に合わない。


 どうする。離脱して立て直すにはどう動けばいい。

 考えろ、焦るな。ああ、目の前の敵が邪魔だ! 一度に二つのことを考えられるほど私は器用じゃないんだよ!


 すると、ヘルジェン兵の首に矢が刺さって吹き飛んだ。まるで黒ずくめが何もない空中から突然出現したのと同じように、前触れなく。次々と飛んでくるそれは、この密集した中で正確にヘルジェン軍だけを射貫いている。


 見覚えがある矢羽根だ。突き刺さった矢を抜こうとするが、返しがあってなかなか抜けない。あ、無理に引き抜いたら噴水のように血が噴き出て…健や血管をズタボロに引き裂く性格の悪いやじり


「…いつからいたんだよ」

 矢の飛んでくる方を見れば、馬で駆けながら狙撃する三人だった。元は六人いたはずだ。全員が弓の名手で、どんな妨害にも絶対に外さない鉄壁の心臓の持ち主たち。


「感極まってのハグとキスは?」

 声は聞こえないがそんな顔をしている、目の下のクマに灰色長髪の不吉な死神。正確無比なフィスト団の連射に壁がどんどん崩され、ヘルジェン軍が浮足立つ。


 その間にセバスチャンと合流できた。ユリアンも自力で乗馬している。

団長クロム…、行くっスよ。オレもまだ戦えるっス」

「ユリアン、おまえはもう」


「オレが命を使うのは今しかないんス!」

 痛みに震えながらユリアンは剣を抜く。


「あっしとユリアンでアドルフへの道をこじ開けるでやんす。お頭はただ前に進むでやんすよ」

 言い残して、二人は駆け出した。

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