13 つながり合う思い
ブレア軍の
ヴェンツェルは幕舎には入らず
「おまえ…怪我を?」
あのヨハンが腕に布を巻き付けていた。
「大したことはない。クヌードに傷はつけたが倒せなかった。すまん」
しかし待てども、もう一人の男は現れない。
「……部隊が全滅してもおまえたちだけは生き残る。それが死神だろう?」
日が落ちてもまだ一人焚火の前に座り込んでいると、今度はジゼルが夫ファビアンと現れた。二人は結婚したのだ。
「ジゼル、ごめん、クヌードと決着がついてないんだ。あんたには戦ってほしくない。あんたは契約以上のことをしてくれたし、離脱しても構わない」
戦闘中はしっかり編んで
「ここまできてほっとけるわけないだろう。アンタと契約すると決めてから、こうなることは覚悟してきた」
「ジゼル…何ていうか本当に、好きになりそうだ」
「それは困る。ジゼルは俺の妻だ」
すかさずイケメンが真剣に言うので、二人して笑う。
それからとっつぁんと話をして、負傷者の様子を見に行った。ヘンドリクはまだ意識を取り戻さない。傷は深く、出血も多かった。
「ヴェンツェル司令官もどうかお休みになってください。寝台を空けますので!」
ひどい顔色をしているのだろう。衛生兵は懇願するようだった。
それを断り、また一人で焚火の側に転がる。
ニアラガエの効果が完全に切れて、全身の傷が火を吹いたように痛む。加えて激しい頭痛と吐き気、全身倦怠感に襲われ、食事を摂る気にもなれない。
クヌードと剣を合わせて、勝てる手ごたえは感じなかった。あのヨハンに傷を負わせるほどなのだ。敵うはずがない。
戦は負けた。
しかしクヌードを倒すまで、ヴェンツェルの戦いは終わらない。
「私だって寝台で休みたいさ。お前のせいだからな、イーヴ」
逃げていつか勝てばいいのではない。今、戦うことなのだ。たとえ敵わなくても、負けるとしても。
どう戦うか考えようとするが、浮かぶのはなぜかフェルディナントの瞳と声だった。
物理的に離れてはみたけれど、想いが消えることは無かった。彼の為に命を使うことに躊躇いは無い。けれども本当は———
「もう一度会いたいな」
自分で自分の肩を抱く。抱きすくめられた時の匂いも感覚も、もう遠いものになってしまった。
すると耐えがたい頭痛の大波に襲われ、呻く。なるほど、この苦しみから逃れたいがためにまたニアラガエを使う。そして常用し中毒になって、ある時副作用で突然死ぬわけだ。
どのくらいそうしていたのだろうか。誰かが隣に座った。
「お頭、スープでやんすよ」
ずんぐりと丸いシルエットのセバスチャンだ。
「うぅ…いらない」
「冷ましておくでやんすから。何か口に入れないともたないでやんすよ」
「…おまえはいつでもホッとするね。誰かと違って」
さっき、ヨハンの傷を縫合した。終わると今度はヨハンから言ってきたのだ。
『アドルフに撃たれたんだろう、傷を見せてみろ』
『ヘンドリクにやってもらったから平気だ』
『ヘンドリクに? いいから見せろ』
『必要ない』
それから急に不機嫌になったのだ。
『おまえ、ニアラガエ使ったな』
『悪いか。そうでもしなきゃクヌードとは戦えない』
『初めて使った時が一番副作用に苦しむんだ。今夜は眠ることもできないと思え』
『そんなに悪いか? それより、こっちの傷をやってくれ』
チュニックをまくろうとしたヴェンツェルを置いて、それきりどこかへ行ってしまった。
「あいつ最近怒りっぽくて、情緒不安定だと思わないか?」
「お頭、男にはナワバリがあるでやんすよ」
「なんだそれ」
「あっしにもナワバリがあるでやんす」
「おまえは熟女専門だろう」
「そうじゃないでやんす。あっしはお頭の二番目の仲間でやんすから。最初がヨハンで、二番目があっし。そこは誰にも譲らないでやんすよ」
「…なんだそれ」
スープを匙ですくい、セバスチャンは口元に持ってきてくれた。一口含むと色んな味がして、沁みるようだった。
「おいしい」
「手作りでやんすから。あっしのナワバリでやんす」
スープを飲ませてもらっている間は、不思議とひとつも気持ち悪くなかった。胃が温まって、体に力が湧くようだ。
「
「バカ言うんじゃないよ!」
覗き込んできたユリアンだが、距離が近い。あれよあれよという間に抱きかかえられている。
「死なないで
「だから大丈夫だっての! 離せ!」
それを無視してぎゅうっと抱きしめて来る。
こいつ、いつの間に少年から男の匂いになりやがって。
「オレに生き延びろって言ったんスから、団長だって死んじゃダメっス」
「お頭、一人で死に行くのは無しでやんすよ」
不意に喉の奥が熱くなり、顔を見せたくなくてユリアンの脇腹にうずめる。
「ばかだな、おまえたち」
ヘンドリクが言っていた。クヌード団を倒すには、集団を解体して馬から下ろして、一人ずつ潰すのだと。
夜中まで斥候を走らせ、クヌードの野営地を割り出す。自ら率いる200人と共に、ヴェンツェルを待っているようだった。
夜明け前、霧が出ている。ヴェンツェルは300人で進発した。ジゼルが率いる100騎は別方向へ向かう。この霧では銃は使えない。
「逆に霧を利用する」
馬から降りて、静かに、ギリギリまで悟られぬよう近づき包囲する。あとは、どこまで耐えられるかだ。
傍らにはヨハンがいる。
「おまえは死んだつもりで私の盾になれ」
合図で一斉にかかる。クヌード団は迎撃態勢だった。この視界で飛び道具は役に立たず、いきなり双方の白刃だけが咆哮する肉弾戦になる。
クヌードまでの壁は厚い。配下もとんでもない手練れで、こちらが一人削り取る間に二人、三人と倒してくる。
それでも決して後ろには退かない。前進で包囲を狭めるのみだと、そういう過酷な役割を担ってもらうと、300人にヴェンツェルは伝えていた。
その中にはヴェンツェル団はもちろん、ヘンドリク隊やジゼル隊、生活を共にしてきたブレア兵士、果てはとっつぁんや帝国軍までいたが、反対する者や逃げ出そうとする者は誰もいなかった。
ヴェンツェルへ向かってきた殺意を、ヨハンが受け止める。見覚えがある。以前クヌードと共に陣営にやって来た配下の一人だ。
ヨハンをもってしても楽にはいかない激しい攻防。全体を見ると、包囲の輪が押されて薄くなってきている。
「耐えろ!」
包囲を解くわけにはいかない。たとえ死体を積んでブロックしてでも。
「ジゼル…」
三方から包囲したところに、霧を隠れ蓑にしたジゼルの部隊が一気に走り込み潰していく予定だった。が、そのジゼルはまだ来ない。
クヌードに読まれていたのか。もしかするとクヌードも別動隊を進発させていて、それに捕まっているのか。
「傭兵界最強の男だ。私の考えなんてお見通しか」
昇り始めた太陽に照らされ、白髪交じりの髭と髪を見つける。ヴェンツェルは剣を握りしめて全力で走った。
気合と共に上から斬撃を繰り出す。受け止められる。だが昨日と違い、しなやかな鋼のようなカウンターがない。見るとヴェンツェルと戦った時にはなかった傷。ヨハンに斬られた太腿が、馬力を発揮できていないのだ。
一方ヴェンツェルは二度目のニアラガエを使っていた。まるで傷など無いように動ける。
剣を合わせる回数ごとに、互いに浅い傷が増えていく。
「娘は別動隊か。今頃、死んでいるだろうな」
無機質な言い方に、傷の痛みを感じない今、怒りだけが燃え上がった。
「そうやって、イーヴを踏みにじったのか。ジゼルの道を切り落とすのか!」
怒りで呼吸が浅くなり、体に余計な熱と力が入ってしまう。視野まで狭くなる。やすやすと挑発に乗ってしまったのは自覚したが、一度渦巻いた感情は、霧のようには晴れてくれない。
しかもクヌードの剣戟は重く、一筋の惰性もない。全てが考え抜かれている。昨日と同じように、その世界に引きずり込まれそうになる。
その時、背後からもう一人!
今受けている余裕はない。身を固くして衝撃に備えるが、その前にヨハンが鮮やかに斬り倒した。
「ヴェンツェル、思い出せ」
そうだ、ヨハンとの特訓。何万回と繰り返し剣を合わせて見えた感覚。あの時はただ体だけがそこにあった。
そして地響きと共に騎馬隊が突進してくる。ジゼルだ。無事だった。一戦交えて兵の数は減っていたが、包囲の中を猛然と踏み倒していく。
二人の存在が、あらゆる感情を波のように引かせてくれた。空っぽになり、クヌードとの世界だけが広がるのを感じる。
「ジゼルの前に、私を倒してみろ!」
クヌードの攻撃をかいくぐり間合いの内側へ踏み込む。刃を鋼鉄の体で止め、即座に切り返す。激しい打ち合いは互角。しかし互いに傷の数が増えていくたび、クヌードから勢いが削げ、ヴェンツェルに乗り移る。
クヌードの剣筋が見える。ここと感じたところに先回りして返せる。ヴェンツェルの一撃が上回り、クヌードの体から流血する。
しかし次の強烈な一打を受け止めた時、ヴェンツェルの手から剣が抜け飛んだ。
握力が限界だった。
「…っ!」
すかさずクヌードの刃が腕、腹へと打ち込まれる。防具が完全に破れる。退避しようにも、クヌードはそんな隙を与えてくれない。
猛攻を避けきれず、次々に刃を突き立てられると同時に強烈な蹴りを食らい、バランスを崩す。目の前に刃が迫って、ヴェンツェルは目を閉じた。
ふわりと何かが舞ったような風。馬の匂い。どうと着地する音。
目を開けると、馬上には白銀の鎧。兜の下は水色の髪と、同じ色の瞳。
「………フェル、ディナント陛下?」
なぜ。これは現実なのだろうか。いるはずのない人が目の前にいる。
「ヴェンツェル!」
体制を立て直すところのクヌードへ深く突き刺す。次の瞬間、クヌードの腕が閃き切り上げてきたので、剣ごと離れる。
立ち上がったクヌードの傷口から大量の血が噴き出て、再び崩れる。側近に抱え込まれるが、その体から意識が抜けていくのが分かる。
「よく戦ってくれたな」
体の芯が熱くて、ふわふわする。言葉が出ない。
「敵を
ブレア国軍に背中を狙われたクヌード団は、散り散りに退避していった。
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