15 その輝きで
グリュニー要塞の地下牢に下りると、フェルディナントは人払いをした。時刻は真夜中になっている。
マンフリートは眠っていた。傷の処置後、鎮静作用のある薬湯を飲ませたと聞いた。
椅子を引き寄せて腰掛ける。何事も無かったような穏やかな寝顔を格子越しに眺めて、思い出すのは昔のことばかりだ。
遊戯盤に負けてつい手が出て、ケンカになった事は数知れず。剣を競い弓を競い、どちらがより速く馬で駆けるか競い合った。可愛がっていた愛馬もきょうだいで、まるで双子が二組いるようだと嬉しそうにしていた馬丁の顔。
「起きろ、フェルデ」
いつのまにか眠っていたようだ。格子の向こうからマンフリートの手に揺すられていた。
「こんな所で眠りこけて。オレはお前を殺そうとしたのだぞ。少しは警戒しろ」
「起こすのも悪いし待とうと思っていたら、寝てしまった」
フェルディナントが戻って来ないので、番兵は見回りに来たのだろう。体には毛布がかけられていた。
「こうして二人で話すのは何年ぶりかな」
「話す必要などない。処刑の準備をしろ」
「そう言うな」
「何をためらってる。オレは国を裏切って、お前を倒そうとしたのだ。処刑しなければ示しがつかんだろう」
不機嫌にマンフリートは言う。
「お前が裏切ったのはおれで、国ではないだろう」
「分かったような口を」
「おれたちは言葉が話せるようになる前から意志を通わせていたんだ。そのくらい分かるさ」
やっと立てるかどうかという頃、二人向かい合っては言葉にならぬ声で何かお喋りしていたと、乳母と母が笑っていた。
「だとしても処刑するしか———」
「処刑はしない」
フェルディナントはかぶせてきた。
「何言ってる」
「だから処刑はしないと言っている」
今まで目を合わせようとしなかったマンフリートが、初めてこちらを見る。
「ふざけるな! だからお前は甘いだの意気地がないだの言われるんだよ! 今は戦時中だ、何を恐れることがある」
「恐れるさ。身内を殺すことを恐れて何が悪い」
「次の王になる男が、裏切り者の弟一人処刑できないのか! それこそ国家国民に対する裏切りだ!」
「だから、お前を死なせはしない。おれがマンフリートとして処刑されるから、お前はフェルディナントとして生きろ。お前こそ次代の王にふさわしい」
マンフリートの目が丸くなる。
「…バカか」
「周りから見ればおれたちは同じ顔なんだ。さすがに近しい者は騙せぬだろうが、国民には問題なかろう」
「もう一度言う、バカか!!」
「おれは本気だ。帝国がおれを王に指名したのはその方が操りやすいからで、真にこの国を思うならお前が王になるべきだ」
「そういうのが腹立つんだよ! 王になれる環境が整ってるのに、言い訳しやがって。十分遅く産まれただけで一生兄王に仕える羽目になったオレの立場にもなってみろ! それにアドルフにナメられて何とも思わないのか!?」
「だからおれはそんな器じゃないんだ。戦が嫌いだし。国民を背負って戦えるのはお前の方だ」
「いい加減にしろ! オレはお前として生きるなんて絶対に拒否する!」
そう簡単に納得してくれるとは最初から思っていないので、フェルディナントは話題を変えることにした。
「お前は何を考えているのか、聞かせてくれ」
答えないマンフリートに、どうせおれしか聞いていない。墓の中まで持っていく気かと付け足す。
マンフリートが口を開くまでしばらく時間を要した。
「…ヘルジェンの誘いに乗ったのは、アドルフと腹を割って話してみたかったからだ。奴とてオレたち同様、親世代が始めた戦を継承しただけだろう。これからも帝国と渡り合うつもりなのか、次の二十年をどう考えているのか知りたかった」
「何か一つの事を成すには二十年はかかる。父上の言葉だな。それでどうなのだ」
「そんなに簡単に奴が
まだだ、と言うからには、自分との戦いに勝ったら続けるつもりだったのか。
聞き方を誤らないようにせねばと、フェルディナントは一呼吸おいた。
「そもそも、父上が帝国に
「そうではない。帝国の支配下で、確かにブレア国は豊かになった。だが戦がいつまで続くのかと考えた時、属国のままでは先が見えない」
「帝国の支配から脱却する、その為にはヘルジェンの力が必要と。しかしそれでは結局ヘルジェンの属国になるようなものではないか」
「だから、そうならぬ道を探している。極めて細く困難な道だが、それをアドルフから引き出したい」
一度目を閉じて、再びこちらに顔を向けて続ける。
「クリスティーナの手前、お前が交渉するわけにはいかないだろう。帝国とヘルジェンの講和ではない。これはブレアとヘルジェンの交渉なのだから、オレにしかできない」
しかしそこまで言っておきながら、
「で、処刑日はいつにする。早く決めろ」
と振り出しに戻してきた。再びフェルディナントは話題を転換する。
「王族の双子などロクなものではないな」
これにはマンフリートも同感のようで、口元を緩めた。
「双子王子の片割れが鉄の仮面を被せられて、十数年間塔に幽閉されるという物語がある」
「おれも読んだことがある。暴君となったもう一方を倒して、最後入れ替わる話だろう?」
「フェルデ、お前は暴君にはならないだろう。そして帝国の栄華とて永遠ではない。そんなものは存在しえない。支配が終わり戦が終わった時、王にふさわしいのはお前だ。だが、オレはお前に仕える気はない」
見えてきた。兄王に仕えるぐらいなら死んだ方がマシ。それが理由か。ならば聞いてみたい。
「もし処刑しないとしたら、どうするつもりだ」
しつこいなと、呆れるマンフリートに大きなため息を吐かれる。しかし聞き出すまでここを動かないつもりだ。
同じような問答が繰り返され、ついにマンフリートが根負けした。
「…ヘルジェンに亡命する。アドルフが受け入れるかは分からぬし、すぐ殺されるかもしれないが」
「おれに仕えないとしても、結局アドルフに仕えることになるのではないか」
「勘違いするな。一国の王になることだけがオレの望みじゃない。お前に仕えるのは死んでも許せないが、国民の為なら一時アドルフに膝を折るのも
「そうか…、お前は変わったな」
もう、ただ戦上手な王子ではない。ブレア王族として、自らの信念で新たな道を切り拓こうとしている。
「それに」
マンフリートは少しはにかむ。
「もう一度会いたい人がいるのだ。向こうもきっと、待ってくれている」
「…それを聞いて安心した」
フェルディナントは自然と笑顔になった。
自分たちの決断は、この国に混乱をもたらすだろう。それでも互いに伸ばした腕の先を、かすかな星の光を信じてみたい。
「護衛隊長に話をつけておく。王都へ移送途中に脱出しろ。大丈夫だ、国内のことは何とかする」
マンフリート派諸侯の反発は避けられず、下手をすれば内乱になる。それこそアドルフの思うつぼで、講和条件を引き出す事など叶わぬ夢となってしまう。
まずどこから押さえるべきか。既にフェルディナントは考え始めていた。
すると、今度はマンフリートから振って来る。
「『鋼鉄のヴェンツェル』か。あんな傭兵もいるのだな」
「ドケチで契約と金でしか動かない。傭兵らしい奴だ」
「さっきは意気地がないと言ったが、命を捨て入れ替わるという荒唐無稽な計画を本気で実行しようなど、従前のお前ではありえなかった。お前を目覚めさせたのは、あいつだな」
さっきはなぜあんなことをしたのか、自分でも驚いた。相手の気持ちなど顧みず欲しいと思う、そんな衝動は初めてだったのだ。
「おれも変わったか? 負けていられないのだよ。あいつにも、お前にも」
◇◇◇◇
従者が告げてきた名前に、イシュタルは執務室を飛び出した。机から書類がひらひらと床に落ちる。
長い廊下を走って、階段を駆け下りて、息が上がった目の前に、彼は戻って来た。
深手を負い、本国で処刑されると聞いて、やはりと思いながらも胸をえぐられるようだった。
まだ快癒していないのだろう、顔色が悪く、精気がない。けれど、生きている。
「よく、ご無事で…」
近づくが、言葉が続かなかった。
「そなた、髪が———」
腰まで届いていた燃える紅の髪が、顎よりも上で切られていた。
「ヘルジェンでは、航海の無事を祈って、
マンフリートがそっと髪に触れて、微笑む。
「この方が似合っている」
たまらずに、イシュタルはマンフリートにしがみついた。
「痛っ、傷が…痛いぞ王女」
喉の奥がツンとして、マンフリートはその体を抱きしめた。思い出しては焦がれた匂いで胸をいっぱいにした。
すると、これからどんな試練が訪れようときっとやり遂げられる。そんな気持ちになった。
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