4 異界の話

 クリスティーナとフェルディナントを無事再会させ、帰途についた四人。傭兵団の現在の根城は、ダルゲン近郊の『しずく亭』というオンボロ格安宿だ。

「これを団長クロムの部屋に持っていくでやんす」


 セバスチャンお手製の、ジャンベルという蒸留酒を湯と果汁で割った飲み物を二つ持って、ユリアンはヴェンツェルの部屋のドアを叩いた。

「失礼しまーぅういえええぇぇっ!??」


 上半身裸のヴェンツェルがうつ伏せに椅子の背にもたれ、その上にヨハンが密着していた。どうぞと言われたから入ったのだ。決してユリアンのせいではない。


「すっすっすっすみませんでしたーー!」

「…なに勘違いしてんだ」

 冷めた視線のヴェンツェルと動揺しまくりのユリアンに、クスッと笑うヨハン。


 密着していたのは団長クロムの背中の傷を手当てしていたからだと、治療器具を片付けて桶で手を洗うヨハンの姿に、やっとユリアンは状況を理解する。ランタンの灯りに照らされた部屋は明るくないが、ぼうっと浮かび上がるヴェンツェルの肌とシルエットは、確かに女だった。


『孤狼のヨハン』は傭兵なら誰でも知る大物で、そんな男がなぜ傭兵団長クロムとして無名のヴェンツェルに雇われているのか、その経緯はセバスチャンも知らないらしい。契約金だって安いはずがなく、ドケチな団長が一体どんな契約を結んだというのか謎だ。


「それで? 続きを話せヨハン」

 服を着ながらヴェンツェルは促す。二人が遭遇したという黒ずくめの男のことだった。どうやら異界テングスの能力者らしい。


 ごくたまにヨハンが語ってくれる不思議な世界の話しが、ユリアンは好きだった。聞いてもいいと言われたので、テーブルに盆を置いてちょこんと床に座り込む。ヨハンは湯気の立つカップを手に一口すすると、椅子の上で足を組んだ。


異界テングスとはこの世と表裏みたいなところで、あの世とか精霊の世界とかと同義だ。時間の概念がなくて、俺にとっては色彩豊かで静かな世界だ」

 なぜこんなことが言えるかというと、ヨハン自身も異界より授けられし能力の持ち主だからである。


「俺の目は異界テングスに通じていて、物体の記憶を見ることができる。そして耳は、人の心を聞くことができる。だから今、ユリアンが何を考えているのか分かる」


 と、ニヤッと笑ってみせる。ユリアンの脳裏から離れないのは、さっき見た裸の背中である。

「——っっ!! ヨハンさんそれはぁ~!」


 ヨハンには相手が次にどう動くかが手に取るように分かる。つまり、ヴェンツェルが人智の極限で鍛えられた存在なら、ヨハンは異界テングスの神より授けられし力で戦う人間だ。


「俺にはこの世と異界がダブって見える程度だが、あの黒いのは異界とこの世を行き来することができる。だから姿を消すこともできるし、空間からいきなり現れたように見えたんだ」


「すると私は、異界に引き込まれそうになったってことか」

 ヨハンは頷く。腕や足の先が見えなくなったのはそういうことだ。時間の概念がない世界に引きずり込まれるのは、ぞっとする。


「本営に死体がなかったのも、恐らく全員異界に捕らえられたんだろう」

「あいつはバッシ伯の配下じゃないとすると、やっぱりヘルジェン王国の者か?」

「そう考えるのが妥当だろうな。たぶんクリスティーナ妃を追っていたのも」

 ヴェンツェルは眉間にしわを寄せる。


「バッシ伯はブレア国を裏切ったように見せ、この国が抱える問題を炙り出した。ヘルジェンはそれに協力しながら、しかし目的は王太子の命じゃないってことだ。その証拠に、あの黒ずくめは王太子に手を出そうとしなかった。じゃあヘルジェンの目的は一体なんだ?」


「それはわからない。黒ずくめも、バッシ伯からもから、本当に知らないんだろう」

団長クロムはヘルジェン王が大っ嫌いっスよね~」

「……」


 別れ際、フェルディナントに聞かれたのだ。

「そなたはなぜ祖国でもない国の戦に身を投じているのだ?」


 傭兵とは、国籍も出自もバラバラな有象無象の集団だ。貴族兵団のような忠義は無く、王国軍のような資金も武装もない。あるのは己の体のみ。

 そんなことを聞かれたのは初めてだったから、ヴェンツェルは少し考えた。


「殿下は、戦場でヘルジェン国王アドルフを見たことがありますか?」

「いいや」

「私はあります」


 大学を退学させられ、さてどうしようと飲んだくれていた時、近く戦があるから一緒にどうだと傭兵団に声を掛けられた。ゴロツキ相手に負け無しで金を巻き揚げていたのを聞きつけたのだろう。


 全身バキバキになったしやってみるかと、軽い気持ちだった。その戦場に敵将としてアドルフは姿を現したのだ。

 強風吹き荒れる平原。その小高い崖のような丘の上で、炎を思わせる紅の髪に、海神を宿す海の色の瞳で戦場を睥睨へいげいする存在は、まさに鬼神だった。


「その姿は今でも忘れない」

 上から下まで槍で串刺しにされたようにヴェンツェルは動けなくなった。こんな人間がいるのかと震えた。


「超絶イケメンで、聞けばあらゆる語学に通じてて、女にモテて、剣技槍術弓術どれもマスタークラスで、王族で金持ちだと? たぶん人類の最高傑作でしょ。だから対抗してみたいんです」


 言葉が途切れたことで、これが質問の答えだとフェルディナントはやっと気付いたようだ。

「そ、そうか…アドルフは強敵だ」


「お言葉ですが殿下、あなたは今のままじゃ、一生奴には勝てない」

 ヴェンツェルに言われると、王太子の薄水色の瞳がさっと曇った。

 同じ年代の同じ王族で隣国とはこの差だ。ブレア国が存亡の危機まで追い込まれるのは必然かもしれない。


「あぁそうだよ、アドルフは気に入らないね。戦場の鬼———いや、あれは戦場を統べる神だった」


 ヘルジェン国王アドルフ。思い出すたびに苦々しく、ヴェンツェルはカップの中身をグイッとあおった。

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