9 見せてみろ

 その夜、ダルゲンに駐留するヘルジェン兵は、最低限の見張りだけを残して休養を取っていた。それが本隊からの命令だったからだ。

 あらゆる享楽に耽りながら、ブレア軍など歯牙にもかけず、次なる敵は帝国軍だと誰もが疑わなかった。


 まして、たかが住民の手で血祭りにあげられるなど、誰が想像しただろうか。

 ある者は四肢を切断された体を窓からぶら下げられ、またある者は体を押さえつけられた状態で、口の中に真っ赤な炭を押し込まれた。


 結果、明け方までに城塞は市民の手に戻り、駐留していたヘルジェン兵は尻尾を巻いて逃げ出した。

 遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。


「群れというのは恐ろしいもんだ。市民の代表たるあんたには身に染みるだろう?」

 目の前に座って頬杖をついた男、ダルゲン商工組合頭取のイザークは、速いテンポで足と指を揺らしている。


「ヘルジェンを追い出せても、私の金がどこにもないんだよ! どうしてくれるんだね!?」

 強盗に押し入った時にはビクビク震えていたのに、暴動になってからはユリアンに続いて目を血走らせていた男である。


「気の毒だけど、持ち逃げされたわけだ」

「気の毒で済むか! あれはうちの組合費だけじゃない! あれが無ければダルゲンの財政は立ち行かなくなるんだぞ!?」


 おっ、私物じゃないことは思い出したみたいだな。けどあんた、一体いくらピンハネしてる?


 各組合が毎年申告する決算結果を取りまとめて、市と国を相手に税額交渉するのが頭取の役割である。イザークはビタ1Wワム引かず、今回の妥結に至るまでは相当苦労したと、フェルディナントから知らされていた。


「なあ、商売の話をしよう」

 城塞の中にはブレア兵士が戻っていて、焼き立てのパンやヤギの乳が振舞われている。いや、商魂たくましいダルゲン市民たちは、興奮の渦中にあってもタダで大盤振る舞いすることは無いようだ。


 ヴェンツェルは片手を挙げ、寄って来た売り子からヤギの乳と、ブレンドされたナッツを購入した。頑丈な顎で噛み砕きながら、喉を鳴らして流し込む。


「なんだね、傭兵風情が」

 と言いながら、商売と聞かされて無視はできず、イザークは指のトントンを止めた。


「見ての通り、これからヘルジェンとの戦が始まる。これまでにない規模で、歴史に残る戦いになるだろう。もちろん私たちも参戦するが、そこであんたの油の出番だ」

「?」


「あんたの精製油はよく燃えるんだろう? それをヘルジェン兵どもに、しこたまお見舞いしてやるんだよ」

 残りのナッツをザザーッと口に流して、嬉々として語るヴェンツェルに、イザークは続きを促した。


「一度火が付いたらタダじゃ消えないあんたの油で、戦場ごと敵を燃やす」

 するとその光景が目に浮かんだようで、イザークはぶるっと身震いした。


「うちの油は高級品なんだぞ? そんなもったいない使い方があるか!」

「バカ言ってんじゃないよ! このままじゃ王都を奪われて、今度こそヘルジェンに占領されるんだぞ!? もちろんタダでとは言わない。私が買う」


「なんだと?お前が?」

 貧乏傭兵などに私の油が買えるとでも思っているのかね。

 明らかな蔑視の目でイザークは唇を歪ませた。


「私の雇い主はフェルディナント殿下だ。これが契約書」

 しかし、王家の紋章をちらつかせられれば、目の色が変わるというものだ。


「傭兵風情の資金が潤沢なのは分かってもらえたな。まずはあんたの言い値を聞こう」

「うちの油はℓ当たり12Wワムだ」

「高すぎだ! 貴族と同じ値段にする奴があるか!」

 テーブルに手の平を打ち付けると、空になったコップが飛んでいく。


「う、うううちの油は高級だと言っただろう…!」

「あのな、これは歴史に残る戦いなんだ。そこにあんたの名前も刻まれるんだぞ?」

「かっっかか勝てばの話だろう」


「ほぉ、負けると思っているのか」

「そうではないが…」

 力を持たぬ者が時として番狂わせを演じることを、イザークも身をもって体験したばかりである。


「三分の一で4ワムだ。三十樽買う」

「ふ、ふ、ふざけるな!それじゃ倒産する!10Wだ!」

「みすみす救国の英雄になるチャンスを逃すつもりか?5Wだ」

「金が無きゃ家族と職人を養えないんだよ!」


「あんた、何のために金持ちになった? ヘルジェンに金を奪われて、もし今日命まで奪われてたら、あんたに何が残った?」

 ヴェンツェルは腕の傷跡をさすって見せつける。


「人間、死んで残るのは名誉だけだ。あんたは金で名誉が買えるところにいる。それは限られた、ほんの一握りの人間にしかできないことだ。そうだろう?」

 ごくりと、イザークの喉が上下する。


「6Wだ。差額以上の名誉があんたの懐に入ると思えば、なんてことない」

「せ、せめて8Wに…」

「戦場で命張るのは私たちなんだ。それに、あんたのことは私が責任をもって殿下に話しておく」


 五秒間、イザークは考えた。そして、

「…必ず果たせよ。6Wワムで手を打とう。30樽で4万Wだ。すぐに増産態勢に入る」

 出された結論にヴェンツェルは握手を求めた。


「約束しよう。金はすぐ持ってこさせる」

 そしてユリアンを呼びつけると取りに行かせた。出所はもちろん、セバスチャンが守る組合費の袋である。


 4万Wは戻してやるのだから、この一家と職人たちが路頭に迷うことはないはずだ。ヴェンツェルは朝食をおごってやることにした。いや、これも元々は組合費なのだが。


 イザークに全文は見せなかったが、契約書の最後にはこう書かれていた。

 

 組合頭取を利用し暴動を煽れ。契約金は5000W。

 ダルゲンを奪還した折には成功報酬として妃との契約の残金1万5千W。

 その後の戦勝に貢献すれば、更に3万W支払う。 


 ———免状ウェイスが欲しいなら、そなたこそ見せてみろ。

 

 高額報酬を提示し、涼しい瞳でフェルディナントは挑発してきたわけだ。

 そりゃ、あんなこと言っちゃったし、私だけ高みの見物とはいかないよな。

 ヴェンツェルは唇の端を上げた。

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