6 男前ガールズトーク
ヴェンツェルが幕舎に戻ってきたのは、夜中過ぎだった。
「遅かったね
「アンナ! まだ起きていたのか」
五百人隊の食事や馬の
「こんな時間まで起きてちゃ駄目じゃないか」
「もう小さい子供じゃないんだよ?」
ほっぺたを膨らませるアンナに笑みを返してくれるが、さすがに疲労は隠せない。防具を外し寝台に座って靴を脱ぐと、さっさと横になってしまう。しかし、目は開いたままだった。
「ねえ
ヴェンツェルが外した武器と防具を敷物に並べながら、アンナはその名を出した。
「ん、そうだよ」
「特別だったの?」
「なぜそう思うんだ?」
「なんとなく」
ヴェンツェルはアンナの方に顔を向ける。そしてふっと微笑んだ。
「まいったね、分かるかい」
「女同士だもん。分かっちゃうよ」
アンナも微笑んだ。
「そうだね…離れてから何年も経つのに、たまに夢に出てきたりしてさ。思い出すのは笑い声とか、くだらない冗談とか、いい事ばっかりだ」
そう思い出を語るヴェンツェルの顔は今までに見たことがない、まぎれもなく大人の女性だ。
「恋をしていたとは思えないけど、そうだな、今でも大切なのかな」
「ねえねえ、なんて口説かれたの?」
ちょこちょことにじり寄って、アンナは寝台に肘をついて顔を合わせる。
「なんだよ」
「いいじゃん教えてよぉ。将来のためにさ」
「しつこかったんだよ。あの顔で歯の浮くようなセリフ言いやがってさ。どうせ冷やかしか罰ゲームだろうと思って聞き流してたんだけど、ある時『本気じゃなかったらお前なんか誘うわけねえだろ!』って半ギレで言われてね。それで妙に納得しちまった」
「イーヴの粘り勝ちだ! いいなあ、よっぽど
「新入りだった私に何かと世話を焼いてくれて、あいつはずっとアピールしてるつもりだったらしい。私は全然気づかなくてね、おせっかいな奴だとしか思ってなかったよ」
「ひっどーい」
ヴェンツェルが声を立てて笑うと、アンナも一緒になって笑う。
「それで付き合うことになったんでしょ?」
「あのね、男の為に料理をしたりスイーツでキャッキャしたり、そんな女子力が私にあると思うかい?」
「思わない!」
「だろ。私にできるのは、あいつの足手まといにならないようについて行くことだけだった。だから早く
過去を懐かしむ穏やかな表情は、無理に作ったのではないように見えて、少し安心する。
『前の夫が戦死した時、長く仕えてくれている者たちと思い出を語り合ったことが随分と救いになったと思う。だからもしあの人が仲間を失った時には、話し相手になってあげなさい』
そうコンスタンツェに言われたのだ。
昨年の冬からずっと、アンナはコンスタンツェの元に滞在していた。その間にヴェンツェルは中隊長になり、司令官になり、戦勝の知らせを受け取るたびにコンスタンツェと手を叩き合った。
ヴェンツェルが捕われたと聞いた時は身がすくむ思いだったし、躊躇なく超高額な身代金を支払うコンスタンツェには心底感謝した。
すると今度はヴェンツェルから聞いてきた。
「おまえはどうだ? 好きな男はいないのかい?」
「いないよ」
「そうなのか。将校の間じゃ結構人気あるんだけどね」
コンスタンツェの元、厳しい合宿をやり遂げたアンナは見違えるようだった。まず姿勢と言葉遣いが違うし、伸び放題だった髪も整えられ、令嬢らしくまとめている。服は地味でも、薄化粧は怠らない。陣営では『ヴェンツェルの妹』と呼ばれているのだから、どこに出ても恥ずかしくないようにしなくてはと思う。
そしてあらゆる手伝いがアンナの仕事で、傭兵団だけでなく兵士の靴下をちょこちょこっと縫い上げたり、調理の手伝いに加わることもある。だから仲良くなるには十分な環境で、実際、兵士からプレゼントされた花を幕舎に飾ったりしているのだ。
「寝起きは
「ハンス大尉はどうだ? 見た目はそこそこだが性格は悪くないし、家柄も良い。何より投機で相当儲けてるみたいだ。彼女いないって言ってた」
ヴェンツェルの側近将校の一人だ。
「
いそいそと、勉強道具の紙挟みから取り出した人物画を見せると、ヴェンツェルの口がぽかんと開く。
炎のような真紅の髪、海神を宿した深蒼の瞳。ラフに描いたタッチでいながら、細部までよく表現されている。
「おまえ、これが誰か知ってるのか?」
「かっこいいよね~アドルフ陛下。
「こんなもん誰が買うってんだ」
「ご当地限定品もあってね、大人気なんだよ」
「ご当地ぃ!? 王たるものがそれで金を稼ぐか! あいつ意外にせこいな」
ぶろまいどに描かれた画は、ドアップのキメ顔、物憂げな表情に胸をはだけたセクシー系、剣を構えた鎧姿とバリエーション豊かに、『煉海の王見参』『ヘルジェンの星』とか微妙にダサいフレーズが添えられている。
「
「…実物の方がもっとすごい」
「そうなの? どんな風に? いいなあ、私も会ってみたいなあ」
ぶろまいどを見ているだけで心が温かくなり、うきうきしてくるのだ。気づくと口角が上がっていて、何もかも忘れてあっという間に時間が過ぎ去っている。
———これが恋なのかな?
しかしヴェンツェルは半分身を起こしてしかめ面だった。
「敵の親玉だぞ! ダメに決まってるだろう。もっと身近な男にしな」
「えーっ、勝手に好きになるだけなら自由でしょ?」
「そりゃ…、好きになるのは自由だけどさ…」
すると急に声が小さくなり、起こしかけた身を寝台に納めて布団をかぶってしまった。
「あっ、
「うるさいな、私は疲れてるんだ。ランタン消して、おまえももう寝な」
「どうしたの急にぃー?」
急に変わった態度はなんだか不審だが、ヴェンツェルはもう目を開けるつもりはないらしい。仕方なく続きはまた明日見せようと、アンナはぶろまいどにおやすみを言って、ランタンの炎を吹き消した。
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