4 死神

 久しぶりの王都は次の戦への不安感からか、物価の上昇が続いている。節約しな! 無駄遣いするんじゃないよ! と口うるさく言われては、せっかくの王都なのに屋台巡りもできやしない。甘辛い匂いに首ごと持っていかれたユリアンを、セバスチャンが引っ張っていく。


団長クロムって結婚してとんでもない金持ちになったんスよね?」

「ケチは金持ちになってもケチのままでやんすよ。ケチだから金が貯まるでやんす」

「んでもって王太子に金貸すくらいの金持ちなんスよね?」


 王城に参内したヴェンツェルの提案はこうだった。

「ヘルジェンの城塞を破り、今までになく積極的に進軍する。そうやって、こっちからも帝国を引き出すんですよ。で、主力は騎馬でも重装でもなく火器だ」


 大砲を現在の三倍に増やし、軽装歩兵に最新鋭のマスケット銃を装備させる。彼らを最前線に配置し、撃ったら弾込めのため最後尾に下がるのではなく、次の列が前に出ることで、前進しながら斉射が可能になるという、今までにない戦術だった。


 穴が開くほど隅々まで企画書面を見て、フェルディナントは唸る。

「全て理にかなっている。しかし配備したくとも、資金が枯渇しているのはそなたも知っているだろう」


「私が融資しましょう。ええ、帝国より安い金利で構いません」

「なんだと?」


「私、結婚したんです。相手は大領主でやり手でね、前夫をヘルジェンに殺された恨みから領内に軍需工場を誘致してて。だからもう作らせてます」


「結婚…? そ、それはめでたい」

「どうも。で、返済プランまで考えてあるんで。なんなら私から丞相じょうしょうと大元帥にプレゼンしますが」


 ちなみにヴェンツェルが最初に提示した融資額はそれだけで領地の山二つ分は軽くあるのだが、「そんな額では中途半端すぎます」と更に山二つを上乗せするよう要求したのは、コンスタンツェの方だった。

 この嫁には舌を巻くしかない。


 そして王都へ来たもう一つの目的が、傭兵団補強である。

 というわけで日が暮れるとヨハンを連れ立って、傭兵御用達の安酒場へ連日繰り出している。チラチラと見られながら、店の奥の店主にチップを渡して用件を伝える。


「何人欲しい?」

「何人でも。金があるうちにできるだけ補強したい」

 すると、ぶっとい指で差しながらいくつかの名前を告げられた。しかし話してみると、金額に折り合いがつかなかったり、性格に難ありで合意には至らない。


 同じことを店を変え繰り返すこと五日目、縁がないと諦めかけた頃だった。

「『鋼鉄のヴェンツェル』に『孤狼のヨハン』。あんたらを探してる奴がちょうど来てるぜ」

 視線の先は、傭兵界では誰もが知る縁起の悪い奴だ。


 その男が加担すれば勝利を引き寄せる。だがいずれ必ず、その部隊に破滅をもたらす。しかし部隊が壊滅してもなぜかその男だけは生き残る。それが『死神フィスト』だった。


「やっと会えたね、待ってたよ」

 天然なのか若白髪なのか分からぬ灰と白が混ざる長い髪。目の下には色素沈着した茶グマ。血色が悪く見た目不健康だが、服の下は筋肉の塊であろう、油断ならぬ体つき。


傭兵団長クロムヴェンツェル、そして……孤狼」

 細めた瞳は底知れぬ黒。


「なぜ私を探していた?」

「トロイデンの教会での口説きは実に見事だったよ。あれは女じゃなきゃできないよな」


「なぜそれを?」

 反射的に身構えて、彼が懐から取り出した円に十字のロザリオに脱力する。


「コンスタンツェをしつこく口説いた生臭司祭セルはあんただったのか」

「戦争オフシーズンのバイトでね」


 聖神教の世界で、司祭は神の代弁者であると同時に、裁判官であり、公証人であり、書士である。ゆえに大学神学部を卒業していなければ職務には就けない。大学の頂点は医学でも法学でもなく、神学なのだ。


「キミと同じ、エリート傭兵だよ」

「私は途中退学した。一緒にするな」


「同じだと思うけどなあ。勉学を深めれば深めるほど、神を信じられなくなった。違うかい?」

「なぜ私を探してた」

 強引に話題を変えられても、フィストは傲慢な笑みを崩さない。


「アドルフに深手を負わせたキミと、そして孤狼と組んでみたいからさ」

「お断りだ」


「まあ話を聞けよ。ボクも傭兵団長クロムだから、キミに雇われるつもりはない。ただボクの傭兵団は弓兵だけの編成でね、最前線で華々しく稼ぐのが難しい。だから組みたいと言ったんだ。キミの傭兵団に弓兵はいないだろう? お互いに補完できる、良いアイデアだと思うけどね」


「断ると言っ———」

「銃に勝てるか?」

 ヨハンである。こういう場で彼が意見することなどまず無いから、思わず言葉を飲み込む。


「ボクなら、銃の十倍の速さと精度で連射できる。さすがに弓だけで城塞破壊しろって言われるときついけどね」

「もう一つ。最近までおまえはヘルジェン軍にいたな。奴らはヴェンツェルを狙っているか?」


「ああ! アドルフは、八つ裂きにした死体を必ず持ってこいって怒り狂ってるらしいよ。ていうかどうしてボクがヘルジェン軍にいたこと知ってるんだ?」

 そう、今やヴェンツェルはちょっとした時の人なのである。傭兵どもがこっちをチラチラ見ているのも、ヨハンの看板効果だけではない。


 ヴェンツェルに向き直ってヨハンは言う。

「中距離武装を備えるのは、アドルフとあの黒いのを攻略するのに必要だと思う。おまえを守るのにも」


「私? 私のことは別に———」

「あれー、善管なる傭兵団長クロムにあるまじき発言だね。あのアドルフから直々に狙われてるんだから気を付けた方がいいって。キミが死んじゃったら仲間たちはどうなるんだい?」


 あんたに言われたくない、そう言おうとして奥歯を噛んだ。軍勢が壊滅しても、こいつの傭兵団だけはなぜか生き残る。それは運だけではなく、綿密に計算された戦術あってこそだ。

 即ち、傭兵団長クロムの実力である。


「といっても、ジテ湿地の戦いで何人か死なせてしまったからね、今は六人しかいないんだ。おたくは?」

「…四人だ」


「じゃ建前上はヴェンツェル団十名の契約でいい。契約金は折半でどうだ」

「いいだろう。ただし条件がある」

 ふざけるな、折半など話にならん。そう言おうとしたのに、答えたのはまたもやヨハンである。


「おいヨハン!! 勝手なこと言うな! 金の交渉は私の———」

「何かな条件って」

 こいつら無視かよっ!


「ヴェンツェルを守れ。たとえ負け戦でも、必ず生きて帰すこと。それが飲めるなら折半だ」

 フィストはヨハンをじっと見て、ふぅーんと唇を横に伸ばした。

「あんまりそういうのはガラじゃないんだけど、たまにはいいか。引き受けよう」


 店を出るなり、ヴェンツェルはヨハンに殴りかかった。

「おまえ! 私を差し置いて勝手な真似を!!」


 どうせさらっと避けられるだろうと繰り出した拳だったが、ヨハンの胸にヒットする。拳の下で肋骨ろっこつがきしんでよろっと後退し、顔をしかめた。きっと今、呼吸できていない。下手したら心臓がやばい。


「…なんだよ、避けろよ」

 それで一瞬にして熱が引く。振り上げた拳を下ろすしかない。


「あいつは優秀だぞ。それが向こうからやってきた、こんなチャンスは二度とない」

 わかっている。『死神フィスト』は免状ウェイス持ちで、ヴェンツェルにはまだ無い。それにヨハンにはフィストの心が。そのうえで仲間にしろと言うのだから、信用できる相手ということだ。


「だからって、私を守れはないだろう!」


「おまえがアドルフを討ち損じたことで、傭兵団全体が危険に晒されている。これからの戦場では、敵はおまえの首を目掛けて飛んでくる。団長クロムには傭兵団を守る責任があるんだから、おまえが真っ先に死ぬわけにはいかないたろう。それに黒ずくめを仕留められなかった俺にも責任がある」


 孤狼が、孤狼のくせに、傭兵団を案じるなんて。

 人の心を持たない非道な異界テングス人。ツラの皮の下は嘘と裏切りまみれの獣———


「だから俺はおまえを死なせるわけにはいかないんだ」

 それだけに、いつも通りの抑揚のない声と色素の薄い瞳には説得力があった。


「…ばか」

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