10 一投

 池に石を放った。そんな感じで、アドルフのバルノーブ包囲は前触れなく始まった。本人こそ姿を現さないが、ブレア国→ヘルジェン王国→ブレア国と親が転々とした街の住民は、こぞってアドルフ推しである。


「住民の暴動に追い出されるとは…!」

 なんたる不覚と落胆を露わにヴェンツェルの陣営へ退避してきたのは、かつてのハラスメント上官でバルノーブを守備していたエグモント伯だ。


「住民の暴動を煽って奪われた街を取り戻す。前に誰かさんにやられたのを、アドルフは皮肉たっぷりにやり返してきたわけだねぇ」

 クックッと喉を鳴らすフィスト。


 かつて王都目前まで攻め込んできたヘルジェンに対し、ヴェンツェル団はヘルジェン兵に扮しダルゲン商工組合の組合費を強奪。頭取のイザークを筆頭に暴動を煽り、街を奪い返したのだ。


「私はアドルフと違って、過ぎたことは忘れる性格タチでね。それよりこっからどう戦うかだろう、とっつぁん」

「うむ。そうだな」

 ヴェンツェル、エグモント、フィストが地図を囲む。


「バルノーブを落とした4千のヘルジェン軍は、我々を追撃の構えだ。迎え討つならここであろう」

「なだらかな丘陵か。いいね、さすがとっつぁんだ」


「お前の誉め言葉は要らん。フェルディナント陛下は全軍に招集をかけているから、それまで前線を維持しつつ、帝国軍と合流するぞ」

「アドルフはどうせ、帝国が出てくるまで本気で戦わないだろう? ならこっちもできるだけ白兵戦は避けたいな。そうだろうフィスト?」


「いいよ、調練の成果を見せてあげよう」

 死神が唇を吊り上げた。


 面々と休耕中の畑が続くなだらかな丘陵に、ヘルジェン軍4千、ブレア軍4千が向かい合う。

 最初は銃の撃ち合いからだ。得意技の前進しながら撃ち続ける手法で射程をつめ、敵の前衛を崩したところに、埋伏させていたジゼルの1千騎が突如側面から現れる。見事に蹴散らし、一気に優勢となる。


「深追いはするな! 敵はまだ本気じゃない。釣られないで、引き出すまでじっと粘るんだ」

 ジゼルへ伝令を飛ばしながら、上辺を引っ掻いて戻るような攻防を続ける。敵の犠牲は1千人以上になっただろうか。ジゼルはよく走ってくれたが、そろそろ馬も限界である。


「さあ、見せてもらおうか」

 稜線に現れた一団。フィストらが育て上げた弓のスペシャリストたちだ。使いこなす強弓は、通常の弓では届かぬ射程から二人を一気に射落す威力で、扱いの難しさはその比ではない。


 心地よい空気音と共に、風を捕らえた矢羽根が舞う。雨あられのように降り注いでいるのではない。各人がそれぞれ確固たる狙いで最小限の数を放ち、それが吸い込まれるように命中する、まぎれもない狙撃だ。大した数ではないと高をくくっていた敵が慌てて防御柵を立てるも、もう手遅れである。


 ばたばたと倒れて、ヘルジェン軍が退却していく。だがその背中にも更に貪欲にフィストは矢を突き立てる。射程範囲から敵が消える頃には、半数以上が動けなくなり戦場に置き去りにされていた。


「こちらの犠牲はほぼ無しか。見事であったぞ」

「なんだ、ずいぶん優しいな。私に惚れたかい?」

「なっ…! このあばずれが!」

 とっつぁんを肘でどついて、帝国軍と合流すると伝える。25km行軍し、到着したのは翌日夕方だった。


「貴殿が司令官ヴェンツェルか」

 幕舎に参上すると、お堅い物言いで迎えたのは帝国将軍、顛乙テンイツだ。


「ここまでの善戦、大儀であった。指揮権は我々で引き継ぐゆえ、しばし休息されよ」

「将軍閣下に申し上げたいことが」

「何事か」


「クヌードもアドルフも現れなかった。更にヘルジェンは何かを、恐らく兵器を隠している」

「それは我々も把握するところだが、貴殿にはそれ以上の情報があるのか」

「いいや」


 アドルフの情報統制は徹底していて、セバスチャンやフィスト団のベルントに情報収集をさせているが、詳細は手に入れられていない。


「しかし目星はつけている」

「それは貴殿の主観にすぎぬ。後は帝国に任せよ」

 弱小国の傭兵風情の意見などに耳を貸したくないと、顛乙は去っていった。


 兵士たちに休息をとらせる間、ヴェンツェルは携帯食で簡単に済ませると、地図を広げる。するとジゼル、ヘンドリクが隣に並んだ。


 森が点在する原野。自軍後方にはクレー川の支流だが、距離はかなりある。天気は晴れ。雨はかなりの量が降ったばかりで、しばらく降りそうにない。昼夜の気温差によっては朝方霧が出やすく、最も注意を要する。


 ヘルジェン軍本隊は既に構えていた。その数およそ1万。まだ全軍ではなく、体力を温存している。

 対して中央を固める帝国軍は1万5千。ヴェンツェルととっつあん指揮下のブレア軍4千+ヘンドリクの五百人隊+ジゼル隊1千は、左翼に配備された。すぐ横には丘があり森が茂っている。


 ヘルジェン本隊は帝国を睨んでいて、ヴェンツェル達に相対するのはクヌード団と情報を得ている。

 ———負けるわけにはいかない。


「丘は帝国兵で既に確保している。これをどう使うかだ」

「狙撃部隊を配備して狙い撃ちにすべきだろう」

 ジゼルの提案に、ヘンドリクが手を挙げる。


「逆にクヌード団を森に追い込んだらどうだ。あいつらは整然と動く組織力が強みで、決して全員の力量が抜きん出てるわけじゃねえんだよ。しかしこっちは優秀な狙撃手が揃ってるし、タイマンの潰し合いでも力負けしねえ」


「なるほど、森を使ってクヌード団の動きを封じ、バラすわけか」

「イーヴ隊長ならそうする」


「よし。ジゼル、あんたの部隊はよく走るし、あんたにはセンスがある。クヌード団を押し包めるかい?」

「ああ、任せな!」


 二日後、日の出とともに戦闘開始だった。うっすらと霧がかかる中、前進の合図だ。


 帝国自慢の騎馬兵が中央深く切り込んでいく。一本の槍のように押しこみ、敵を左右に分断したところを、ブレア軍右翼・左翼がそれぞれ押し包む。

 ジゼル隊が走る軌道は見事で、三方を囲まれたクヌード団が徐々に森の方へと押されている。


 その時、槍のごとく突き出した黒い帝国軍から次々と悲鳴が上がる。見ると、人と馬が燃えていた。それも通常では考えられぬほど激しい炎で。


「…来た!」

 言いながら、ヴェンツェルも口が開いたままだった。


 ヘルジェン軍の後方の空に、不吉な黒い点がいくつも浮いている。編隊を組んでぐんぐん近づいてきたのは、翼竜プラグシーだ。言わずもがな希少生物である。

初めて見たがこんなに大きいと思わなかったし、威風堂々たる姿は伝説や物語の中で人を畏怖させるには十分だ。


 それに人が乗り、上から銃で撃つわ矢を降らせるわ、更に液体を撒き散らす。そして火矢と気まぐれな炎のブレスが放たれると、激しい勢いで燃え広がる。相当に燃えやすい液体で、逃げ惑う帝国兵よりも早く炎が伝い燃え上がる。


翼竜プラグシーなんてちょっと感動だけど、これマズイね」

 丘の中腹で待ち伏せていたはずのフィスト団も、危険を察知し下りてきている。森に火を放たれたら一巻の終わりだ。


 たかだか10騎である。しかし経験したことのない頭上からの攻撃に、帝国軍はドミノ倒しのように崩れ、バラバラに後退している。それに伴い、数で劣るはずのヘルジェン軍が陣形を立て直している。


「このままじゃ逆にこっちが包囲されるよ。一旦退くぞ!」

 駆けていくすぐ脇を翼竜プラグシーがかすめ、将校が液体をかぶった。この臭い、どうやら鉱物油のようだ。


「うわああああぁぁ——っっ!!」

 一瞬で半身に炎が立ち上る。

「服を破り捨てろ!」


 叩いて消火を試みても炎の勢いは全く変わらない。何とか服を捨てたが、皮膚がどす黒くなるほどの火傷を負っていた。この短時間でだ。

「危険なの作りやがって! バルタザールババア!」


 以前、ジテ湿地でヴェンツェルが使った油の比ではない。まるでバルタザールとアドルフの高笑いが聞こえるようだった。その間にも逃げ惑う兵士へ銃弾と矢が降り注ぐ。


「川へ! 川までもう少しだ! 川を目指し退却せよ!」

 帝国兵の伝令が伝えてくる。

「川だって?」


 地図を思い浮かべると、確かに戦場の後方にはクレー川の支流があった。そんなところまで後退させられてしまったのか。


「けど川なんて、わざわざ逃げ場を用意してくれたようなものじゃないか」

 炎上する火の熱さと勢いは恐怖でしかなく、水のある方へ向かいたくなるのは自然だ。

 しかしはっとする。これは…!


「川は駄目だ! 反転しろ。丘を、高台を目指せ!」

「ヴェンツェル司令官!? 何を?」

「伝令し直せ! ヘルジェンに誘導されてる。川には向かうな!」

 馬を走らせ、ありったけの声で叫んだ。反転しろ、丘に登れ、川へ近づくな。


 逃げるのに必死の帝国兵は気付いていないが、ヘルジェン軍はほとんど追って来ない。主に攻撃を仕掛けているのは翼竜部隊だけで、総員が退却体制だ。準備が整ったのだろう。


 丘に差しかかった時、後方で地鳴りのような音がする。


 振り返ると、川が魔物のように暴れて戦場を洗い流していくところだった。人も、馬も、何もかもが飲み込まれていく。


「上へ! 翼竜プラグシーの動きに警戒するんだ!」

 翼竜の動きを捉えようと見回した時、その男の姿を認め、ヴェンツェルは固く手綱を握った。


 戦場にありながら、翼竜に乗って優雅に空中散歩でもしているようだ。翼を広げた黒い竜と黒塗りの鎧に、兜をしていない深炎の髪のコントラストが美しい。


 アドルフは上から傲慢にヴェンツェルを見下ろしながら、銃で狙っていた。

「!!」


 とっさに頭を庇うと、肩甲骨のあたりに鋭い痛みが走り、落馬しないようしがみつく。銃弾が骨に当たった感覚があった。


「…不安定な翼竜プラグシーの上から撃って当てるだと? ちくしょうめ」

 銃の精度など、平らな地面で撃ってもたかが知れているのに。


 お前を生かしたことを、余に後悔させてみろ。見下ろす顔がそう言っている。


 相手を川へ追い込んだところで、ダムの水門を一気に解放し、戦場ごと洗い流す。

 それはかつて、アドルフ自身が帝国に味あわされた苦汁だった。

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