12 加速
水を含んだブーツが重い。くるぶしの上まで水に浸かりながら地面を蹴った。一撃目は軽く、二撃目で強く踏み込む。が、緩んだ地面にぐらつく。突き出した剣は絡め取られ、ヴェンツェルの勢いを利用した反撃が高速で迫る。
受けると、手のひらから腕に痺れる衝撃が駆け上る。切り返そうとするが、わずかに剣が持ち上がるだけでびくともしない。
クヌードは小柄で、一見武人とは分からない体格だが、その身体の中身は別次元なのだと悟る。
逆に押し込まれて、戦闘開始数秒でもう首に刃が迫っている。
「冗談じゃないよ!」
体勢を低くして避けるが、切先が浅く入った。
蹴りを繰り出すと、クヌードは身軽に体を
クヌードは刃を返し、今度は外から。剣をぶつけて左に払ったはずなのに、次の瞬間空いた右脇腹に打ち込まれていた。
抉り取るような切れ味。チェインメイルが破れて、衝撃が体に響くが、ニアラガエのおかげで痛みは無い。
「修理にいくらかかると思ってんだ!」
頭に浮かぶのがまずそれとは、我ながらどうしようもない性分である。
今度はヴェンツェルが突く。かわされる先まで読んで刃を向ける。が、それも紙一重で避けられる。すぐさま下から上へ、水が噴き出るような勢いの斬撃。耐え切れず腕を跳ね上げられ、隙ができた胴へ串刺しに突かれそうになる。
全力で体を捻って回避すると、さっき破られた横腹の傷から熱いものが広がった。しかし避けた先にもやはりクヌードの刃が待っている。
じわり、嫌な汗を感じた。
一片の隙もない。全て読まれている。
ジゼルと戦った時のパズルがはまっていくようなあの感覚に、ヴェンツェルの方がはめられている。
それにクヌードの間合いの取り方は秀逸だった。近づけず、距離を取らせてもらえず、一方ヴェンツェルの間合いには簡単に踏み込んでくる。このまま同じ繰り返しでは決して勝てない。
抜け出さないと…!
攻撃をかわしながら後ろに跳んで半呼吸の間を作る。そこから全力で前に行こうとしたが、暗い影と共に突風が横から叩きつけ、体ごと持っていかれそうになる。
「っっ!!」
目も開けていられない程の風。足元の水に波が立ち、ゴオッという音と共に、他は何も聞こえなくなる。取り残されたように、ほんのわずか足が止まった瞬間。
クヌードは…!
もうそこで剣を振りかぶっていた。
腕の向こうから冷酷な視線に当てられ、動けなくなる。間に合わない。いくら鋼鉄の体でも、これを受けて無事では済まないだろう。とっさの判断でヴェンツェルは左腕を捨てることにし、体を庇った。
しかし、強烈な一撃を金属音とともに受け止めたのは、左腕ではなく細身の剣だった。
「…孤狼か」
ヴェンツェルにはどうしても入れなかったクヌードの間合いの内側。ヨハンは一瞬で侵すと、即座に鋭い切り返しでクヌードを退かせる。
暴風に後ろから煽られて、振り返ると翼竜の長槍が貫こうと向かってくる。弾くと、ヨハンと背中が合わさった。
「先に行けヴェンツェル。おまえは司令官だろう、皆が指示を待ってる」
ほんのわずかな時間、色々な思いが交錯して迷った。しかしヨハンの穏やかな声が、温かな背中が、全て吸い上げてくれる。
「死ぬなよ」
もう振り返らず走って、乗馬した。
駆けていく先は北。平原では逃げるブレア軍と、追うヘルジェン軍が一進一退の攻防だ。
「今は堪えろ! 私に続いて走れ!」
戦場を駆け抜けると、伝令がそれを受け、少しずつ列が続いていく。
横から突進してきたヘルジェン兵を打ち払い、上から縦横無尽に攻撃してくる翼竜の攻撃をかわし、撒き散らされる油と炎のブレスをかいくぐりながらである。ブレスの破壊力は火矢のそれと比べ物にならないが、吐くタイミングは翼竜の気分次第なのがせめてもの救いだ。
それでもきつい。いくら駆けても進んだ気がしない。
後に続く列が増えては討たれ、また増えては討たれていく。だがヴェンツェルが弱音を吐くわけにいかなかった。
「上! 来てるぞ! 散れ!」
覆いかぶさるように翼竜が巨大な翼を広げて、視界が暗くなる。そしていくらか遅れて炎のブレスが来る!
直撃は免れたが、背中が焼け焦げたように熱い。
「走れ! とにかく走れ! 頑張れ!」
すると一筋の矢が、
「フィスト!」
敵は翼竜だけではない。騎馬兵を連射で射抜きながら、フィストは返答する。
「ここはボクらが引き受ける。先に行けよ。切り札をアドルフに見せてやれ!」
最後まで戦場に残り、味方の退却を援護するのは弓兵の役割と言われている。フィスト団の腕があれば、これほどの援護はない。
「だが、おまえは近接戦に弱いだろう! 誰が守ってくれるんだ!」
答えずに、フィストは弓弦を引き続けた。
倒しきれずクヌード団が迫ってきたら? 矢筒の中身が潰えたらどうなる?
嫌な考えだけが渦巻くが、それでも走った。皆も必死に走っている。途中敵を斬り伏せたと思う。放たれる矢を剣で落としたと思うが、よく覚えていない。
「ヴェンツェル殿! この先にジゼル殿が来ています! もう少しです!」
先遣の報告に息を吹き返す。間もなく、整然と駆けるジゼルの一団と合流した。いつの間にか地面は乾いている。
「間に合ったか? 見ろ、あそこに来ているぞ」
ジゼルが指差す先には、大きな大きな
「ああ。やるぞ!」
ついて来られたのは半分にも満たなかったが、動ける者は檻を押すよう、ヴェンツェルは命じた。
しかしセバスチャン、ユリアンと再会を喜ぶ間も無く、もたらされた報告に体が重くなる。思い出したように急に傷が痛み、脇腹を押さえた。もうニアラガエの効果が切れたのだろうか。
「ブレア援軍は来ないだって?」
「ミロンド公爵を中心にマンフリート派の諸侯が反発して、招集に応じないでやんす。陛下が直談判しても従わないらしいでやんす」
それどころか、亡命したマンフリートを帰国させるため、彼らがヘルジェンと裏取引をしている噂まであるという。
「マンフリート派を煽ってブレア国内をもたつかせるのはアドルフの策略だよ。仕方ない、こっちはこっちでやるしかないね」
犠牲者数で戦の負けはもう決定しているが、このままでは終われない。
「そろそろ放つよ」
檻を覆っていた布が外される。捕獲するだけで十六名が死傷したと、フェルディナントは書簡で伝えてきた。錠前を外すだけで命懸けだ。
「で、でけえっス…」
翼竜の匂いを嗅ぎつけているのだろう、ダラダラと涎を流す口からは大きな牙に、三重に重なった鋭い歯がむき出しになっている。体長3メートルはあろうかという、
兵士が錠を外そうとしている間にも体当たりを続け、ついに檻の方が破壊された。二頭とも逃げ惑う人間には見向きもせず、一目散に翼竜へ向け走って行く。
「あんなやべぇの運ばせてきたんスか」
「私もあそこまでと思わなかったよ。見ろ、始まったぞ」
唯一の天敵、牙虎の姿を認めた翼竜はパニック状態になり、声にならぬ悲鳴を上げて逃げ惑う。制御不能となり騎手を振り落とし、あらぬ方向へ急降下、急上昇した。
「「ガウルルウゥゥガルルルルゥッ!!」」
ボタボタ涎を垂らしながら
翼竜はその巨大さから長時間の飛翔はできず、必ず降りてくる。牙虎はどう図っているのか絶妙なタイミングで、敏捷な動きと凶器の爪牙でそこを捕える。
バリバリッメリッバリイィッ!
音を立て、勇壮な翼を剥がしては猫と同じようにゴロゴロ喉を鳴らし、嬉しそうに噛み砕いていく。
「オレたちが入る余地無しっス」
顔中を血まみれに、人間などまるで無視で次の獲物を狩りに行く姿に背筋が寒くなり、ユリアンがつぶやく。
翼竜が次々捕食されていく姿に、次は自分たちだと思ったのか、馬たちも恐れをなした。恐怖はもちろん人にも伝搬していく。もうこれでは戦にならない。
アドルフが翼竜を配備しているのは、ヴェンツェルの予測に過ぎなかった。もちろん根拠は示したが、それでも証拠は得られなかった。
そして翼竜に牙虎をぶつけるのも、ヴェンツェルの発案である。これも捕食者と言われてはいるが、実際を目にしたことはない。
『丞相、大元帥をはじめ誰もが反対しているが、私はそなたを信じる。この戦場で全員に見せてやれ』
フェルディナントからの書簡はそう結ばれていた。散り散りになっていく敵を眺めながら、熱が込み上げる。
「
そこへ水を差すように、もの凄い勢いで飛んでくる長槍。ヴェンツェルがかわすと、槍は1メートル程離れた地面に突き刺さった。
「…なんであいつの翼竜だけパニックにならないんだよ」
槍が飛んできた方角の上空で単騎、アドルフが海神の怒りをぶつけてきた。ヴェンツェルも負けじと睨み返す。
「ところであのやばい二頭、このまま放置してくんスか?」
「そうするしかないだろう。これだけ大好物があれば人を襲うことは無いだろうし、腹がいっぱいになったら自分で山に帰るよ」
バリバリムシャムシャやってる
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