2 オフの間のプロポーズ

 冬は戦争オフシーズンであり、傭兵にとっては懐事情が厳しい季節である。


 ヴェンツェル団の朝は早く、町内清掃という名の小銭拾いから始まる。まだ薄暗く底冷えする早朝、白い息で手を温めながらアンナも懸命に励み、今朝は1Wワム硬貨を2つと、澄んだ青色のガラス玉を見つけた。金にはならないが、海はこんな色をしているんじゃないかと想像を膨らませている。


 海だけではない。ヴェンツェル団は、アンナが見たこともない世界の話を聞かせてくれた。異界テングスまで出てきたのには興奮しかない。

「毎日こんな楽しいなんて!」


 傭兵団生活は決して楽ではないが、酒を飲んでは暴れる父と、嘆く母と、閉塞された家にいた頃とは雲泥の差だ。


「しかも傭兵団長クロムは王太子様に気に入られてるし! これ、身分の高い男と知り合うチャンスだよね…クフフ」

「なぁに怪しい顔してんだい! 集中してやんな」


 ジテ湿地戦から二か月が経過していた。傷が癒えたヴェンツェルは、フェルディナントからちょくちょく呼び出されるようになってしまったのだ。


免状ウェイスの発行はいつになるんだ」

丞相じょうしょうに掛け合っているから心配するな。それより頼みたいことがある」

 と、盗賊討伐に駆り出されたり、今回は国境警備である。いつものオンボロ激安雫亭から離れ、傭兵団はヘルジェンとの国境近くのトロイデンという街に逗留していた。


 免状ウェイス発行は引き延ばされながら、契約金は免状ありとほぼ同額なので、文句が言えない。


 王都を目前にあれきり、ヘルジェンは引き下がってしまった。逆にブレアは攻め立てるのかと思いきや、こちらも奪われた街を取り戻して国境をもとの位置に押し戻すに留まった。


 ひとえに資金不足である、とフェルディナントはぼやいた。帝国の被害も甚大だったため、合意の上進軍を諦めたらしい。


 ブレア軍の犠牲はほとんど無かった。しかし単独勝利と言えるほどではなく、帝国・ヘルジェンとの関係性に変化を与えるまでには至らなかったのだ。


 集中しなと言われ、一心不乱に何かを書き込んでいたアンナが顔を上げる。

「できた!」

「どれどれ、うん、うまく書けてるじゃないか」


 団長クロムに誉められれば、ぱあっと顔が明るくなる。そこには、りんごとかさくらんぼとかきつねとか、繰り返し書かれていた。

「ただいまっス! ちゃんと勉強してんのか?」

 巡回から戻ったユリアンに覗き込まれて、エッヘンと紙を見せつけるアンナ。


「言われなくてもやってるに決まってんだろ!」

 覗いたところでユリアンも字は読めない。すげーじゃん、と誉められれば、ますます図に乗るアンナである。早速次の課題に取り掛かる。


団長クロム、報告っス。こないだセバスチャンが話してた未亡人っスけど」

 見た目もっさりしたオッサンなのだが、なぜかセバスチャンに話しかけられると、老若男女問わず皆、胸襟を開いてしまうのだ。その日もあっという間に打ち解けた地元民とわいわい飲んでいると、こんな話を聞かされたという。


「家庭教師の女でやんすよ。仕事が終わるといつも教会に来るらしいやんすけど、元々領主の一人娘で、婿夫を戦で亡くしてるでやんす。かなりの金持ちでやんすよ」

 領地はトロイデンから馬車で二時間ほどののどかな農村で、平日は街で過ごし、週末になると帰宅するのだという。


「死んだ夫のために祈ってるんでやんすかね、独り身になってもう三年近くになるのに、誰にもなびかないらしいでやんすよ」

 ふぅん、と半分聞き流していたのだが。


「その夫人がどうかしたのか」

「オレが教会に行ったら司祭セルにからまれてたんスよ。すげー嫌そうにしてるのに、その司祭しつこくて。だからオレ助けたんス」


「生臭司祭セルを殴ったのか?」

「その前に逃げてったっスよ。そしたら夫人からこれもらって」

 ヴェンツェルの目の色が変わる。それは宝石があしらわれたブローチだった。


「こんな高いの受け取れないって言ったんスけど、国のために戦ってくれたのだからって持たされて。団長クロムに渡してくれって」

「私に?」

「『鋼鉄のヴェンツェル』がこの街に来ている噂を聞いた、って」


 一度ブローチを手に取って、それからユリアンの手に戻した。

「おまえが貰ったんだ。現金化したら三割よこしてくれればいい」

「…ケチ」


 ユリアンの故郷は略奪に遭い、両親をヘルジェン兵に殺された。それが傭兵になる直接の動機だが、親に連れられ教会によく行っていたらしい。それで今も時折、一人で教会に足を運ぶのをヴェンツェルは知っていた。


「礼をしなきゃな。明日行ってみるか」

 翌日午後三時、ヴェンツェルはユリアンを連れて教会の扉をくぐった。

 がらんとした木造教会には、その夫人を除いて他に人はいない。


「『鋼鉄のヴェンツェル』と聞いていましたが」

「私のことだ。もっとゴツいのが来ると思ったかい?」

 女は名をコンスタンツェといい、青白く痩せている。おまけにさして美しくもない。しかし所作が際立っていた。ただ座っている姿勢を見るだけで分かる。


「こいつに高価な贈り物をくれたそうだね。感謝する」

「いえ、助けられたのは私の方ですから。それに、あなた方は夫の仇を討ってくれました」

「愛情深い方だ」


 たわいもない話をしながら、翌日も、翌々日もユリアンを連れ、ヴェンツェルは教会へ通った。


「息子さんは今どこに?」

「十歳ですので、寄宿学校に」

「あなたに似て、きっと利発な男の子なのだろうな」


「教会に来ると頭と心が空っぽになれるのです。何も考えず、まるで赤ん坊に戻ったように」

「ああ分かるな、その感じ」


「家庭教師を受け持っているのは十歳と八歳の姉妹なのだけど」

「料理はあまりしたことがないけれど、息子にせがまれてブラウニーを焼いたことがあるわ」


 いつのまにか、喋っているのはほぼコンスタンツェの方である。それも初日には決して見せなかった、目尻に浅いシワを寄せての笑顔でだ。


 口説いてんじゃないっスよね?

 いやまさかと思うが、そうとしか見えない。

団長クロムって女っスよね。で、ご夫人も女で…」

 不埒な想像しかできないお年頃である。


 翌日からは聖誕祭休暇で家庭教師も休みになるため、教会に寄ったら領地の屋敷へ帰るという。

「コンスタンツェ、あなたに伝えなきゃならない事がある」


 今日のヴェンツェルは洗濯したてのシャツに、髪型までバッチリ決まっている。緊張するのはコンスタンツェではなくユリアンの方だった。そして真剣な顔で言ったのだ。


「私と結婚してほしい」

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