11 目覚め

「いやもうビックリしたのなんのって! 川から来るなんて思いもしないじゃん? ヘルジェン軍と青黒い変なのがザバァ! っていきなり現れてさ!」

(10代男性 ブレア兵士 全身複雑骨折で搬送)


「ヘルジェンの奴ら、ずっと近くに潜んでたに違えねぇ。100人はいたのに、哨戒の奴ら、なんで気づか…」

(20代男性 ブレア兵士 証言途中で失血死)


「おらぁ見たで。あいづら潜んでたんずわねぇ、信ずらんねぇ勢いで川下って来やがっだんだ。見だごどもねぇ生きモンだ」

(40代男性 傭兵 証言後内臓破裂で死亡)


「何もかもをなぎ倒して、あっという間に過ぎ去っていったのです」

(20代男性 ブレア軍将校 搬送先で下肢切断)


「証言とこの状況をまとめると、だ」

 フェルディナントは冷たい雨の中、眼前の惨状を正視した。


「突如として100名ほどのヘルジェン軍が、青黒い見たこともない生物と共に川下から現れ、幕舎も、兵士も、馬も、何もかもをなぎ倒すように過ぎ去っていったということか」


 ヴェンツェルも開いた口が塞がらない。

 川から来たというから、海洋国家ヘルジェンが小規模な艦隊を率いて来たのかと思っていたが、見当違いのようだ。


 ひと抱え以上ある太い丸太を使用した投石器などの重機が、いとも簡単に分断されている。まるで見上げるような大蛇がのたうち回ったか、この大地を紙のようにぐちゃぐちゃに丸めて再び広げたかのようだった。


 アドルフ率いるヘルジェンの奇襲軍が通ったところは蛇の道のように跡がついていた。それを辿っていくと、フェルディナントが死地と言ったジテ湿地の鬱蒼とした木々が見えてくる。


「戦闘が始まっております! ヘルジェン軍は戦闘準備のできていない帝国軍に、絶え間ない攻撃を展開している模様!」

 まるで、この雨のようにか。


 そして湿地では何かが暴れまわっている。

「あれは何だ? 竜…?」


 ブレア軍をなぎ倒し、進路に巨大蛇のような跡をつけていった正体は、体長5mはあろうかという大きな生物だった。青黒いぬらぬらとした肢体、水かきを持つ四本足、菱形の頭部に長い尾という、イモリを大型にしたような見た目。


「大型アロだ…。希少生物なのによくあんなに捕獲したな」

 それが百体近くいる光景に、ヴェンツェルは鳥肌が立つ。


 騎乗者を揺らすことなく馬同等のスピードで這うように動き、あらゆる物を踏み潰して地面にその跡を縫いつけていく。掃き出される埃の扱いでその進路から弾かれ、びっしり生えた鋭利な歯に穴を開けられているのは、帝国兵と愛馬たちだった。

 目撃証言では、ヘルジェン兵はあれに乗って川を下って来たというのだ。


「バルタザール教授ですよ。この国を追放された後、ヘルジェンに亡命したんでしょう? あのアロの脳を改造したんだ」

 かつてヴェンツェルが人体改造を施された研究室で、を見たことがあった。


 あのサマ、本当に作ったんだな。

 ヴェンツェルと同じく男として育てられ、女の幸せとは無縁に研究一筋で生きてきた、まさに魔女である。


『ごくたまに岩場から下りてきた大型アロが、畑や家畜を食い荒らす話は聞いたことがあるだろう。こいつを改造したらどうだい? ヴェンツェル、お前これに乗って戦わんかえ?』

 その時はいや遠慮しますと、本気で信じていなかったのだが。


 水陸両用で、平原はもちろん馬が苦手とする湿地や浅瀬の戦いでもその機動性は変わらず、巨体と獰猛さから簡単に駆除などできない厄介者なのだ。目の前に展開するのは、そんなのに乗ったヘルジェン兵が帝国相手に無双する図だった。


「脳を改造しただと? 一体何を…」

 フェルディナントは食い入るようにヴェンツエルの言葉を待つ。


「一つは、その個体固有の長所を劇的に伸ばすこと。私は元々骨が頑丈な性質タチらしくて、それでこうなりました。改造手術を受けた中には、筋肉量が三倍になったのもいるし、驚異的な暗記力を身に着けたのもいる。そしてもう一つが、意図を植え付けること」


 これは人間のように高度な知能を持つ生物には効かないがね、と教授は言っていた。


「あれこれ考えない肉食生物ほど、本能に直結する食物や仔への執着は強い。だから自分のものが奪われたら、取り返すまでどこまでもどこまでも追ってくる。盗られたり殺された恨みからじゃなく、ただ取り返すためだけに。教授はそこを利用したんだと思います」


「ではあの大型アロたちは何かを取り戻す為に、帝国兵に向かっていると」

「食糧を帝国が奪っていったとでも操作してるんでしょう。操作には脳に直接働きかける信号を使うらしいです。私には難しくてよく分からなかったけど」


「………」

 言葉を失ってしまったフェルディナントに、ヴェンツェルは大きく息を吐いた。


「教授を国外追放したのがどれだけ失策だったか、よく分かったでしょう。けど、生物の本能までは曲げられないもんです。火は怖がるはずだ。予定通り燃やしてやりましょう」


 唇の端を上げて、戦場に目を戻す。

 この中に奴がいるのだ。戦場の鬼神、ヘルジェン国王アドルフが。


「そうだ、その通りだ。準備をせよ! ヴェンツェル達の援護をせよ!」

「はっ!」

 あっけに取られていた兵士たちも我を取り戻し、キビキビと動き始める。


「じゃあ、私はそろそろ仲間たちのところへ行きます。殿下は攻撃のタイミングをお間違いなく」

傭兵団長クロムヴェンツェル」


 呼び止められて振り返る。透明で、聡明で、見つめられると穏やかな気持ちになる瞳。どうしたらこんな目ができるのだろうと思う。


「また会おう」

「当然ですよ。タダ働きはご免なんで」

 いたずらっぽく言うと、つられてフェルディナントが笑顔になった。


 その顔に、少しくすぐったいような、走り出したくなるような昂ぶりが抑えきれなくなる。


「帝国もヘルジェンも、我々をまるで無視だな。やってやろうではないか」

「ええ、見せてやりましょう。異界テングスのバッシ伯と、この戦場の全員に」

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