14 かなわぬ想いなら、せめて

 大股で歩いて行った先は、バルノーブ市の守護神、グリュニー要塞の執務室だ。

「殿下っ!!」

 入り口で声を張り上げると、その形相に近衛兵が全力で警戒する。


「ヴェンツェルか、入れ」

 扉をくぐると、その顔にフェルディナントもぎょっとする。


「言いたいことが山ほどあるんですがねっ! まず身代金なんであんな法外な金払ったんだ! そりゃコンスタンツェは20万くらい簡単に払うでしょうよでもあれは私の金でもあって20万なんて元帥クラスの金額で免状ウェイス無しの傭兵の相場じゃないでしょう! 四分の一だって高いくらいだなんてもったいないことしてくれたんだ! あーまた思い出したら腹立ってきたアドルフの野郎!」


 ここまで息継ぎなしである。


「そ、それはだな、交渉する間も惜しかったからだ。下手に交渉すれば、ヘルジェンはずっとそなたを離さぬだろう。戦は続いていて、すぐにそなたの力が必要だった。傭兵団にとっても団長クロム無しではな」

 少々気圧されながらも、さすがフェルディナントは冷静だ。


「次っなんっでわざわざ殿下自ら前線に来たんだ! 百歩譲ってマンフリートが宣戦布告してきたからって他の奴差し置いて前に出る必要ないでしょう! あんな戦いエグモントで充分だし私の報酬と融資金がなくなったら困るし殿下に死なれちゃどうにもならなくなるし!」


 事実、中央を指揮していたエグモントが粘り勝ちし、バルノーブを開くに至らせた。


「これは私とマンフリートの戦なのだ。私が指揮しなければマンフリートは出てこない。無駄な犠牲を出さぬ為にも、一回でケリをつけたかった」


「私とマンフリートの戦あぁ!? 兄弟喧嘩なら個人的にやってほしいもんだだから王侯貴族のケンカはしちめんどくさいんだよ! だいたい兄弟喧嘩を戦争にするって意味わかってんの? 巻き込まれる方の身になってみろっつうのあんたたちのせいで沢山の人が死んだんだぞ私だってホントは立ってるのもしんどいくらい痛いんだからな!」


 もはやタメ口でヴェンツェルにまくしたてられると、フェルディナントの目が泳いでしまった。


「す、すまぬ…そなたのおかげで命を助けられた」

「そういうことじゃないだろうが! ああぁ、もう! 泣きそうな顔するな!」

 泣かせてはばつが悪い。言いたいことを言い切って、ヴェンツェルは苦々しく深呼吸した。

 

 小さくなったフェルディナントが下を向いたままぽつりと言う。

「そなた、マンフリートを殺さなかったのだな」

 マンフリートは傷の処置を施され、牢に収容されているらしい。


「殺した方が良かったと?」

 ヴェンツェルの問いかけに少し沈黙する。


「死んでくれればよかったと、全く思わぬわけではない。なぜだろうな。たった一人の兄弟なのに。けれども、生きていてくれてよかったとも思っている」


 王と兄王太子へクーデターを仕掛けたのである。順当に考えれば、この先マンフリートを待っているのは処刑台である。


「父上は昏睡状態になられた」

 つまり、それを決断するのはフェルディナントだ。


 上げた顔は、今まで見せた事のないものだった。英明で穏やかな自信など欠片も無い、すがるような目。

 ズキンと痛んだのは体の傷ではなかった。


「かつて、私はバッシ伯を処刑した。その死をもって国を一つにまとめ上げること、それが伯の願いだった。だが私にはできなかった。伯が警告していた大きな背反———マンフリートと諸侯の動きを阻止できなかった。その代償が、マンフリートの命なのだろうか」


 たった一人の弟の首をはねることで王になる。課せられた使命だとしても、そんなフェルディナントは見ていられない。


「この国にとって、何が正しい道だろうか。そなたはどう思う」

 そんなこと言われたってヴェンツェルは傭兵で、ブレア国民ですらないのだから、わからない。王道とは何かも想像の範囲しかない。


 それでも考えた。ヨハンのように人の心を汲み取る力はないけれど、フェルディナントのシンに近づきたい。


「忘れましたか。このまま引き下がるわけにいかないと。異界テングスのバッシ伯とここにいる全員に見せてやろうと、あの時約束したでしょう」


 フェルディナントが弱々しく頷く。

「…そなたは言ったな。父上が決断した道を正しいものにするかどうかは、私次第だと」


「ええ。そして帝国の勝利ではなく、ブレア国の単独勝利をもぎ取ると殿下は言った。私の雇い主は殿下ですから、殿下が決断した道を共に行きます」

 その言葉に、水色の瞳が大きく揺れる。


 近づいて来たと思ったら、腕の中に抱きすくめられていた。それも、強い力で。


「不思議だ。そなたといると、やってやろうという気になる。できる気がする」

 耳からではなく、密着した体越しに声が響く。


「…大丈夫です、殿下。私がついています」

 自然と口を突いたのは、契約外のそんな言葉だった。


 フェルディナントの手が左の頬を包み、いたわるように触れる。なんて滑らかできれいな手なんだろう。

 それから乾いた唇を親指がなぞって、目が合った。


 息が止まる。その目はヴェンツェルだけを求めていた。唇と唇が触れそうになる。


 しかしドアがノックされて、体を離した。


「殿下、エグモント伯がお見えです」

「うむ、通せ」

 忘れていた呼吸が戻って、壊れそうなくらい心臓がドクドクいっている。


「契約満了だ。報酬は明日支払う。ありがとうヴェンツェル」

 それきりフェルディナントはエグモントの方に向かってしまった。


 執務室を後にすると、目に留めていた涙が落ちた。痛いのは傷なのか胸なのかわからない。溢れたのは、感じたことのないような甘露な愛しさだった。


 ずっと抑え込んで、触らないようにしてきたのだ。しかしフェルディナントの匂いに包まれた刹那、翼竜が羽ばたいたように激しく渦巻き、もう見ぬふりはできなくなった。


 けれど、彼と自分とでは生きる世界が違う。

 剣ダコひとつない皮が薄くて滑らかな手だった。あのきれいな手の前に、砂埃に汚れ血の味を纏わりつかせている姿をこれ以上晒すことなど、できるわけがない。


 要塞を出ると、よく知る男の姿にぎくりと足を止める。

「ヨハン…、どうした?」

「迎えに来た。一応手負いだからな」


 今記憶を読まれるのはちょっと勘弁してほしい。しかし、

「相手は次期国王で既婚者だ。つらくなるだけだぞ、早く忘れろ」

モロバレかつ的確な助言である。


「ハッキリ言うなよ。ばか」

 軽く拳を振ると、あっさりかわされた。


「みんなは?」

「フィストが戦勝祝いで皆に報奨を配ってた。そしたらカロリーネ姐さんが、今日はサービスするって」

「よかった。姐さん無事だったんだな」


 ドケチなヴェンツェルではそんなこと考えつきもしなかったが、団長クロムなら普通そうするものだ。

 数年前までブレア国民だったバルノーブ市民は、ブレア軍に対して好きも嫌いもないようである。街のざわめきは明るいものだが、ヴェンツェルの耳には入っていなかった。


『契約満了だ。ありがとうヴェンツェル』

 これは別れの言葉だったのか。契約更新はもうないのか。


 それに、あの顔はまるで死を覚悟した戦士だった。

「何かするつもりなのか…?」


 もしかするとマンフリートと決着をつける気なのか。やられて死んでしまうのではないか。悪い方にしか考えられず、冷たい手で臓腑をつかまれたようになる。

 やっぱり戻ろうか。ヴェンツェルの足が止まる。


「おまえが、金のことよりもフェルディナントを案じるとはな」

 振り返ってクスッと笑うヨハン。不安の奈落に転がり落ちていきそうだったのが、ふっと浮いた。


「…そうだな、どうかしてるよな」

 再び肩を並べる。


「私にも、おまえのように他人のシンがわかったらな」

「他人じゃなくて、知りたいのはフェルディナントのシンだけだろう。そんな都合の良い話があるか。この力のせいで俺が生きるのにどれほど苦労してきたと思ってる」


 ヨハンが自分のことをこんな風に口にするのは初めてだから、少し驚く。

「おまえ…。そうだよな。悪かった」


 望みもしないのに相手の本音を聞き続けねばならない苦しみを、分かったつもりでいながらうかつな発言だった。心をかき回されてどうかしてる証拠だ。


「けど苦しくて壊れそうなんだ。なあ…、こんな時はどうしたらいい?」

「おまえはどうしたいんだ」

「わからないから聞いてるんだ」


「その怪我で酒を飲んだら悪化するだけだな。剣を振るのも無理だろうし、走り込みなんてもってのほかだ。ドケチだからヤケ食いも散財もできない。宿に戻って泣きながら寝るしかないな」

「なんだよ…! 泣くかよ!」

「話は聞いてやる」


「いいよ別に! おまえなんか!」

「他に話し相手がいるのか?」


 いないし、この想いを今夜、一人で飼い慣らすことなど到底できない。


「人の話聞くのなんか、おまえ得意でも何でもないじゃないか」

「努力はする。それに恋する女の気持ちは何度もきた」


 忘れていた。こいつは無口で不愛想なくせになぜか女からモテるという、全男子の敵なのだ。つまり恋する女の目的語は『俺に』である。

「かわいくない奴…!」


「恋愛関係ほど、相手のシンを知らない方が良いものはないぞ」

 そうなのかもしれない。けれどフェルディナントが何を考えているのか知りたい。未来に描こうとしている絵を共に見たい。


「殿下が私を必要としてくれたんだ。だから殿下のために戦いたい」


 誰にも見せられずに隠してきたであろう、怯えた不安な顔が頭から離れない。崖際に一人、風に煽られながら必死に立っているのだ。

 けれどそんなのはヴェンツエルの勝手な思い込みで、シンでは都合の良い傭兵としか思われていないのかもしれない。


「それでも構わないと思ってる。…重症だよな」

「まあ、おまえらしいな」

「そうか。私らしいか」


 ならば今夜は仰せの通り、とことんまで聞かせてやろうじゃないか。それで忘れてしまえばいい。

 空に光る一番星を見上げながら、ヴェンツェルは鼻をすすった。

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