3 崖際の王太子

「次代の王となる方が、裏切り者の臣下一人、処刑できないと仰るのですか?」

「伯よ、大きな背反とはなんだ? 一体誰が…」


 懸命に繕った王太子の顔の下からは動揺が透けている。恐らくこの場にいる全員、フェルディナント本人を含め、同じ人物を思い浮かべているだろう。

 これこそが、クリスティーナが口にしたブレア国王家が抱える問題なのだ。


 第一王太子フェルディナントは、父王以上に温和な性格で戦嫌いと言われている。だが玖留栖クルス帝国とヘルジェン王国の戦いが激化する今、民衆が求めるのは戦上手で強い王だ。


 宗主である帝国が指名した次代の王はフェルディナントだが、こと戦に関しては父や兄を凌ぐ、果断なマンフリート第二王太子を望む声が強まりつつあるのだ。


 背後の帝国からは威圧され、隣国ヘルジェン王国には王都目前まで攻め込まれ、そしていつ内紛になるかもしれぬ王家と諸侯———。

 この国はもう、崖際なのだ。


 しかし、フェルディナントへ向けられたバッシ伯の目は、まるで息子を見つめるようだった。そしてゆっくりと瞬きをしてから告げる。

「殿下、国王陛下は御病床に伏されています」

「なんだと!? 聞いていない!」


「ごくごく一部の者しか知りません。しかし事実であります。どれほど大きな意味を持つか、わかりましょう」

 今度こそ王太子は蒼白だった。

 そしてバッシ伯は手にしていた剣を地面に刺すと、フェルディナントの前に跪いた。


「私は内紛をあおるヘルジェン王にそそのかされ、ダルゲンを売り、祖国を裏切りました。そして我が国は決して一枚岩ではなく、国王が崩御されれば後継者争いで国が二分されるかもしれぬ情況です。殿下、次代の王としてこれをどう切り抜けられますか」


 バッシ伯の声はゆるぎない。


「今日失った一万の兵の命と、ダルゲン陥落により王都喉元へ突きつけられた剣。それが私から殿下へのはなむけでございます」

 そして全員が声を失った。


「…伯よ、私にどうせよというのだ」

「処刑なさることです。一瞬の気の緩みで、私はヘルジェン王に取り込まれました。後悔してもしきれない…。ですから、これを利用して殿下に命を捧げようと決めたのです」


「伯が裏切らずとも、この戦は負けていたであろう」

「いいえ…足掻くのです、殿下。何があろうと舞台から降りてはなりませぬ」


 フェルディナントは白い唇をかむ。

 そして、意を決してバッシの兵に呼びかけた。


「皆、伯の意思を聞いたな。私に恭順する者は罪を許そう。伯を捕らえよ」

 声なきまま、全員がそれに従った。


 傭兵二人だけが残される。


「『鋼鉄のヴェンツェル』というのだな。なぜ私の命を救うと?」

「クリスティーナ妃に雇われました」

「彼女は無事なのだな…?」


 ほんのわずかに表情がやわらぐ。フェルディナントは冬の早朝のような水色の髪に、同色の瞳が柔和な男だった。


「ええ。追われてる時に落馬しましたが、無事です。私の仲間が連れて、もうすぐ着くと思います」

「そうか、妃の命を救ってくれたのだな。心から感謝する」

 と、王太子が握手を求めて来たのでヴェンツェルは少し戸惑ったが、近づいて応じた。


「そなた…女性か」

「どうも、一発で気付いてもらえて光栄です」

「そなたの不思議な体は刃を通さない。一体どうなっているのだ?」

「人体改造を受けてます。ええ、あんたらが異端として追放した、バルタザール教授からだ。私は大学の教え子でした」


 バルタザール教授は人の手で不老不死を得ようと、人体改造や人体蘇生を研究していた。そして生徒を実験台にしたため異端者の烙印を押され、国外追放となったのだ。ヴェンツェルもその生徒の一人であり、他の生徒同様、自ら望んで実験台となった。


 人体の限界に挑むというのがバルタザール教授の研究で、教授は決して異界テングスや神を否定しようとしていたわけではない。そんなのは異端裁判官のこじつけである。


「人体の根幹である骨を強化すれば、それに付随する筋肉や脳までもを強化できる、脳が強くなれば臓器も強くなる。それが不老不死への一歩になると教授は考えていた。私が受けたのは、骨の数を増やして骨を強化する改造です」

 そう言って、すんなりと引き締まった腕を突き出した。


「ここにはバッキバキに骨が詰まってます。触ってみてください」

「…本当だ、鉄のようだ」

「私は全身こうで。お腹周りだけは背骨しかないんで、防具してるけど」


 それでこんなにも軽装備なのだ。納得したような、半分現実と思えないような気分でフェルディナントは頷く。


「その髪色を見るに、そなたはブレア国出身ではないだろう? しかも留学していたのだから、貴族かそれに準ずる家系の生まれであろう。なぜ傭兵となった?」

「教授が国外追放になって大学を中退させられて、実家は勘当になりました。幸い体が丈夫になったんで、この職にありつけたんです」


「…そなたら傭兵に頼らなければ、我が国はもはや戦えぬのだ。戦など誰も望んでいないというのに」

「ええ、給金だって払ってもらえないでしょうね?」


 トゲのある舌で舐められたような顔をしている王太子にヴェンツェルは続ける。

 相手は王太子だ。なんで家臣でもない私がこんなこと言わなきゃならないかな。


「殿下、伯は忠義を尽くして殿下を追い詰めた」

 バッシ伯ほどの人物が、この頼りない王太子に全てを賭けたのだ。フェルディナントがそこまでの器なのか、ヴェンツェルには分からない。


「殿下の父君は帝国の暴力に屈するのも、ヘルジェンの軍勢に国土を蹂躙じゅうりんされるのも良しとせず、帝国の属国として支援を受けながらヘルジェンと戦う道を選んだ。その決断を正しいものにするかどうかは、殿下次第なんじゃありませんか」


 ヴェンツェルはサッと髪をかきあげる。

「少なくとも、私たち傭兵は戦の意味なんざ考えちゃいません。これだけは確かだ。それに私は、大学にいた頃より今の人生の方が気に入ってるんです」


 そんなヴェンツェルへ向けられたフェルディナントの視線は、不思議なものを眺めるようだった。


「伯は、ダルゲンをヘルジェンに渡した見返りに、私に舞台を用意した。自分と1万の兵の命を踏み台に、最後まで足掻けと」

「ここまでされて、引き下がるわけにはいかないんじゃないですか」


 そう言われて、自然とフェルディナントの拳に力がこもる。

「ああ、やってやろうではないか」

 

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