8 鋼鉄改め、女装のヴェンツェル
山砦は見渡す限り女、女、女である。男とは別物の角ばらない人いきれ、甲高いざわめき、普段感じることのない甘い体臭に、体ごと乗っ取られそうだ。
「これは…」
「た、助けてくれと聞かぬもので…」
開いた口がふさがらぬ指揮官ギュンターに、守備兵はバツが悪そうな顔をしたが、さほど罪は感じていないようだ。
女たちは殴られた跡や、破れた服で助けを求めてきた。進軍してきたブレア軍から酷い扱いを受けたと言うのだ。それを助けるのは男の使命であり、ヘルジェン兵士の務めではないか。
「う、ううむ…」
ギュンターが唸っている間に、庇護されたと安心した女たちの行動の早いこと。中庭ではもう宴会が始まっている。
「今更止めようがありません」
女たちの華やぎに、静かな山砦が煌々と灯されていた。
宴会の輪の中に居ながら、ヴェンツェルは全く別の方を見ている。
「あそこが火薬庫だ。おまえたちは城門を開けたらすぐあれを奪え」
「了解っス」
顔が触れるくらいの距離で小声の
そういうユリアンも、負けず劣らず立派な女子にしてもらった。こっちは化粧濃いめ、胸には詰め物をしているが。笑いをこらえながらアンナが顔を描いた。
「あそこのバスティヨンは使えそうか?」
「見張りの守備兵がいたっス」
「単独で行ったら怪しまれるか」
そう呟くとヴェンツェルは、一人で飲んでいる兵士の横にサッと座った。酒を注ぎながら、ユリアンが見たことないような笑顔を向ける。徐々に距離を縮めて、腕を絡め取ると、ヴェンツェルが動いた。
ユリアンも立ち上がり、二人に付かず離れずの距離を取る。
建物裏手の人気のない暗がりに来ると、いきなり男がヴェンツェルを壁に押し付ける。二人の間に言葉はない。
め、めっちゃキスしてる…。
男がヴェンツェルの胸元の紐を解こうとするが、固く結んであるのだろう、全く解けず諦め、スカートの裾をまくり上げた時だった。
男の手よりも速く、ヴェンツェルが脚に忍ばせていたナイフを抜き、くるりと体を入れ替える。何が起こったか理解できないまま、今度は男の方が壁に押し付けられていた。
「おとなしくしな」
ナイフの先を胸に突き当て、喉首を反対の腕で押さえて、膝で膝の動きを封じている。この動きだけで、男の方も女がただ者でないと悟るはずだ。
「キサマ…!何者だ!」
「余計な口をきくな。言うことを聞いてもらうぞ」
「ふざけや———」
すぐさまヴェンツェルが男のズボンの腰紐と、
「切り落とされたいか?」
二秒待っても返答がなかったため、次に響いたのは男の悲痛な悲鳴だった。ユリアンの背筋が凍り、自分の股間をキュッとつかむ。
「やめ…っ!わかった、やるよ、言うことを聞くから、それ以上は勘弁してくれ!!頼む!」
「初めからそうすればよかったのに」
悪びれず微笑むと、不憫な下半身をしまうよう命じて、ナイフを持った手を男の服の下に回し、ぴったりと体を寄せた。
「バスティヨンの見張りをどかせ。余計な真似をしたら、死ぬより辛いぞ」
そして目的地へ歩いていく。寄り添った姿はこれから愛し合う男女にしか見えなく、不審な目を向ける者は誰もいない。
バスティヨンに上がると、二人の守備兵がどっかり座って飲んだくれている。
「な、なあドミニク、こっここ譲ってくれないか?頼むよ…」
「あ?」
「頼むよ…今度おごるからさ…」
明らかに動揺して目線が定まらないが、ドミニクの方は酔っているのかまるで気付かない。体ごとぴったり密着した美女にニヤッっとし、「そういうことなら仕方ねぇなあ。次オレに回せよ」と、もう一人と一緒に気前よく腰を上げた。
三人いっぺんでもいいのよ、と口角を上げて誘うヴェンツェル。
ユリアンは女装したブレア兵士たちへ合図を送った。彼らは巧みに男どもから逃れ、酒を運んだり物陰に隠れたりしてやり過ごしていたのである。
そして、城門へと向かう。さすがにここの守備兵たちは
藪に隠しておいた剣を拾い、ユリアンは呼吸を整える。走り出そうとして、鬘を外して邪魔なスカートの裾を切り裂いた。
心ここにあらずの兵士に音もなく詰め寄り、鎧の間を狙って斬り上げる。すぐさまもう一人に向かって突き刺す。しかし狙いが外れて脚に刺さってしまう。援軍を呼ばれる前に仕留めないと———
思い描くのは、
今頃、三人の兵士をバキバキの素手で再起不能にし終わっているだろう。ならばこっちも二人まとめて始末するのみだ。
剣をぶつけるうちにユリアンの速さが上回り、その首をはねた。
「よっしゃ! しかも無傷ぅ!」
目標達成したところで、中庭から悲鳴が上がる。バスティヨンに到達したフィストらが撃ち始めたようだ。
女装した兵士が次々に駆け寄って来て、互いにニヤつきながら力を合わせ城門の跳ね橋を下ろしていく。爆笑になるので、お互いの姿はなるべく目に入れないようにする。
「さあさ、お嬢さん方、こっちでやんすよ」
「もぉー! せっかくいいところだったのよぉー。もうちょっと後にしてよねぇー!」
中庭ではセバスチャンが娼婦たちを誘導していた。
「はいはい、そこの藤色のお嬢さんも、突っ立ってると狙われるでやんすよ」
「…セバスチャン、私だ」
それにしてもセバスチャンの女装はひどい。ひどすぎる。ヴェンツェルの顔が引きつる。
「あいや! こりゃ驚いたでやんす! お頭、その姿なら稼げるでやんすよ」
「傭兵引退したら皆で店でも開くかね。早く逃がせ。一気に決めるぞ」
「へいお頭」
ドミニクとかいうさっきの守備兵から奪った剣を抜き、体に矢が刺さった兵士が次々倒れていく中庭へとヴェンツェルは駆け出す。
女たちは酔っ払いを置いてさっさと身を翻した。この混乱の中でも、ヘルジェン兵だけを仕留めるフィスト団の狙いの正確さには、素直に感嘆する。
すると、ユリアンたちが開け放った城門から一気にブレア兵士がなだれ込んできた。こうなれば後は肉弾戦である。
「
エグモンドの太い声が響く。
剣がダメになれば、その辺に転がった死体から拾ってまた振るう。
目の前のヘルジェン兵の向こうにいるのは、紅の髪に海神の怒りを宿した国王アドルフの姿だった。
アドルフが怒りのまま叩きつけてきた剣、本来ならあの一撃で頭蓋を割られて死んでいたと思う。改造強化されていたから助かっただけだ。
アドルフを仕留められなかったのはひとえに己の力量不足であり、ヴェンツェルにとって山のように動かしがたい現実であった。
鋼鉄の体を使ったチャンスはもう二度と無い。このままでは勝てない。しかし、その山を避けては通れない。
フェルディナントは見抜いている。この殻を突き破らねば、次はないと。
「私もそなたも同じだな」
契約の時、彼はそう言ったのだ。
「だから私に
あぁ、腹が立つ。もちろん自分にだ。
体の中に黒く渦巻くもやを払うように、ヴェンツェルは剣を振るった。しかし晴れることはなく、残るのは鉄臭い不快な匂いだけだった。
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