12 死地

「お頭! こっちの準備はオッケーでやんすよ」

 馬が曳く大八車にどかっと据えられた、総重量150㎏はある巨大な樽。中にはイザークが増産した燃料がたっぷり入っている。


「さっき試しにやってみたっスけど、バッチリっスよ」

 上部には二つの取っ手があり、ピストン状に動かすことで中の空気を圧縮すると、連結されたノズルの先から燃料が噴射される。フェルディナントが用意した装置は全部で十台あった。

 他にも、火薬と共に釘やガラス片を混入した爆弾が用意されている。


 狭い湿地に誘い込んできたヘルジェンの作戦を逆手に、湿地ごと燃やす。ヘルジェン兵も、帝国兵も一緒に。

「派手に燃やしてやろうじゃないか! 行くぞお前たち!」

「おおおおうぅ!!」


 雨の中、熱気で湯気が立たんばかりの傭兵どもをかき集めたのは、ヴェンツェル団の会計役セバスチャンだ。総勢五十名以上いるが、うまく交渉して総額5万Wワム以内に収めたようだ。


「この樽が撃たれたら大炎上でやんすね」

「そうならないよう祈るしかない」

 撃たれて炎上したり、着火時に炎に巻きこまれるリスクもある。極めて危険だが、命知らずの傭兵どもは契約通りにやるだろう。


 傭兵が従うは契約のみ。勝って、手に入れる。負ければ何もない。それだけだ。


 湿地にブレア兵士はいない。帝国からもヘルジェンからも無視された扱いだが、この時ばかりは好都合だ。


「さあ、かかれ!」

 まずは外側から木々に燃料を撒いていく。それから戦場のより内側に入り、噴射していく。飛距離は十分だ。


「えっさ!」

「ほいさ!」

「えっさっ!」

「ほいさっ!」


 ユリアンとセバスチャンが汗だくでピストンを動かし、ヴェンツェルが人に向けアロに向け噴射しまくる。御者台ではヨハンが巧みに馬を操っている。

 そして後ろから火を持った傭兵どもが走っては、火種を投げつけていく。乱戦の戦場、あっという間に着火すると、独特の臭いを発して激しく燃え盛る。


「「なにこの臭い、なんか燃えてる?」」

「「え、ちょっと火の量多くない? 熱いんだけど!」」

「「ていうか人燃えてるし!?」」

 残酷な炎の熱さと共に、あっという間に動揺が伝播していく。


 なかんずく、恐慌状態になったのは大型アロだ。火に怯えて制御を失い、あらぬ方向へ逃げようとするものあり、その場に固まるものあり。そして燃料を浴びせられたぬらぬらの体が燃え上がり、騎乗したヘルジェン兵の悲鳴が次々に響く。果敢な帝国の黒い軍団がそれを引きずり下ろし、血で塗りつぶしていく。


 だが、傭兵どもが噴射する燃料は帝国兵だけ避けてくれるわけではない。彼らがそれに気づいた時、戦場は既に周囲の木々が炎を巻き上げる地獄となっていた。

 その熱と混沌からは逃げられない。そこへ凶器が飛び散る爆弾が投げ込まれる。


「そろそろクライマックスだ。行くぞおまえたち」

「お頭はアドルフ狙いでやんすね」

「当然だ。この機を逃してたまるか」


 傭兵団の火炎放射攻撃はまだ続いている。しかし自らも餌食になる危険を顧みず、ヴェンツェルは戦場の中心へ駆けた。

「アドルフを探せ」

 すぐそばのヨハンに言いながら、まず一人目を斬り伏せる。


 誰もが己が生き延びるために武器を振るう中、ただ一人そうでない男の姿をヴェンツェルは探した。

「こっちだ。来い!」

 駆け出したヨハンの背を追い、泥をはね上げる。


 望む相手にもうすぐ会えるという、それは戦場らしからぬ喜びだった。高鳴る鼓動に体の芯が熱くなる。

 ———見つけた。


 兜の間から見える紅の髪、後ろ姿だが間違いない。アロに騎乗したまま帝国兵を枝でも落とすようにぶった斬り突き刺す、しなやかな肉食獣のような背中。

 近づく殺気に振り返るアロの獰猛な目。それに引けを取らぬ、騎手の深蒼の目がヴェンツェルを捉える。


 次々まとわりつくような矢を振り払って、アロが重機の尾をブンと振り回す。迂回して避けて、ヴェンツェルは摑みかかるとよじ登っていった。アロは全長は長いが、高さは人の身長ほどである。表皮は硬く、濡れても滑らないので容易に掴めた。


 騎乗したまま待ち受けていたアドルフの剣撃を身軽にかわし、両手持ちの分だけ速いヴェンツェルの剣が呻る。前に攻め込もうとするが、アロが揺れて踏み込みが浅くなる。


 すかさずアドルフは足を狙って攻撃を繰り出し、ヴェンツェルが下がった隙に手綱を持ったまま立ち上がり詰め寄る。


「余を誰か知ってのことか」

 歌うような、優雅に響く声。剣と剣が交わる。全体重を剣に回しながら、ヴェンツェルは後ろ足を大きく引いて堪える。


「…あんたを倒しに来た!」

 間近のアドルフの体格はヴェンツェルとさして変わらない。だが片手で次々に打ち込まれる斬撃は重く、ヴェンツェルはアロの上でバランスを保つのに必死だった。


 その時目の端に黒いものが映る。———黒ずくめの!

 一瞬にして額と首から冷や汗が染み出る。今来られたらマズイんだけど…!


 しかし何かがひらりと飛び乗り、代わりに黒い刃を受けた。ヨハンだ。

 四人に乗られて重量オーバーだったのか、アロは激しく体を揺らす。立っていられぬ状況に、全員ぬかるんだ地面へ飛び降りて第二ラウンド開始だ。


「あの黒いのを私に近づけるな」

「ああ」


 アドルフは剣を肩に担ぐ。

「ほう、『孤狼のヨハン』か。ガロンよ、討ち取ってみよ」

「余裕こきやがって!おまえの相手は私だっつぅの!」


 素早くヴェンツェルも撃ち込む。しかし手綱を持っていないアドルフも今度は両手持ちだ。スピードも一撃の威力も、全て向こうが一枚も二枚も上手だった。

 それでも受けに徹して、耐えて待つ。たった一度だけ訪れるチャンスを。


 ヴェンツェルが防ぎきれなくなった時、アドルフの白刃がその喉首を切断しようと左上から降ってくる。衝撃に備えて身を固くし、剣を持つ手に力を込める。

 肉を喰らうはずの刃が骨に弾かれて、アドルフの動きが一瞬静止した。


 その一瞬こそヴェンツェルが待ちわびた瞬間だった。渾身の力で右下から袈裟に斬り上げる。


 だがすんでのところでアドルフは身を捻り串刺しを避けた。ヴェンツェルの剣が裂いたのは、左腕のみだ。

 外した…っ!


 千載一遇のチャンスを逃してしまった。だが傷は深いはず。次だ———

 しかし憎悪に燃えた瞳でアドルフが片手で叩きつけた剣が、鋭くこめかみに食らいつく。あまりの一瞬のことに、避ける間も無かった。


 ぶつけられたアドルフの剣が砕け、脳天まで割れたような衝撃に体が傾く。足が追いつかず、泥の中に倒れた。同時にアドルフがガロンに抱えられるのを見て、それから目の前をチカチカと閃光が覆い、何も見えなくなった。


「うぅあああああぁっ!!」

 猛烈な痛み。顔の側面がぬるぬる温かい。これは血か。出血量が多い。割れた剣の破片が刺さったのかもしれない。


 起きろ…はやく起きなきゃ。動け手足! 

 泥を拭うこともできず、体が金縛りにあったようだ。するとヨハンに腕を掴まれ強引に起こされる。

「しっかりしろ」


 アドルフはガロンに抱きかかえられている。ヨハンも黒ずくめを取り逃したようだ。そこへヘルジェン兵が駆け寄った。

「陛下に伝令申し上げます! ゴーラル閣下より、総員退却指示です!」

「…そうせよ」

「御意」


 アドルフはヴェンツェルから目を離すことなく、まるで怒れる海神の槍を向けるかのようだった。


 その時、ぽーんと何かが飛んでくる。両手大のそれは、作ってほしいとヴェンツェルがフェルディナントに依頼したもので———

「伏せろヨハン!」


 破裂音と共にヴェンツェルはヨハンの頭と体をしっかり抱え、うつ伏せに泥へ倒れこむ。炎の熱さ、それから耐えがたい痛みに全身を掴まれて、悲鳴もあげられない。


「だ…いじょうぶか…? どこも…当たらなかっ…?」

「ヴェンツェル!」

 至近距離で視点が合わないが、ヨハンが瞳を見開いているのが分かる。


 火薬と共に釘やガラス片を入れた爆弾だった。背中に、太腿の裏に、いくつか刺さっている。


「死にはしない…けど、痛…」

「後で手当てしてやるから頑張れ」

 ヨハンが頭を抱いて頬を寄せる。それからヴェンツェルを肩に担ぎ上げ、仲間の元へ走り出した。


「アドルフは…?」

「姿が見えない。爆発の直前に黒ずくめが異界テングスに退避させたんじゃないか」

「……」


 『煉海クオリアの王』か。全く敵わなかったな。

 残ったのはそんな思いだけだった。



◇◇◇◇


ジテ湿地の戦い(聖神歴879年11月12日) 


 行軍途中の帝国軍2万を、わずか2千足らずのヘルジェン軍が湿地の奇襲で迎え討つ。大打撃を負った前列の死体を踏み越え、帝国騎馬兵は湿地を抜けようと試みるが、雨と緩んだ地面に帝国特産の屈強な戦馬の脚はことごとく奪われ、半数以上の死傷者を出した。

 所属不明の傭兵により戦場に火が放たれ、帝国兵、ヘルジェン兵の区別なく甚大な被害をこうむったが、実態は謎のままである。

 その後駆け付けたフェルディナント率いるブレア軍3千により、王都を目前にしながらヘルジェン軍は撤退に追い込まれた。

 なおヘルジェン国王アドルフが重傷を負わされ、決戦には至らなかった。

 

 二日後、ブレア軍の追撃により、国境までヘルジェン軍を押し戻すことに成功した。ブレア軍の犠牲はほとんど出なかったものの、この戦いでマンフリート第二王太子が行方不明となっている。

 

 そして戦勝に貢献した功績を称えられ、ダルゲン商工組合頭取のイザークは名誉市長の栄誉にあずかり、銅像が建てられたという。

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