8 うってつけ

 アンナに割り当てられた仕事は、飯炊き、掃除、洗濯、繕い物、馬の世話など出来ることは何でも。そして役に立たないと判断した時点で遊郭に売り飛ばす。それがヴェンツェルとの契約だった。


「洗濯物そこに出しといて」

「いっ…いいよ! 股引ももひきくらい自分で洗うし!」

「なに恥ずかしがってんの? もしかして夢精した? 洗濯はアタシの仕事なんだから盗らないでくんない」


 股引を引っ張り合いながら、最後は赤面したユリアンが手を放すしかなかった。

 アル中ニートの父、昼も夜も外で働く母の元で育っただけあり、アンナの家事手際は極めて良い。


「女連れなんて…なんっか調子狂うッスよ」

「あっしは助かってるでやんすよ」

 今まで雑用を一手に引き受けてきたセバスチャンは喜んでいる。


「あの子は私が面倒見るんだから、おまえ手を出したら承知しないよ」

 セバスチャンとヨハンもいるのに、団長クロムの言葉はユリアンだけに向けられている。

「しねーっスよ! 誰が!!」


 金があるだけで、ヴェンツェルにはこんなやり取りも微笑ましいものに思えるのだから、心に余裕があるというのは素晴らしい。


「さーて、次はどこに行こうかねぇ…」

 昼から酒飲みのヴェンツェルが真剣に考えようとすると、ヨハンが口を開く。

「まだ戦は終わってないぞ」

 その直後、ドアがノックされた。現れた男はブレア国の兵装だ。


傭兵団長クロムヴェンツェル殿か」

「そうだけど。もしかして早速免状ウェイスを届けてくれたのかい?」

 使者は無言で書状を差し出した。蝋の封印は鷲、ブレア王家の紋章だ。


「…ダルゲン奪還作戦に私を指名するだって? しかも長っ。なにこの手紙、つらつらと一体何枚あるんだよ」

「フェルディナント殿下直々だ」

 急いで書いた割には長すぎるが、終始にわたって焦りが見て取れる。


「無名の傭兵に頼らなきゃならないなんて、あんたんとこの殿下はよほど人気がないみたいだね。けど、私たちは命令じゃ動かないんだよ」

「契約書はこれだ」

 使者が別の紙を出す。


「へぇ、殿下もよく分かってるじゃないか」

 ヴェンツェルは迷いなくサインしていく。


(今リッチなのに。そんなに儲かる契約なんスかね?)

(ぼーっとしてる暇があったら働くのがドケチのさがでやんすよ)

 団員が何を言ったところで、団長クロムがやるならそれに従うまでである。


「てなわけでおまえたち、準備はいいね?」


 それから三日後、積み荷に紛れてダルゲン侵入に成功。

 午前一時、目抜き通りより徒歩十五分程の工場兼住居に、暗闇に溶け込むように三人が潜んでいた。


「なんで俺まで盗人に」

 ボヤくヨハンは目から下を黒い布で覆い逆三角形に垂らした姿が、切れ長の瞳をより強調して色気さえ感じさせる。


団長クロム命令でやんすから」

 セバスチャンは常日頃から見た目浮浪者なので、変装の必要すらない。

 ヨハンの目がちょっと微笑む。


「おまえは盗賊が本業だろう」

「元でやんすよ。お頭に負けて足を洗いやしたから」

「集団で襲いかかったのに、逆に身ぐるみ剥がされたんだっけ」

「口を動かさずに手を動かしな」


 ヴェンツェルに言われると、元盗賊セバスチャンは専用の金具を使い、金庫の錠前を手際よく外していく。ちなみにヴェンツェルは、ほっかむりで群青の髪を隠して端っこを鼻の下で結んだコソ泥スタイルである。

 三人とも、首から下は赤煉瓦レンガ色のヘルジェン兵装だ。


 気持ち良い音とともに錠前が外れ現れたのは、たわわに実った袋だ。ヴェンツェルが掴むと、チャリチャリそそる音がする。

「このまま持ち逃げしたいでやんすねえ」

 同感である。しかし、それではヴェンツェル団の名が廃るというものだ。


「ど、ど、泥棒!誰か!誰か来てくれ!!」

 振り返ると、家主のダルゲン商工組合頭取が燭台を片手に、住み込みの職人連中を呼んでいる。


「この金はへの上納金として受け取っていく」

 コソ泥スタイルでわざとらしい鷹揚な声色に、マスクの下でヨハンが噴き出しそうになる。


「ふざけるな! 私の金だ!」

 頭取は迷わずそう言うが、正しくは組合員の血税であって、断じてこの男の金ではない。


「黙れ、ヘルジェンに逆らうことは許さん」

 袋を担いで、三人が平然と一つしかない出入り口に向かうと、組合長は後ずさりし、代わりに背後から職人達が出てきた。


「ここは通さねえ!」

 荒くれ職人どもは、鉄の棒やナタを手にしている。

「逆らう者には容赦せんぞ!」

 ヴェンツェルの声で前に出たヨハンが、音もなく剣を抜くといきなり先頭の男の腹に打ち込んだ。


「ぐヒャあああっ!!」

 衝撃に倒れた男の服に、赤い血が浸み出す。切ったのは表皮だけで、ほとんどが剣の腹での打撃だとヴェンツェルには分かるが、職人たちをうろたえさせるには十分だった。


「貴様らは占領されたのだ。よく覚えておけ、これがのやり方だ」

 強調して宣言すると、職人どもを殴りつけ突き飛ばしながら階下へ降りていく。しかし、外に出ると男衆に囲まれた。カンテラの炎に荒くれ顔がぼんやりと映る。


 悪いがここで恨みを買っておく必要があるから、死なない程度にボコらせてもらう。その辺の加減はヨハンとセバスチャンならお手の物だ。

「ハーッハッハッハ! アドルフ陛下に逆らうとどうなるか思い知れ!」


 あらかた倒したところで退散を始めると、その周りで野次馬と一緒に騒いでいるのが、

「ヘルジェンの奴ら好き勝手にしやがって! みんなこのままでいいのか!?」

なりは小さくても歴とした傭兵姿のユリアンである。


「これがヘルジェンのやり方なんだろ? 次はどこが襲われてもおかしくねぇし、おちおち寝ることもできねぇ世の中になっちまうぞ!」

 住民らの顔が堅くなる。


「次は鉄工組合だって噂聞いたぞ!」

「ヘルジェンの奴ら、俺たちの財産好き勝手しやがってよ!」

 野次馬から飛び交う怒声。これは金で雇ったサクラだ。


「わ、私の金が…」

 ショックから立ち直れない頭取に、ユリアンはいつもより背が高くなった気で言う。

「なら取り返そうぜ」


 眠りから覚まされた住民たちは、庭や地下に隠していた手に武器を取り、ヘルジェン軍がいる城塞へと異様な列を成した。


団長クロム、こっちこっち」

 細い通りの隙間で、ドアを細く開けてアンナが小声で呼んでいる。


 素早く身を滑り込ませると、後ろでアンナがしっかりとカギをかけた。部屋の中には既にヨハンとセバスチャンが、ヘルジェン軍の装いからいつもの服に着替えている。このヘルジェン兵装は、アンナが突貫工事で縫い上げたのだ。


「うまくいきそうだね」

 恐がるどころかウキウキと笑みが止まらないアンナ。


「暴動になってくんなきゃ困るんだけど」

 言いながらヴェンツェルも着替え、ジャラっと腰にチェインメイルを巻く。


「俺は先にユリアンの援護に行ってる」

「ああヨハン、頼むよ」


「すごいね…アタシこんなたくさんの金初めて見た」

「ポケットに入れたの、ちゃんと返すでやんすよ」

「うっ」

「元盗賊の目はごまかせないでやんすよ。お頭に鉄骨ゲンコツされる前に、さ」


 渋々とアンナはセバスチャンの手に硬貨を戻した。手癖の悪い娘だ。

「この金はダルゲンとブレア国のために、ちゃんと使い道があるんだ。しっかり守りな」

「へいお頭」

「賊じゃないんだからその返事はやめな」


 傭兵姿に戻ったヴェンツェルが向かうのは、いつの間にかその数は膨れ上がり、暴徒と化した市民の長い列だった。

 ヨハンとユリアンがいるのだから、戦いは任せておけばよいだろう。積極的に暴動には参加せず目当ての男を探して進んでいく。


 先ほどの頭取は、油脂工業の組合長で、名をイザークという。長年ダルゲンの組合頭取は鉄工や毛織物組合の長が務めていたが、近年勢力を誇るのが油脂工業であった。


 生活レベルが向上した貴族階級が灯火用の油を買い求めるようになったことや、軍事利用でイザークが大規模な工場開設に成功したことでダルゲンの一大産業になりつつある。


 前方ではついにヘルジェンが駐留する城塞へ突入したらしく、住民の勢いは止まらない。目に留まるヘルジェン兵を、蟻のように寄ってたかって袋叩きにしていく集団。その行為はどんどんエスカレートしていく。


 これが戦争、これが人だ。

 高波のように押し寄せる興奮を抑えながら、ヴェンツェルはようやく目当ての男の姿を捉えた。

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