3 理想の結婚

 ひへえっ? と情けない声を上げたのはユリアンだ。それを無視してヴェンツェルは続ける。


「あんたは、人妻になるのはもうこりごりだと思ってる。違うかい?」

 コンスタンツェは表情を崩さぬままだ。


「広大な領地を持ち経済的に何一つ不自由は無いのに、働いている理由はそれだ。ご夫人たちと毎日飽きもせず狭い世界の談話に花を咲かせ、夫の帰りを待つだけの型にはまった生活は退屈だった。あんたが求めているのは金でも安定でも愛でもなく、刺激だ」

 しんとした教会にヴェンツェルの声だけが響く。


「火遊びって意味で言ってるんじゃないよ。あんたは、異質な存在に出会いたいんだ。未知数の可能性を秘めたものに接したい。だから家庭教師の名でネットワークを広げ、屋敷ではサロンを催しているのだろう?」

 

「お言葉ですけど、私だって尊敬できる男性に出会えたら、そうね、結婚は確かにもういいけど、恋愛ならしてみたいと思っているわ」

 コンスタンツェの唇が横に伸びる。明らかに、ヴェンツェルを見る目の色が変わった。


「これは失礼。私の頭じゃあんたの眼鏡にかないそうにないな。でもそのかわり、面白いものを見せることができる」

「何かしら」


 ユリアンがごくりとする程、ヴェンツェルの目はキラキラして、頬はふわりと桃に染まり、まるで愛する女を見つめる幸せに悶える男だった。


「私の雇い主はフェルディナント殿下でね、クリスティーナ妃とも面識がある。コネだけはあるんだが、金がない。そこでだ、あんたの財力で私が男の戦場せかいでどう成り上がるか、見てみたくはないか?」


 それがプロポーズの言葉だった。

 コンスタンツェはしばし考え、ふっと笑う。

「あなた、女性でしょう?」


「戸籍上はリズディア公国ドゥミズーリ家の長男で、一応貴族の血を引いてる。結婚するのに不都合はない」

「実態のない結婚で構わないと」

「その方がお互いの為だろう」


 コンスタンツェはユリアンを見て、それから改めてヴェンツェルを見た。その目は先ほどよりももっと明らかに、この未知数の存在に興味を抱いていた。


「お金と時間だけはある未亡人が欲しがるのは真実の愛だと、殿方たちは思っているようだけど———」

「他人の愛など幻覚のようなものだが、名誉は残る」

「気が合いますこと」


「コンスタンツェ、私は本気だ。今決めてほしい」

 ヴェンツェルは彼女の小さな手を上から包み込む。指輪も、持参金も無い。己の身一つで勝負するのが傭兵である。


「明後日、屋敷へお招きします。お返事はその時でよいかしら」

「今決められない理由は?」

「いくつか条件があります。それを整理したいので」


「分かった、明後日まで待とう。そうだ、ユリアンの他にもう一人連れて行きたいんだが、構わないか?」

「ええ。傭兵団皆さんでお越しになってください」

 良い返事を期待しているよ。ヴェンツェルはさらりと教会を後にした。


団長クロム団長クロム、ホントに結婚するんスか?」

 帰り道、ユリアンが袖を引っ張る。

「なんだ、妬いてくれるのか?」

「んなわけないっスよ! 詐欺じゃないんスか?」


「条件付きの契約だよ。金を得る対価として私は彼女に庭を与えた。私を遣ってその庭をどうデザインするかは彼女次第。いくら出してくれるかで私の戦い方も変わるからな」


 そして帰りがけに紺色のストライプ柄の布を購入すると、アンナに渡す。

「これでユリアンのシャツと、おまえのワンピースを仕立ててくれ。明後日、領主の邸宅に邪魔するから急いで取り掛かるんだ」


「えっ、アタシも連れてってくれんの!? しかも新しい服で?」

「そうだ。…なにキラキラしてんだ」

「ありがとう! ありがとう団長クロム!」

「うわ抱きつくな! とっととやんな!」


 こうして二日後、馬を走らせ農村の中に忽然と現れた城のような邸宅に、ヴェンツェル、ユリアン、アンナは到着した。

 セバスチャンとヨハンも誘ったが、身なりを整えるのが面倒でやんすとか、堅苦しいのは嫌だと拒否られた。


「よく来てくれました」

 大広間ではなく、ごく親しい友人のみを招くときに使う小さな部屋で、コンスタンツェは出迎えた。


「すごい邸宅だな。私の実家とは雲泥の差だ」

「曾祖父の代に増築したのですけど、広すぎて。必要あれば売却します」

 腹は決まっているのだと、宣言された。


 気慣れない新しい服に居心地の悪さを感じながらも、その続きを今か今かと待つユリアンとアンナである。

「じゃあ、食事の前に本題といこうか」


 召使が運んできたのは葡萄酒ではなく、帝国製の茶だった。ヴェンツェル達がいつも飲んでいる安酒よりもよほど高価である。

 その高級茶葉をたっぷりと使い濃く煮出した茶に、これまた希少品の白い砂糖を入れて飲む。これが今、上流階級の間で流行しているのだ。


「すげぇ…こんなの初めてだ」

 気品ある茶色の液体に、経験したことのないまろやかな味と香り。ユリアンとアンナは目を丸くする。


 帝国は豊かだ。贅沢を知る国である。ここまで版図を広げてこられたのは、武力だけではい。洗練された文化で征服先を篭絡ろうらくしてきたからだ。

 ブレア国民の頂点に近い位置で洗練されたコンスタンツェが、帝国の茶を勧めてきた事にこの大陸の縮図が見える。


「条件はこちらです」

 彼女が合図すると、執事がヴェンツエルの前に紙を広げた。契約書だ。団長クロム、何書いてあんの?? と、興味しんしんの字が読めない二人。


「…簡単に言うと、この婚姻はあんたが生きている間のみ有効で、あんたが死んだ後私には何も残らないが、金を返せってこともない、ということだな。で、息子と揉めるなと」

「そこだけが心配ですから」


「死んだ後の心配はするけど、生きてる間はしないんだな。例えば、私が勝手にあんたの名義で土地を担保に金を借りたりしてもいいのか?」

「成り上がるのに必要であれば。この婚姻はそういうものでしょう」

「聡い人は違うな」


 唇の端を吊り上げてヴェンツェルが取り出したのは、婚姻の届出だった。

「ま、婿入り先を潰すようなことはしないし、ちゃんと息子に相続させるから安心していい」


 執事に差し出されたペンで、届と契約書にヴェンツェル・ドゥミズーリとサインする。

「一つ頼みがあるんだが」

 同じくサインしようとしたコンスタンツェは顔を上げる。


「この子はアンナといって、遊郭に売られるすんでのところを私が引き取ってね、面倒をみてるんだ。せっかく私のところに来たんだから、将来は一端いっぱしの男と結婚させてやりたいと思っている。そこで、この子の教師をしてくれないか?」


「ぅええええっ!?」

 遊郭に売ろうとしてるの団長クロムだかんね! と突っ込むより先に驚いてしまった。


「読み書きは私でも教えられるんだが、淑女の嗜みとか、マナーとか、そういうのに私はからきしだからな。春までみっちり教え込んでほしい。もちろん滞在費は払う」


「…お金は要りません。私たちは夫婦なのですよ」

 そう言ってコンスタンツェは一気にサインを書き上げた。


「構いませんよ。教え甲斐のありそうなお嬢さん」

 微笑むコンスタンツェに、アンナは干からびた顔でお願いしますと言うしかできなかった。

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