第三章 それぞれの世界

1 死神はお熱いのがお好き

「あー、極楽ぅ」

 ヴェンツェルが浴場に向かったのは、練兵に疲れきった兵士たちが静かに床に入る頃だ。


 共同浴場では一応男たちに気を遣い、いつも一番最後を見計らっている。この体に誰も興味など無いだろうと思っていたが、そうでもないですよと側近将校のハンスが初めて教えてくれたのだ。今まで傭兵団は一言も言ってくれなかった。

 視界は月光とほの暗いランタン一つだけだ。ヘルジェンではこのような湯場が珍しくないという。


 バルノーブを落として、戦線は小休止状態だった。ヘルジェンは積極的に撃退するでもなく、戦いは小競り合いにとどまっている。一方ブレアも、都ディウムへ向け進軍するほどの兵力を割けずにいた。


「なんとなれば、ブレア国王グスタフが崩御だ」

 これによりフェルディナントが即位したわけだが、マンフリート派の諸侯が猛反発し、国内は一触即発状態なのだ。


 マンフリートは王都へ移送中に逃亡、ヘルジェンに亡命したらしい。

 帝国&フェルディナント派 VS ヘルジェン&マンフリート派の戦火がいつどこで口火を切るのか、それまで両国両派とも兵力を温存しようという体である。


 契約更新は無いと思っていたところに、フェルディナントからは三度目の契約書が一方的に送り付けられてきた。長文の手紙には共にブレア国へ戻るよう書かれていたが、それを拒否して前線に残るのを条件に契約に応じた。


 理由は二つ。一つは兵力強化のためだ。マンフリート派に諸侯が流れてしまったからには、ブレア国内で駒の奪い合いをするのではなく、別口で調達する必要がある。


 もう一つは他でもない、フェルディナントと少し距離を置きたかったのだ。


 湯は絶えず掛け流しのため温かく、思い切り手足を伸ばす。黄土色のにごり湯のおかげか、傷が癒えるのが早い気がする。アドルフにつけられた顔の傷も、もうかすかな跡が残るだけだ。


 じんわりと汗が湧いてきて、そろそろ出ようと思った頃である。誰かが入ってきたようで、洗い場で湯をかぶる音がする。

 暑さを堪えてじっと待つ。洗い場は出入り口のすぐ横にあり、男が洗い終わり湯に入ったところを入れ違いに出るつもりだった。しかし、洗いが長い。


「くそ、いつまで洗ってんだ」

ここはブレア軍御用達の浴場で、男湯しかない。且つこの時間はいつもヴェンツェルが入っていることは暗黙の了解で、最近はのぞきたいなどという酔狂は見なくなった。


 ようやくヒタヒタと濡れた足音が近づいてくる。

「あれ、偶然だね」


 フィストである。隠そうともせずにヴェンツェルのすぐ目の前を横切って、向かい合い湯に浸かる。長い髪を女のようにクルクルと一つにまとめて、湯に入ればどう見ても二人は男女逆転だ。


「夜目まで効くのか」

 彼はランタンを持っていなかった。灯りは、湯船から数歩離れたところにヴェンツェルが置いた一つだけである。


「まあね。『孤狼のヨハン』のように異界テングスまで見通すことはできないけどね」

 ヴェンツェルには人がいる程度にしか認識できない。


「やっぱり女の肌してるんだな」

「そこまで見えるのか? すごいな」

「普通そこ恥ずかしがるとこなんだけど」

「恥じらってほしいのか? 生憎だな」


「じゃ聞きたいんだけど、孤狼ほどの奴がなぜ何年もキミに従ってる?」

「契約だからに決まっているだろう。愛し合ってるとでも言うと思ったか」

「それは理想的だけどね。馴れ初めを聞いてるんだよ」


「あんたには関係ないだろう」

「あ、やっぱり恥じらうような関係なわけ?」

 こいつの言い方はいちいち本当に腹が立つ。


「山砦で捕われたキミを救出しようと、一番躍起になってたのは孤狼だった。奴があんな焦ってるところ初めて見たよ。一人で突っ込む勢いでさ、なだめるの大変だったんだぞ」

「それは、私がいなければ給金が払われないからだろう」


「何言ってるんだよ。奴なんか、引く手あまたの高給取りだろ。戦さえあればどこでも食っていける」

 言い逃れはさせてくれないようだ。見えない視線を感じて、渋々ヴェンツェルは答えた。


「…命を助けた。動けないあいつの世話をして、故郷まで連れていった。それだけだ。あんたが期待するような事は何もない」

「昨日も一昨日も、二人でどこか行ってたじゃない」

「特訓だ。ボコボコにされるところをあんまり人に見られたくないからな」


 金を払って特訓してもらっているのだ。手加減無しでやるようヨハンには言っていて、ヴェンツェルの体は生傷とアザだらけだった。十回やって、二回追い込めれば良い方だ。

 全てはアドルフに勝つ為である。


「ふぅーん」

 これ以上聞いても無駄だと判断したのだろう。フィストは話題を変えてきた。


兵站へいたんは確保できつつあるよ。そろそろ人材確保の頃合いだけど、アテはあるの? 司令官殿」


 契約により、ヴェンツェルはヘルジェン前線基地の司令官になっていた。上にいるのは、元帥たちと大元帥、そして国王フェルディナントだけだ。

 部下の将校にとどまらず、傭兵団のメンバーも役割を担ってくれている。


「マリウス・クヌード団がヘルジェンに雇われているのは知ってるな。これを引き抜きたい」

「マジで言ってんの?」


「五百人隊長をやってる元同僚に再会してな、セバスチャンに連絡を取らせている。あんたの方も何かアテはないか?」

「なくも無いけど。…キミ、本気でヘルジェンに勝つつもりなんだな」

 ククッとくぐもった笑いで肩を揺らす。


「引き抜く他には? 例えば嫁の財力で買収とかさ」

「うちが単独で買収なんか仕掛けたら潰されるだけだ。やるならブレア国を巻き込みたいが」


「ブレア国には金がない。うーん、提携は? 対等な条件でってのは厳しいな。あるいは傭兵団長クロムクヌードを倒す」

 傭兵界最強の男。それが『雷帝クヌード』である。


「そこまで命知らずにはなれないな」

「アドルフを倒すには、避けては通れないかもよ」

 ヴェンツェルは黙った。暑いのだ。それを知ってか知らぬか、フィストは遠慮なく話を続ける。


「亡くなった前国王は、負けなければそれで勝ちとするような戦い方だった。ボクはそれが嫌でね、キミと契約するまではヘルジェンについてたんだ」

 ジテ湿地の戦いでは湿地で帝国兵を待ち伏せて、針山状態にしたと聞いた。


「だからジテ湿地でヘルジェンが撤退させられて、今までと変わったと感じた。指揮官がフェルディナントとマンフリートに代替わりしたからかと思ったけど、それだけじゃない。原動力はキミだった」

 そこまで調べ上げてヴェンツェルに接触してきたのだという。


「あんたが加担すれば勝利を引き寄せる。だがいずれ必ず、その部隊に破滅をもたらす。しかし部隊が壊滅してもなぜかあんただけは生き残る。ヘルジェン軍はダルゲンまで攻め上がってきたが、ジテ湿地で撤退に追い込まれた。しかしあんたは生き残った。まさに死神の言われ通りになったわけだ」


「そうそ。けど、その発端はキミだ」

「アドルフに勝つためだ」

「フェルディナントのためじゃなくて?」


 ぎくりとするが、動揺が顔に出ないよう必死で無表情を作った。

 フィストの顔は見えないが、ニターッと笑っているような気がする。


「キミ、意外と顔に出るんだな。かわいいとこあるじゃん」

「なんの話だ!」

 湯を跳ね上げるが避けられたらしく、フィストは笑いながら背中を向けた。


「のぼせる前に上がれよ。顔が真っ赤だ」

 何から何まで見られている。言い返すと墓穴を掘りそうなので、悔しいが退散した方が良さそうだ。

「ボク、なんちゃって聖職者だけど口はカタいから安心していいよ」

「いいからツテを探っとけ!」


 フィストの背中が揺れているのが分かる。他の奴にバラされるよりも、こいつに気付かれている事の方が問題だ。ここで息の根を止めておくべきだろうか。

 ランタンの鉄枠で後頭部を一撃して後ろから首を絞めて…と湯から上がると、やはり長く入りすぎたようで頭がクラクラした。これでは勝負にならない。


 それにしても、なぜバレたのだろう。ヨハンが喋るとは思えないし、そんなに顔に出ていただろうか。

「あーもう! せっかくいい気分だったのにあいつのせいで台無しだ!」

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