7 雷帝の娘
ヘンドリク隊が加わって二週間が経ち、互いに打ち解けてきた昼時。やばいから来てくれっスと言われ、練兵を切り上げてフィストは向かった。
「そう言われてもね、ボクじゃ止められっこないよ?」
連れられた先では、ヴェンツェルとヨハンが戦っている。訓練用の木剣ではなく、真剣で。
「ばかやろう!! おまえなんかもう契約解消だ!」
息つく間もない連続攻撃を繰り出すヴェンツェル。軽くあしらっているように見えるが、一分の無駄も隙もない動きのヨハン。
「ムリムリ、あんなとこ入っていけないって。なんの夫婦喧嘩なのさ」
腕を組んで眺めているヘンドリクとユリアンが顔を見合わせる。
「ヘンドリクさんが、クヌードの娘の話をしたんスよ」
雷帝クヌードの娘、ジゼルは幹部として1千人を率いている。ヘンドリクがそう話した時、おもむろに「娘を知ってる」とヨハンが口を開いたのだという。
「そしたら『おまえ、なんで今までそれを言わなかった!』って
「あーもしかして『おまえがそれを早く言ってればイーヴは死なずに済んだ!』ってなっちゃったわけ?」
ヘンドリクが頷く。
「イーヴ隊長のことはアドルフに嵌められたんだから、ジゼルと接点があろうが無かろうが関係ない。でももう聞く耳持たずで」
そして司令官と右腕が本気でやりあうという、兵士たちがざわつく状況になったわけだ。
「ヨハンさんもなんかスイッチ入っちゃったみたいで。あれ結構本気でやってるっスよね?」
その証拠に二人とも息が上がっている。
ヴェンツェルの頭に血が上っているのは分かりやすいが、ヨハンの方もささくれ立って見える。山砦の時もそうだったが、ヴェンツェル相手になると感情的になるのが分かってきた。
「ま、孤狼なら心配ないでしょ。それより奴と娘の関係は? こっちも元恋人?」
「その逆でフッたらしい」
「ヤな男だねー。で、雷帝の娘ってどんな女なの? かわいい? んなわけないか」
「そこそこ綺麗な顔してるが苛烈な性格でな、腕は相当立つ。で、金が好きだ」
ヘンドリクの言葉にユリアンもフィストも吹き出す。
「まるでどっかの
するとヨハンが「いい加減にしろ!!」と!マーク2つで声を荒げると、腹に巻かれたチェインメイルへスピードと体重が乗った一撃を叩き込む。
「うぉ強烈! あれ防具しててもキツいっス」
よろめきながらヴェンツェルは次の斬撃に備えるが、ヨハンは足首に蹴りを放つ。すくわれるようにバランスを崩したところへ今度は
更にヨハンは踏み込み懐に入ると、肘肩で突き飛ばしざま、もう一撃横腹に撃ち込む。耐えきれずヴェンツェルが倒れたところを、容赦なく上から踏みつけた。
「おー。ああやって足元から倒せばいいわけね」
「
「馬で踏んでも死ななそうだもんな」
互いに肩を上下させ、しばらくそのままの体制で睨み合っていたが、ヨハンが剣を収め、去った。
「はいはいそれじゃ、仲直り大作戦といきましょーか」
フィストの口が横に伸びる。
◇◇◇◇
フィストから呼び出され、全員集合したのは日が沈んでからだった。ヨハンが捕まらなかったのだ。
「遅いっ!」
長々待たされたヴェンツェルは鼻息荒く、幕舎に入ってきたヨハンはそっちを見ようともせず席に着いた。
「じゃ作戦会議始めるよ。クヌードの娘ジゼルを引き入れようって話だ」
ヴェンツェルが目を丸くする。
「親子だぞ?」
「それが崩せる余地ありなんだよね、ヘンドリク」
「ああ。女だてらに父親と同じ職を選ぶくらいだからな、関係が壊れてるとは思えない。しかし一方で、独立したいが認めてもらえないと聞いたことがある」
「それにね、ジゼルには結婚したい男がいるんだけど、それも許してもらえないらしい」
「親バカなのかい、あのくそオヤジ」
ふんぞりかえるヴェンツェル。
「一人娘だからねぇ。で、ジゼルとの交渉はキミがやってくれるね?」
「私が?」
「ここの部隊で女を口説くのが一番上手いのはキミだよ」
「いや意味不明なんだけど」
「そして孤狼、ジゼルを揺さぶるにはキミが必要だ。このミッションはキミたち二人に実行してもらう」
「嫌だ」
ヨハンに先を越され、ヴェンツェルが舌打ちする。
「拒否るなら有効な代替案を出すんだな。キミたちがジゼルを崩せなかったら、ブレア軍は潰されるから。いいね」
フィストに弓を構えられたような気になり、二人とも黙った。
「正面からぶつかってもクヌードには勝てない。だがジゼルの1千がいれば可能性はある。そうだろ
ヘンドリクにお願いされては、断れるはずもない。
「…ジゼルのことを詳しく教えてくれ」
ブリーフィングが済んで出発する頃には、既に夜中近くになっていた。月と星が明るいので、灯り無しで馬を走らせる。
だがそれも途中までで、見張りに見つからないよう、暗闇に身を潜めながら長い距離を歩くことになる。
「じゃ、ここで待機してるから、やばいことになったら合図してね」
とフィスト団に手を振られて二人で進む間、互いに一言も口をきかなかった。三十分は歩いただろうか。
見張りをかいくぐり、狙いの幕舎に忍び込む。暗さに目が慣れると、寝台に男女が眠っているのが分かった。ヨハンが静かに剣を抜く。一歩一歩近づいていく。
先に異変に気付いて身を起こしたのは女の方だった。しかし首筋に刃が当てられ、もう身動きできない。ヴェンツェルが灯りに火をつける。
「ヨハン…?」
タンクトップから胸がこぼれているのも気づかず、動揺をあらわにするジゼル。
「動いたり騒いだりするんじゃないよ。こいつがかつての仲間だろうと躊躇なく殺すのは知ってるだろう」
男の方もお目覚めだが、こっちはヴェンツェルに刃を向けられ何もできない。
「その髪色…『鋼鉄のヴェンツェル』か」
「あんたと話がしたい。聞いてくれるね」
ジゼルが胸元と、乱れた長い黒髪を整える。
男として育てられたヴェンツェルは、ずっと女の部分を隠すよう生きてきた。髪型や服装や話し方をそうするうちに、体型も自然とそうなったが、彼女は違う。
ヴェンツェルよりも日焼けして筋骨隆々だが、胸の大きさや体のラインといった見た目だけでなく、強烈なほどに女全開だった。
男を愛し、愛されてきたのだろうと思う。
「話を聞こう。剣を下ろしてくれ。…心配ないよ、ファビアン」
くっきりとした黒の瞳を隣の男に向ける。その視線だけで二人の親密さが伝わるようだった。
「彼氏、すごいイケメンだな。付き合ってどのくらい?」
「二年」
「長いな。そろそろ結婚を?」
「…別に結婚の形にこだわらなくていいと思ってるけど」
そう言いながらジゼルの目線は、ヴェンツェルではなくヨハンに向いている。なのにこの男はちゃんと目を合わせようとしない。
「なに照れてるんだよ」
「そうじゃない。…なんて話したらいいか分からない」
ボソボソ言う男に吹き出しそうになる。
「ヨハン、元気そうで安心した」
ジゼルの方から言葉をかけられ、ようやくヨハンは「そっちこそ」と受け答えした。
以前自分のことを好きだと言った女が、今カレと共に目の前にいる。これがニヤけずにいられるだろうか。ヴェンツェルは頰の内側を噛んで堪えた。
「うちを抜けた後、どうしていた?」
「変わらない。いくつかの傭兵団を転々として、今はヴェンツェル団でブレア軍として戦ってる」
「アンタには迷惑なことしちゃったからな。ずっと謝りたかった」
「ジゼルのせいじゃない。気持ちに応えられなかったのは俺の方だし、元から一つ所には長く居られないタチだし」
「そうだったね。今は
「そんなわけないだろう」
「私は雇い主だ」
二人揃って即座に返され、ジゼルはきれいな歯を見せて笑った。その顔に、ヴェンツェルは彼女を好きになれそうだと感じた。
「ジゼル、俺たちと一緒に戦ってくれないか。今日はそれを言いに来た」
速やかにこの場を退散したいのか、ヨハンが切り出す。
「いくらアンタの頼みでもそれは…」
「無理は承知の上だ。金や条件で折り合いがつくならそうしたいと思ってるし、こちらにはその準備がある」
「それはあたしじゃ決められないよ。契約を変えるならマリウスを通さないと。ヘルジェンとの契約で5千人を出すことになってるんだ」
「勘違いしないでくれ。私たちはマリウス・クヌード団と交渉してるんじゃない。あんた個人に言ってるんだよ」
ジゼルとヴェンツェルの視線がぶつかる。
「私はあんたが欲しい」
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