18 決戦
砲撃音に大気がビリつく。
「前進! 隊列を崩すな!」
ラッパと太鼓の音に、盾を前に構えた黒い帝国軍歩兵が大きな塊となって進む。
帝国・ブレア軍六万とヘルジェン軍五万が布陣するのは、川に挟まれたこれぞ戦場というバルフ平原。丘の中腹から戦場を見渡せば、合計11万が集結したスペクタクルは地面そのものがうねっているようだ。
「これ、戦っても戦っても終わんないんじゃないッスか?」
同感である。
中央に帝国軍、左翼にブレア軍、右翼にミロンド軍を配備し、ヴェンツェルが指揮する遊軍には一万の傭兵たち。帝国は前に歩兵、後列に騎兵の二段構えで頭数で、言えば帝国・ブレア軍が上回っているが、何を仕込んでくるか予測不可能なのがアドルフだ。
大型アロ、
「いたいた」
その証拠にヴェンツェルの望遠鏡の先で、アドルフ自身が率いているのは稀少生物ではなく騎兵だった。
常に国王が自ら前に出て戦うあたりが戦バカたる所以で、ヘルジェンの実質的な総司令官は「
アドルフが自ら指揮する五千騎は、ブレア軍相手にまるで畑打ちでもしているようだった。あの騎兵軍団だけがダントツに強い。
「ハンス、帝国はどう動く?」
前線基地の司令官になって以来、ヴェンツェルの側近を務めてきた男だ。
ヴェンツェルの懲戒免職を受けて「最後まで司令官殿についていきますよ」と自ら除隊を願い出たのだ。まだ間に合うから取り消せと説得を重ねると「ホントは遊んで暮らせるくらい投機で稼いだんで、面白そうな方に来ただけなんですけどね」と、イイ話でもなんでもなかった。
「…アンナに紹介しなくてよかったよ」
しかし他にも真面目な将校や兵士が次々に続いたので、大元帥は肝を潰したに違いない。
とはいえ士官学校出のハンスにはずっと助けられてきて、ここでも彼は即答だった。
「アドルフの騎兵をどうにかしたいですが、あの動きを捕えるのは無理でしょうね。振り回されて気付いたときには逆に包囲されてるのがオチです。帝国はまだ精鋭の騎馬隊を温存してますから、守備を固めてできるだけヘルジェン軍を引き寄せたいはずです。あ、ほら陣形を動かしましたよ」
ヘルジェン軍を誘い込むように帝国歩兵団の中央がへこむ。前列で戦っているヘルジェン軍勢はそれに気付かずに引き込まれた。
すかさず帝国は前列の歩兵と後列の騎兵を入れ替える。凹みに合わせて縦に長くなったヘルジェン軍を騎兵が正面から、凹んだ歩兵は後列に下がりつつ周囲を固めた。
地響きを立てて前進する帝国自慢の騎馬兵が、ヘルジェン歩兵を
「どう動くヘルジェン———。ここはやはりアドルフですね」
そこへ左翼のブレア軍を圧倒したアドルフの五千騎が駆け付け、瞬く間に帝国兵の包囲の一端を破る。そのままアドルフは横隊で帝国騎兵を側面から攻撃した。
「騎兵同士の戦いに持ち込んだ。しかし帝国が優勢ですね」
思わずヴェンツェルも喉を上下させる。
「アドルフの騎馬隊が押し負けてるな」
まさに今恨みを晴らさんとばかりに攻め立てる帝国騎兵。この機を逃すなと壁を作っていた歩兵までもが殺到し、アドルフの五千騎を総攻撃だ。
血煙が立つような激しい攻撃だった。
「アドルフの奴、やられちゃうんじゃないっスか?」
いや、いくら帝国騎兵が強いからといって、こんなにあっさりカタがつくはずがない。
決着を急ぐ前のめりの帝国。アドルフの首を取ろうといきり立って…。いや、これは逆に帝国が引き付けられているんじゃないか———
「あ、後ろから騎馬兵団が来ます。あれは…ヘルジェンの伏兵か。およそ三千」
「伏兵だと? どこに隠してたんだ。そんな場所はないぞ」
「ええ。恐らくは背後の川の向こうからかと」
「川の向こうっていったら15㎞先だぞ? 最低でも三十分はかかるし、もう馬が使い物にならないだろう」
言って気付く。それでいいということか。
帝国の精鋭騎兵をアドルフ自らが引き出し、歩兵までもを引き付けた完璧なタイミングで伏兵を突っ込ませる。最初のぶつかり合いが終息すればあとは下馬しても勝てると、そういう算段なのか。
騎馬民族の帝国兵は馬を捨てることに強い抵抗を表すが、馬が潰れれば即座に乗り捨て
しかも駆けてきた騎馬をよく見ると、そこには騎手の他に歩兵も乗っていて、つまりは三千騎ではなく六千人の伏兵だった。
歩兵が下馬すると、騎兵がスピードを上げて帝国騎兵とぶつかる。その後を追って駆ける歩兵が、壁を成す帝国歩兵を崩していく。血煙を上げるのは今度は帝国兵の方だった。
そしてこれまで横隊で耐え抜いたアドルフの騎兵が、一気に攻勢へ転じる。やはり自らを囮にした作戦だったのだ。
味方の命も馬も、自分の命すら顧みない戦術は到底褒められたものではないが、決して運頼みではなく緻密に計算されている。
「これがアドルフ…!」
いの一番に帝国自慢の精鋭騎兵を潰した。わずかでも感嘆する気持ちが自分の中にあるのが悔しい。
「司令官殿、中央の帝国が崩れますよ」
精鋭騎兵は散り散りになり、千切られてもはや壁の体を成していない帝国歩兵が後退してくる。
ヴェンツェルは唇の端を上げる。これを待っていた。
『諸事情あって明日の相手はヘルジェンから帝国に代わったけど、構わないよな』
作戦全容を
傭兵は契約が全てだ。雇い主の敵が変わったのならそれに従うのみで、文句を言う奴は誰もいない。
『アドルフは意地にかけて帝国の戦列を崩すだろう。帝国は必ず一度は後退させられる。その時、銃撃開始。銃声が合図だ。いいね、聞き逃すんじゃないよ』
ヴェンツェルが与えた指示はそれだけだ。
「頼むよとっつぁん」
望遠鏡の先で、かつての上官でハラスメントオヤジ、とっつぁんことエグモント伯が銃撃用意の号令をかけている。
「
そう言ってハンスが苦笑した。
『お前陛下に対して何たる
例の文書を見るや否や、とっつぁんは真っ先にヴェンツエルの営地へ怒鳴り込んできた。
『なんだ心配してくれるのか? 嬉しいじゃないか』
『バカ者! お前は私と共に陛下に命を捧げるのではなかったのか!?』
『え、あんたと共にとは言ってないけど。でもせっかくだから頼みたいことがある』
『もうお前の言うことなど聞けるかぁ!』
『血圧上がるよとっつぁん。私の計画はこうだ』
聞き終わる頃には、とっつぁんはうぅむと唸りながらしっかり腰を下ろしていた。
『帝国もヘルジェンも討つとな。お前のやりたいことは分かった。陛下のご意思でもある。しかし最初から帝国を崩すわけにはいかんし、ある程度二者でやりあってもらわねばならん。お前たちがいつ帝国攻撃を始めるかが肝だな』
『さすがとっつぁん、その通り。そこで口火をあんたに切って欲しいんだ。歴戦のとっつぁんになら任せられる』
このタイミングだけは絶対に外すわけにいかない。
『陛下の御為、引き受けよう。遊軍とは考えたものだがしかし、一万もの傭兵をどこに隠すというのだ』
『よく見れば潜む場所があるだろう。足りない分は掘る』
指をさす地図上には、申し訳程度にぽつぽつ点在する林。そして掘るのは
通常、塹壕は防衛線上に掘るものだが、ヴェンツェルが指示したのはそれよりもずっと後方である。オフシーズンの間、土木工事のバイトで鍛えている傭兵どもは仕事が早いし、勝手に後方の土を掘り返したところで帝国軍は気にかけなどしない。
『これでは一万の兵を分散して潜ませることになるではないか。一斉攻撃ができんぞ』
『有象無象の傭兵どもに、調練された軍隊のような統率された動きが期待できると思うか。各々の特技を活かして働いてもらうよ』
塹壕に潜み、銃を構える傭兵どもの集中が高まる。間もなく退いてきた帝国兵が有効射程内に入る。
ヴェンツェルが拳にギュッと力を込めると同時に、とっつぁんの太い声が響く。
「撃てえぇ!」
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