2 ポニーテール

 二月。三年生は休みに入り、気がつけば卒業式を迎えた。まだまだ凍えるような寒さが街には残り、由香は制服の上に着込んだコートをギュッと押さえた。通学路を行く多くの生徒たちは、久々の友人との再会を喜び、これから訪れる別れを惜しんでいた。


「由香ちゃんおはよう」


 西宮北口駅から出たところで、汐織に声を掛けられた。彼女のスカートからは、真っ白な素足が伸びている。寒くはないのだろうか。痛々しくさらされている汐織の足とは対象的に、由香の足はしっかりとタイツに守られていた。


「汐織、昨日、合格発表だったよね? どうだった?」


「バッチリ! 合格やで」


 ニタっと笑みを浮かべ、片手でピースを作る。小さな歯が、艷やかな唇の隙間から覗いた。子どもっぽい彼女のその態度に、由香は思わず笑ってしまう。


「もう、なんで笑うん?」


「ごめん、ごめん。ついつい、」


 今度は、ぷいっとわざとらしく頬を膨れさせる。冷たい風が、その頬をわずかに赤らめた。


「そういえば、由香ちゃんは、奈緒美ちゃんと同じ大学やんな?」


「そうだよ。学部は、違うけどね」


 本当は、奈緒美と同じ学部が第一希望だった。けれど、由香は志望の学部に落ちてしまった。それでも違う学部に受かったことは、これまでの受験勉強への見返りとしては十分だ、と由香は思っている。


「春から大学生かぁ」


 吐き出した白い息に、不安と希望が入り交じる。漠然とした未来のイメージが由香の中を巡った。「自分は、上手くやれるだろうか」、薄曇りの空を見上げながら胸の中で呟いてみる。


「もう、今から心配してどうすんの?」


「そうだけど、やっぱり不安じゃない?」


「私はめっちゃ楽しみ!」


「汐織だけだよそんなに楽観的なのは……」


 冷たく枯れた空気が街を揺らした。めくり上がりそうになるスカートを由香は抑え込む。 


「おっはよう」


 隣を歩いていた汐織の小さな体がいきなり前に跳ねた。ひゃっ、と汐織から甲高い声が漏れる。よろける彼女の背中には、ショートヘアーの女子高生が寄りかかっていた。


「え? 奈緒美? どうしたの!? その髪」


 あまりに短くなった髪を見て、由香は思わず声を上げる。


「昨日、切ってん」


「なんで?」


「なんでって、切りたかったからやけど? あかん?」


 私の勝手でしょ? と言いたげに、奈緒美は随分ぶっきら棒にそう言い放った。ポニーテールの面影など微塵も感じないほど、その髪は短い。耳がわずかに隠れる程度にまで切られた髪は、スポーティーなイメージの彼女に随分と似合っていた。


「奈緒美ちゃん、めっちゃかわいいで」


「そう? ありがとう」


 奈緒美は、指先で髪をいじりながら少し照れた。腕の中にいる汐織が、くすぐったそうにしながらも、奈緒美の方へと擦り寄る。子犬のあやすように、彼女はその頭をなでてみせた。


「そういえば、汐織は結果どうやったん?」


「バッチリ」


 先ほどと、同じような表情を汐織は浮かべる。奈緒美の胸に気持ちよさそうに顔をうずめながらとろけた顔で甘えていた。


「ほんなら、これで三人とも志望校に無事合格やな」


「私は、希望の学部落ちてるけどね」


 奈緒美の言葉に、由香は不服そうに意義をたてた。そんな由香を汐織が鼓舞する。


「由香ちゃん! 大切なのは、結果より過程やで! 受験勉強、頑張って来たんやから!」


 受験勉強を頑張ったというより、それしか出来なかったというのが正しいのかも知れない。颯がヨーロッパへ行くと聞いたあのクリスマスイブの夜から、出来るだけ彼のことを忘れるように努めた。


 きっと彼は、日本に戻ってくることはない。向こうでプロになり、そのまま活躍を続けることだろう。ピアノから離れてしばらくした自分でも、それくらいのことは分かる。彼には、揺るぎない実力があり、それが求められているのだ。


「そうや。今日帰り、なんか甘い物でも食べに行かへん?」


「奈緒美ちゃんナイスアイデア! 私、かき氷食べたい」


「この時期にかき氷はどうなのかな」


 寒さに震えるポーズを取りながら、由香はガラスの皿に盛られた氷の山を思い浮かべる。そんな由香などお構いなしに、汐織は無邪気に鼻歌を口ずさんだ。



 遠くに見えた体育館の窓から、紅白毛様の幕が覗いていた。乾いた空気が、街中を空虚感で満たす。なんとも言えない胸の空白の名前を、由香は知らなかった。


 その寂しさを、友人で埋めるというのは罪なのだろうか。冷たい風に揺れる枯れ木を見ながら、奈緒美があの時どうして自分たちから距離を置いたのか、由香はなんとなく分かった気がした。 

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