11 あの男

 走り回ってきたヘンドリクは馬を降り、革袋の水を喉を鳴らして飲む。

「帝国兵はほとんど全滅だろう。この丘にいるのは大体2千。丘の下は膝下まで水浸しで、引いてくるのに一日ってとこだろうな。ヘルジェン軍の動きはまだないぜ」

「ご苦労だったな」


 指揮下のブレア兵、ジゼル隊とヘンドリク隊、とっつぁんの部隊は丘に退避していたが、間に合わなかった者も少なくない。

 息をつき手の甲で口を拭うヘンドリクは、ヴェンツェルの肩に付いた染みを目ざとく見つけた。


「あんた、やられたのか」

「平気だ。私は頑丈なんだ」

「やせ我慢すんじゃねぇよ。出血してるし、すぐ手当した方がいい」

「いいから!」

 

「あん? 俺じゃ嫌なのか? あんた、孤狼にしか体を触らせないんだってな?」

 事実だ。ヴェンツェルは言い返せなかった。ばつが悪くなってしまったヘンドリクは、ボリボリと頭をかく。


「別にヘンな意味で言ってんじゃねえよ。傷を放っといたままでクヌードに勝てると思ってんなら、考えを改めろ」

 ヨハンは負傷者の処置に当たらせているから、しばらく戻らないだろう。


「…わかったよ」

 防具を外し、片肌脱いで背中を向ける。


「うお、弾がまだ残ってんじゃねえか。よく平気とか言ってられんな」

「いいよ、取り出してくれ」

 刃を弾き返す骨が、銃弾も止めてくれたのだ。


 良い位置に太い木の根が地面から盛り上がっているので、前かがみにつかまり、息を吐いた。小さな鉗子かんしを突っ込まれて、激痛に叫ぶ。ヘンドリクは一度で終わらせてくれたが、一気に汗が噴き出てしばらく動けなかった。


 そのまま処置を続けて、ヘンドリクが話し出す。

「イーヴ隊長は、酔うとよくあんたの話をしていたよ」

「それ、昔の恥ずかしいやついろいろだろう? 他の奴に言ったら減給するからな」


「たとえ他の女を好いても、いつまでも心の中にいて、ずっと憧れてる。そんな風だった。女だてらに傭兵団長クロムやってる、一体どんな鉄女なのかと思ってたが———」

 ヘンドリクの視線が傷口を外れて、うなじから肩、背中をなぞる。


「隊長がベタ惚れだったのも分かるな。ほら、終わったぜ」

「今この状況で言うことか?」

「あんた、バキバキだけどきれいな肌してんな」

「バラしたら無給で使い倒してやるからな」

 少し、耳が熱い。


 服に袖を通し、腰のポーチから小さなケースを取り出した。

「おい…それ!」

 後ろから覗き込んだヘンドリクに奪われるより早く、黒っぽいかけらを口に押し込む。

「ニアラガエの根だろ!? やめとけよ!」


 強力な鎮痛と滋養強壮効果が含まれている。しかし、後から激しい頭痛や吐き気、幻覚症状や呼吸困難を引き起こすこともある、極めて危険な薬だった。副反応で死んだ仲間を見たことがあるし、ヴェンツェルも持ってはいたものの使うのは初めてだ。

「まっず…。皆んなには黙ってな」


「いたいた。あれ、孤狼じゃなくてキミとは珍しい組み合わせだね」

 ひょろっとフィストと、とっつぁんが現れる。

「今、司令官殿の背中から弾をほじくり出したとこだ」


「そりゃご愁傷様。ま、でもその様子じゃ素直にいったのかな。よかったね」

 ちなみに銃弾ではないが、フィストが使う特製のやじりは、引き抜こうとすると筋肉や腱をズタボロに裂く性格悪いやつだ。


「それで、次の策は? ユリアンとセバスチャンに取りに行かせてるやつ?」

 舌が痺れる苦さを我慢してヴェンツェルは頷く。

「ジテ湿地で大型アロが出てきた時、この一種類だけじゃないと直感した。バルタザール先生ならどうするかと考えて、思い出したんだ」


『戦の勝ち方は色々あるがね、最終的には空だよ。空を制すモンが戦を制すんだよ。覚えときな』

 操作する為のを書きながら持論を話してくれたものだ。


「操作に必要なある程度の知能と、それ単体での破壊力と飛行能力。これでかなり絞り込めたが、あと重要なのがえるかどうかだ。アドルフのことだからな、優先順位高いはずだ」

「うむ…確かに一理ある。翼竜なら見た目も希少性も文句無しだな」


「だろ? そこで陛下にを用意してもらった」

 ようやく捕獲できたから輜重しちょうに乗せたとフェルディナントから連絡があったのが、五日前だ。


「それで二人を行かせたわけね」

「あいつらなら、もし私が倒れても作戦を実行してくれるだろう。でも、間に合わないんじゃ意味がないね」


 地図を出すと、現在地と輜重ルートを描く。ユリアンたちはこの状況を知らないから、捕食者と共に元の陣営へ向かっているだろう。彼らの進路を更に引寄せねばならない。


「それにしてもブレア軍が少なすぎではないか」

 眉をひそめるとっつぁん。帝国の陣営には援軍が待機しているはずだったが、殆どいなかったのだ。ミロンド公爵が出兵を拒否したと聞かされたから、危機的状況なのは間違いない。


 そして、四時間経たずして先に敵が動いた。

「伝令! 翼竜プラグシー団の姿を視認しました! こっちに向かっています!」


「丘の北側の水量は? 馬で進めそうか」

「可能です」

「すぐ出発だ!」

 ヴェンツェルの声に森の中が騒がしくなる。


「時間を稼ぎつつユリアンたちと合流しながら敵を引き寄せろってことでいいね」

「激ムズだな」

「だがやるしかあるまい」

 三人は立ち上がって尻をはたく。


「ジゼルにこれを渡して、少数で走れと伝えろ」

 ヴェンツェルは兵士を呼び、先ほどの地図を預ける。

「今、私の仲間が切り札を運んでいる。作戦はジゼルも知っているから、渡せば分かるはずだ」


 手当に当たっていたヨハンが戻っていないが、探している時間は無かった。翼竜部隊が火を放ったのだろう、キナ臭い匂いが充満してきて、追い立てられるように進む。


「伝令! 丘の下北側5㎞の距離にヘルジェン軍の傭兵団を視認しました。およそ1千!」

 ———クヌードだ。背筋に冷たいものを感じた。


「丘を下りるしかないな」

 左右は水没、後ろからは炎、前には傭兵界最強の男。一方向に追い込んで確実に仕留めるつもりなのだ。


 ヴェンツェルは髪をかき上げると兜をかぶり直し、剣を抜く。

「包囲される前に抜けるよ。総員続け!」


 クヌード団の壁に穴を開ける。一点に狙いを定めて駆けると、ヘンドリクが隣に寄せてきた。

「俺が開ける!」


 言葉を返す間も与えずに、ヘンドリク隊が縦列で突っ込む。包囲が完成していないとはいえ、傭兵界最強のクヌード団の壁は決して薄くない。そこに縦列で立ち向かうなど、死と同義であった。


「怯むな! 押せえっ!」

 ヘンドリクの怒号と共に、打ち倒された味方が泥水に浸かる。だがこちらも止まらない。一人、また一人と削り取っていく。


 彼らに防御という言葉は無かった。斬られ突かれるのを躊躇わず、ただ前へ剣を振るう。たとえ仲間が倒れても誰一人振り返りはせず、前だけを見ている。


「止まるなあぁっ! 当たれえぇぇ!!」

 縦列の勢いが壁をぐいぐい広げていく。ついに突破した。

 しかしその先で突如、一塊の集団がぶつかってくる。速い。回避は困難で衝突するしかない。


「ヘンドリク!」

 ヴェンツェルは飛び出していた。全速で駆ける間に、これまで敵をなぎ倒していたヘンドリクが造作もなく斬られたのを見た。

 その集団はぶつかった瞬間散開したが、またすぐに戻り、既に二度目の攻撃態勢に入っている。


 間に合え…っ!

 獣のように駆ける小さな一団が、縦列のヘンドリク隊を飲み込もうと牙を剥く。受傷したヘンドリクは辛うじて馬首につかまっているだけで、剣を振り上げられない。そこへ、あの男が白刃を向け迫る。


 ヴェンツェルの周りで空気が爆ぜた。咆哮とともにあぶみに立ち、クヌードの注意を一瞬逸らした隙に、刃を水平に凪ぐ。ヘンドリクに向けられた殺気が直前でヴェンツェルの方へ向きを変え、ぶつかり合った。


「ハンス!」

「分かってます!」

 後ろを走るハンス大尉がヘンドリクの体を受け止める。しかしなおもクヌードの刃が追う。


「させるかぁあっっ!!」

 ヴェンツェルは力いっぱい鞍を蹴って跳んだ。気合とともに上から振り下ろした剣を、下からすくい上げるようにクヌードが受ける。何の感情も浮かばないクヌードの瞳に、怯みそうになる。


 着地したヴェンツェルを踏み潰そうとクヌードが馬を駆る。

「はあああぁぁぁっっ!!」

 だがそれよりも速くヴェンツェルの剣が一閃し、馬首を両断した。大きな頭が飛沫を上げて泥水に飲まれる。


 馬が崩れる前に、クヌードは下馬しゆっくりとヴェンツェルの前に立った。

「娘はどこだ」 

「そりゃあ、父娘で殺しあうところなんて見たくないからね」

 ジゼルは少数で北側の稜線を迂回するように進んだはずだ。もう抜けただろうか。


「娘には、組織を裏切った己の責任を取らせねばならない」

「ジゼルの雇い主は私だ。ジゼルと、イーヴと、信じてくれる奴らの為にあんたを倒す。始めようか」

 クヌードは麾下きかを退ける。その顔は笑ったようにも見えた。一対一だ。


 痛みはない。ニアラガエの効果なのか、さほど緊張もせず頭はスッキリと冴えていた。

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