13 10騎

 出立の前夜、いつものように茶を飲みながらイシュタルは問いかけた。

「生きている間だけでなく、死んでからも未来永劫、王殺し兄殺しを背負い続けることになるのですよ。他に方法はないのですか」


「たぶん、あるのだろうな」

簒奪さんだつ者に安泰はありません。時間をかけて病死に見せ暗殺するとか、事故を装うなど、自然な形をとるべきではありませんか」


 彼女らしい合理的発想だ。最近はこんな風によく喋るようになり、一聞けば十返してくるので、つい議論してしまう。九割方論破されるのだが。おかげで彼女の滞在時間も延長気味だ。


「そうまで兄殿下が憎いのですか?」

「…いいや」

 それとも違う。


「そなたは兄をどう思う。好きか? いなくなって欲しいと思うか?」

「手足を失ってまで戦う戦争バカ。きっと四肢を切断されてもやめないでしょう」

 間髪を入れずの即答。思わず吹き出して、しばらく笑いが止まらなかった。


「そんなにおかしいですか」

「いや…そなたの口からまさかそんな言葉が出ると思わなかったから」

 内政においてイシュタルは、戦で不在がちな国王の名代だった。アドルフを彷彿させる物腰で官吏を厳しく叱咤しているのを見ていたから、余計にだ。


「オレたちは双子で、幼い頃は何をするのも二人一緒だったのだがな」

 二人だったから、何をしても怖くなかった。城内を駆け回って召使いのスカートをめくったり、調度品を壊してはこっぴどく怒られても、半分ずつな気がしていた。


 それでも、兄と弟だった。ある時、母に聞いたことがある。なぜ私が二番目だったのですか。なぜ十分後だったのですかと。ごめんなさいを言うしかできない母に、二度と口にすまいと決めた。


「そなたの書架にも、解決法はないだろう」

「だから兄殿下と戦うのを正当化するのですか」

 イシュタルの口調が強くなる。


「あなたが決して野心だけで言っていない事は分かります。しかし、それは真にブレア国民を———」

「イシュタル王女、オレは自分の意思でここへ来たのだ」


 接触してきた黒ずくめのガロンの誘いに応じて、手を貸そうというアドルフの取引に乗った。引き下がるわけにはいかない。


「短い間だったが、そなたと話し共に過ごした時間は思いがけない安らぎだった。茶を淹れてくれて嬉しかった。感謝している」

 イシュタルの瞳が揺れる。


「…ずっとおられるとは思っていません。それでもいやです」

 あっ、と手を伸ばす間もなく、涙がこぼれた。

「今のあなたは、戦場に向かう兄と同じ目をしています。死ぬおつもりなのでしょう。いやです」


 言ったところでどうにもならないことを理解しながら、彼女はいやですと繰り返した。

「わかってくれ。兄殺しの名に、そなたを巻き込みたくないのだ」


 勝っても負けても、進む道は煉海クオリアのごとく。フェルディナントの死は、自分の死だ。


 マンフリートは全体2千のうち、200騎を率いて駈けていた。従前から従ってきた諸侯とその私兵から、特に乗馬に秀でた者を選んだ。

 神出鬼没、神速の騎馬隊。それがマンフリートの常勝パターンだった。フェルディナントは百も承知だろうが、背後から襲うことにした。


 主戦場から10km迂回した。斥候の報告では、フェルディナントは4千を率いているという。

 ブレア軍は中央突破のV字型の陣形で、両翼後方に騎馬兵が配置されていた。マンフリートの遊撃隊を想定している。


 更に伏兵を潜ませているのではとマンフリートは斥候に探らせたが、見つからなかった。向こうも真っ向勝負というわけだ。

 共に武芸や兵法を学んできた。最後に剣を交えたのは十年以上前だったか。


 軍勢を視認した。戦場まで5km。

「フェルディナントは左翼後方にいます! このまま進路をとってください」

 戻って来た斥候に頷く。


「抜剣!」

 200騎が動きを揃える。かつて自ら調練してきた精鋭部隊と同じようにはいかないが、共に戦った事のある者たちばかりだ。


 不意に、前方の数騎が乱れ、馬がさお立ちになる。砂埃に目を凝らすと、体に矢が生えて落馬していった。その間にも次々に飛んできては、騎手を射落としていく。

 平原には潜めるような場所はない。一体どこから。


 矢の飛んできた方を見ると、軍勢だった。その数わずか…10騎。だが放たれる矢は凄まじい勢いで、互いに馬で疾走していると思えぬほど、正確な狙いだった。


「どこに潜んでいたのだ!」

「いえ、殿下、たった今現れたのでございます!」

 フェルディナントの左翼にばかり目がいって、近づいてくるのを見逃していたか。


「構わぬ! たかだか10騎だ! このまま左翼を背後から攻撃する」

「私に50騎お与えください。邪魔者を打ち払います!」

「許可する」


 50騎が離れ、みるみるうちにブレア軍後部、馬のでん部が迫る。フェルディナントが騎馬隊を反転させ、こちらに向かってくる。迎撃態勢に入る。


 戦場に血の匂いが立つ。目の前のブレア兵が、敵だろうがそうでなかろうが、関係ない気がした。見知る顔もいたが、名前など思い出さなかった。

「押せ! 押せぇ!」

 腹の底から声を張る。


 だが冷や水のように、味方にまた矢が刺さる。50騎は何をしているのだ。

 再びその方向を見やると、10騎はさっきよりもずっと近くにいた。その後方には、乗り手を無くした馬が不安げに闊歩している。

 50騎が全滅していた。


 10騎は、距離がいよいよ500mほどになると、前列を駆ける弓兵が左右に分かれて、前列と後列が入れ替わる。剣を掲げて縦列に突っ込んでくる。

 10騎よりも少ない、たった4騎。だがまるで一本の槍のようだった。


 先頭は『孤狼のヨハン』。馬上でもその動きは一筋の水流のように淀みなく、数の上での優勢などまるで無意味だった。セバスチャンの切り込みが冴え、ユリアンが獰猛に、首を腕を払っていく。


 まるで四人が一匹の肉食獣のように、連携の取れた動きで軍勢に噛みついていく。

 その時、目の前に群青色の髪が現れる。マンフリートがとっさに繰り出した剣を、防具のない左腕でやすやすと止めた。


「これが鋼鉄の———!」

 ガラ空きになった横腹に、ヴェンツェルの剣が叩き込まれる。落馬させられた。しかし瞬時に脇を締め鎧で受けたので、受傷は免れる。


 マンフリートにとどめを刺そうとはせず、ヴェンツェル団はそのまま前方へ押し入っていった。


「マンフリート殿下! お怪我は!」

「大事ない。隊列を整えよ」


 再度乗馬する。200騎は既に半数ほどになっている。

 散らされた。本来なら一匹の獣のように攻め立てるのは自分の200騎のはずだったのだ。それがたった10騎に貫かれてバラバラになり、推進力を得られなかった。

 

「中央は未だ膠着状態だな」

 ブレア軍の中央を指揮しているのは大元帥だろうか。双方激しく攻め立てているが、どちらもまだ押しきれていない。


「もう一度だ」

 ヴェンツェルのところにフェルディナントはいる。目指す場所は、一点のみ。


 外から射かけられる矢を剣で薙ぎ払い、突き進む。

 ———見えた。

 あぶみの上に立ち上がりヘルジェン兵を斬り伏せているヴェンツェルの向こう、近衛兵に囲まれた白銀の鎧兜。


「殿下、我々が切り拓きます。踏み越えてお進みください」

「そなたらの忠義、決して忘れはせぬ」


 ぶつかった。傷ついた馬を、地面に叩きつけられた敵味方を踏んだ。ここまで自分を乗せ駆けてきた馬が、ついに足を折る。その瞬間、鞍の上に足をかけて強く蹴った。


 空に舞い上がったマンフリートの顔を、フェルディナントは確かに見た。

「うおおおおおおおぉぉお!!」

 二人の剣が閃く。


 上からと下から、剣と剣が弾き合うと、破裂したような衝撃にフェルディナントは落馬し、マンフリートは跳ね飛ばされた。


 即座に体を起こすと、まずは近衛兵に切りつける。しかし近衛兵は、マンフリートに攻撃するのを一瞬迷った。その躊躇いに、自分はまだ簒奪者ではなくブレア王族なのだと妙な感傷を得た。


 フェルディナントが向かってくる。はっきりとした敵意が見て取れる。それでいい。

 繰り出される剣戟をかわして踏み込む。


 体格はマンフリートの方が一回り上になっていた。煉瓦レンガ窯で鍛えて、王城では兵士と一緒になってアドルフの練兵を受けて、吐くまで打たれ続けた。


「…強くなったな、マンフリート」

 じりじりと押されながらのフェルディナント。

「お前は弱くなった」


「お前がいなくなったからかもしれん」

「戯れ言を!」

 弾き返し、喉を狙って突く。

「オレはずっと、お前さえいなければと思っていた!」


 フェルディナントの動きでは避けきれない。だが、割って入った別の刃に弾かれた。

「…邪魔をするな、傭兵団長クロムヴェンツェル」

「大金がかかってるから、殿下を殺されるわけにいかないと言っただろう」


 合わせる剣は、女とは思えぬ剛力だった。長年の鍛錬の賜物だとすぐにわかる。これなら人体を一撃で切り取るだろう。

 ヴェンツェルに攻撃しようとする周りの兵士は、ことごとく傭兵団に討ち取られている。


 フェルディナントは馬に乗るところだった。

「待て! 勝負はまだだ!」


「殿下は指揮に戻った。この戦、ブレア私たちがもらうよ」


 猛然とヴェンツェルが斬りかかってくる。近衛よりもまずこの傭兵を倒さなければフェルディナントに到達できないというわけだ。


 しかし激しい打ち合いが二十回を越えても、ヴェンツェルが減速することはなかった。男のマンフリートに力負けもしていない。


「お前を女だと思ってはいけないようだな」

「今まで思ってくれてたのか?」


 よく鍛えられている。小さな傭兵団の極めて高い練度に、感じたのは懐かしさだった。かつて自分が調練してきたブレアの部隊もこうだった。

「国も、政治も関係ない、何のしこりもなく、ただ己の力のみを信じて戦う。オレにもそういう部下と仲間がいた」


「あんたはそれを自分の手で捨てたんだ。そこにどんな理由があるか知らないけど、フェルディナント殿下ならきっと手放さなかった。殿下は何も見えないような暗闇の中でも、たとえそれが一本しかない儚く険しい道であっても、必ず見つけ出して進む。だから私は殿下との契約を果たす!」


 一瞬隙が出来たのをヴェンツェルは見逃さず、大きく斬り上げた。マンフリートの胸から肩に鮮血が走る。そしてすぐに切り返しのもう一撃が首に向かって振り下ろされる。


 ———死ぬのか。ずっと二番目のまま何も成せず、フェルディナントに一泡吹かせることもできず。

「認めさせてやる…! 見せてやる!」

「!!」


 首の皮膚をえぐり取られながらもマンフリートは剣を突き出し、防具の無いヴェンツェルの左脇腹を突き刺した。二人が同時に膝をつく。

「あんた…目的は一体何だ?」

「お前に話す義理はない…っ!」


 どんなに儚く険しい道でも必ず見つけ出して進む。その先にうっすら光る星へ手を伸ばす。

 あぁ、目指すところは同じか。双子なんて本当に腹立たしいな。

 

 痛みを雄叫びと闘気で跳ね返し、突進する。ヴェンツェルはまだ痛みから立ち直れず、構えていない。下から首に向けて斬り上げる———!


 だが、刃が捕らえたのは首ではなく外套だった。たっぷりした布を投げつけたヴェンツェルが、剣を絡めとる。

 そのまま剣と右腕をあっという間に奪われ、肩関節ごとあらぬ方向に捻じ曲げられた。ダメ押しで背中を思い切り蹴飛ばされる。


「ぐああああぁぁっ!!」

 完全に肩が外れた。

「少し、大人しくしてもらうよ」


 しかしヴェンツェルはそれ以上攻撃しようとせず、周囲のブレア兵によりマンフリートは囚われた。

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