5 沈む空
イーヴとの連絡は途絶えた。
フィストの方のツテも金額に折り合いがつかず、進展はない。クヌード団と戦うことになるだろうかと考えながら、ブーツを履いていた時である。
「失礼します。哨戒中の兵士より、5kmの距離に六騎のヘルジェン軍を発見。攻撃の意思はなく、アドルフの書簡を持っており司令官に面会を希望とのこと」
「アドルフの? そんなの初めてだな…。ハンス大尉を呼んでくれ。あとフィストも」
「はっ」
兵士が出て行くと、物語を読書中のアンナが顔を上げる。
「気をつけてね」
「なんだ? 使者に会うだけだ。戦うわけじゃない」
「そうなんだけど…なんとなく」
「行ってくるよ」
目の覚めるような赤地に
ヴェンツェルが後から幕舎に入ると、使者が頭を下げる。
「堅苦しい儀礼は無しにして、用件から述べてくれ」
使者が書状を広げる間、油断なく一人一人の顔を確かめる。傭兵三名は後部に座して、同じようにヴェンツェルを見ていた。
二名はヴェンツェルと同じ年代の若者で、もう一人は日焼けした肌に顎部分だけ髭をたくわえた、年配の男。その体つきは痩せ型で、鎧を着けていなければ武人と分からないかもしれない。
「申し上げます。一つ、国民兵士から奴隷まで、なべて我が国の財産である。我が国と契約した傭兵もこれに準ずるものであり、教唆及び引き抜きは我が軍への挑発行為とみなす」
バカバカしさに一瞬言葉を失う。
「何言ってる、傭兵は本来誰と契約しようが自由で、国に支える義務はない。
「二つ、余は講和を望む」
「…何だと?」
今度こそ本当に言葉を失う。あの戦バカが戦う前から講和を申し入れるだと?
「条件は?」
「バルノーブを中心としたヨーマ地方一帯を割譲する」
山砦の戦いの流れで手に入れたバルノーブは、前線への重要な補給地で、現在統治しているのはエグモントを司令官とするブレア軍だ。
どの角度から見ても条件が良すぎる。あの男、何を考えている。
「一介の前線司令官に過ぎない私から返答はできない。急ぎフェルディナント陛下に伝えよう」
「条件には続きがあります」
使者は泰然と続ける。
「余は貴女との契約を望む。契約に際し、これを贈呈する」
使者の合図で兵士二名が外に出て、荷車から何かを運んでくる。茶色の布に覆われたそれは、いやな臭いがした。
覆いが外されて、ヴェンツェルは思わず後退しそうになるのを抑えた。
切り刻まれ赤褐色に染まったイーヴの遺体だった。
「
最後列でずっとヴェンツェルを注視している、髭に白いものが混じったどこにでもいそうな男。確信した。
「アドルフ陛下のやり方だ」
「手を下したのはあんただろう!!」
爪が食い込むまで握りしめたヴェンツェルの拳が、見て分かるほど震えている。声も、呼吸までひび割れている。
「
「この男は契約に背き、敵方であるお前に加勢しようとした。よって粛清しただけだ。それが組織というものだ」
「五百人隊はどうした!?」
「無論」
「フィスト」
五百人が討ち果たされたという情報はまだない。イーヴのことだから、仲間はどこかに潜ませたのだろう。その一言でフィストはもう、救援に動き出す。
ヴェンツェルはクヌードから目を離さない。
「アドルフ陛下はお前と契約したいと仰せだが、正確には我が配下に入ってもらう」
「尚更聞けるか。仲間を殺すような
すると使者が割り込んでくる。
「よろしいのですか、条件を呑まないと、講和を破棄することになりますよ」
「私は司令官である前に
「そのために多大な犠牲が出ることになろうともですか」
「もう出ている!!」
ギラついた刃のようなヴェンツェルの目。返答を得た使者と兵士は幕舎から出て行く。
残ったのはクヌードと、二名の配下だ。クヌードは顎髭を撫でる。
「感情を抑えらえず、ブレアにとって有利な講和を自ら破棄するとは、愚かだな」
イーヴの遺体には、数え切れぬほどの傷があった。なかなか死なせてもらえなかったのだろう。長く苦しんだのだろう。
クヌードは仲間に対し、こういうやり方をする男なのだ。
傭兵だから、命を落とす覚悟は常にしている。そしてイーヴは少なかれ、自分の行動の結果がこうなるのを予想していたはずだ。そのこと自体は誰を責められるものではない。
「あんたらのやり方が間違いだとは思わない。ただ、私には許せないだけだ」
そしてアドルフは、ヴェンツェルを揺さぶるためだけにこんな形で彼を汚した。
「だからあんたとアドルフを倒す」
「その言葉、後悔することになるぞ」
クヌードは去っていった。武器は預かっていたが、三人共々一分の隙も見せなかった。あれが集団になったら、どれほどなのか。
「遺体を安置しておいてくれ」
ハンス大尉に言い残して向かうのは、フィストの元だった。
「どうだ? 見つかったか?」
「12kmの距離に追われてるっぽい軍勢がいる。数からいって間違いなさそうだ」
「すぐに1千騎出せ。私も向かう」
「悪いけど冷静な判断ができると思えない。キミはイーヴの側にいてくれ」
「けど!」
フィストはヴェンツェルの両肩に手を置く。
「その熱はクヌードまでとっておけよ。五百人隊はボクたちが必ず連れ帰るから。いいね」
フィストの黒い瞳からは、強い意志とその底に怒りが見て取れた。それはヴェンツェルの
「…あいつの仲間なんだ。必ず助けてくれ」
「任せろ」
軍議を行う幕舎で、じっと卓の一点を見つめたまま、ヴェンツェルは一言も喋らなかった。それはおいそれと話しかけられないような沈黙で、アンナはただ居るしかできない。
にわかに外が騒がしくなったのは、日が傾きかけた頃だ。外に出ると、疲れ切った兵士たちが次々と陣営に戻って来ている。
「全員無事ってわけにはいかなかったけどね。四百人以上はいるよ」
砂埃の顔を拭うフィストは矢筒四つを馬に、一つを腰にぶら下げているが、どれもほとんど空だった。
「どんだけ撃ったんだ」
ヴェンツェルが差し出した手を、バチっと握り返す。
「そこはさ、感極まってハグとかキスじゃないの?」
「私はそういうキャラじゃないんだ」
「もー、素直じゃないなあ」
握った手をグイッと引っ張られ、背中をポンポンされた。
「…ばか。平気だ」
見た目以上の筋肉に覆われた胸を両手で押し返すと、ニタリとして離れていく。
「死神のくせに…」
五百人隊のメンバーの中に、見覚えのある男を発見した。向こうも気付き、近づいてくる。
「
以前イーヴと共に陣営にやったきた男で、一番古い仲間のヘンドリクといった。
「イーヴ隊長は、あんたが命を賭すに値する人だと身をもって証明した。だから俺たちはあんたと契約したい」
ヴェンツェルは頷く。
「イーヴの遺体を清めて埋葬したい。手伝ってくれ」
「隊長は、こうなる事を分かってた。だから俺たちはあんたを恨んでないし、あんたも自分を責めないでくれ」
「あんたらの隊長は強かったんだよ、昔からね。今も変わってなかった。やさしいところも」
ヘンドリクは涙ぐんで頷いた。
埋葬場所に選んだのは、夕陽がきれいに見える丘の上だ。
橙色に染まったイーヴの冷たい顔を、ヴェンツェルは指先でそっと撫でた。
そして皆で土をかけ終えると、石を積んだだけの墓標の前で言う。
「イーヴは私に命を託してくれた。だから私も彼と、ここに来てくれた皆に命を預ける。戦いは困難を極めるだろうが、それでも私についてきてほしい」
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