13 受信拒否
閉会式は、大いに盛り上がった。一番の売上を上げたクラスや、ダンスバトルや演劇の順位発表が行われ、お祭りムードに包まれる。いつもは、お硬い話をする校長先生も、今日ばかりは雰囲気に合わせたのか明るく生徒を盛り上げた。
問題は、その後の美久の涙まじりの熱弁だった。余程感動したのか、生徒たちが親ばかも程があると呆れるほど、彼女は合唱の出来の良さについて延々と語り続けた。
生徒の一人が、呼び出しがかかっているよ、と嘘をつくまで彼女の熱は収まらなかった。
―――――――――
美久が教室をあとにしたすきに多くの生徒は教室を抜け出した。由香も同じようにこっそりと教室を抜ける。あちこちで、多くの生徒が後片付けに追われていた。テントをたたんだり、大道具を運んだり、文化祭が閉会しても活気はまだまだ失われていなかった。
合唱という催し物のおかげで片付けなどない由香は、邪魔にならないように中庭へとやってきた。同じような考えなのか、周りにはわずかに残ったお客さんと暇をしている生徒が集まり談笑をしていた。
夕方になり、少しひんやりしたからか、薄手のアウターを羽織った人がよく目立った。薄いカーディガンだけでは少し寒く、由香は自分の体を抱きかかえるように少しだけ見を震わせた。
「由香ちゃん」
いきなり名前を呼ばれ、由香は声のする方に視線を向ける。小池を挟んだ廊下の向こうから、紺色のブレザーに身を包んだ颯がこぢんまりと手を振っているのが見えた。どこかの出店で買ったのか、ベビーカステラの袋を手に持っている。池を回り込むようにして小走りで駆け寄った。
「来てくれたんですね」
「約束したからね。伴奏すごく良かったよ。みんなの合唱もとっても楽しそうで、きっとお客さんたちにもクラスが一つになったところが伝わったと思うよ」
そう言いながら颯は、由香にベビーカステラを一つ手渡した。しっとりとして、まだほんの少しだけ温かい。頬張ると、ほんのりメイプルシロップの香りが口に広がった。
「ありがとうございます。これもすべて颯くんのご指導のお陰です」
「そんなことないよ。由香ちゃんは、もとからすごく上手だしね。僕、教えるのはそんなに上手くないよ」
「そんなことないですよ」
穏やかな雰囲気で笑い合う。わずかな間も心地よく思えるくらい、暖かな陽だまりに包まれて心の温もりが膨れ上がっていく。由香は、その温もりを抱きしめるように、背中に回した自分の手を握った。細く柔い自分の肌に、ほんのりと火照った熱を感じる。
そんな由香の様子を見ながら、颯は笑みを浮かべ紙袋の中に手を入れた。ガサガサと音を立て、一粒のカステラを手に取り頬張る。ホクホクと颯の口の中でカステラが崩れた。
紺色のブレザーが夕陽に塗れる。鮮やかな橙色が、ウールの生地の深いところにまで染み入っているようだった。細く長く伸びた二人の影が、遠くの方で重なる。校舎で縁取られたフレームに、二人の影は寄り添うように綺麗に収まっていた。
「教えてくれたのが、本当に颯くんで良かったです」
「ありがとう。でもやっぱり、演奏の成功は、由香ちゃんの努力と実力だよ」
褒められると随分、胸のあたりがむず痒くなった。嬉しさが体の中を駆け巡る。そんな心境が態度に漏れそうで、由香は誤魔化すように「ありがとうございます」と頭を下げた。
「そういえば」
颯が、少しわざとらしく話題を変えようとした。彼の細い腕が、ブレザーのポケットへと伸ばされる。その手が何かを取り出そうとしたその時、由香は背後から声をかけられた。
「なんや由香ちゃん、ここにおったんや」
その声を聞いた瞬間、「しまった」と由香は心の中で声が漏れた。こんな目立つ場所で彼と話し込むべきでなかった。由香は表情を強張らせ、おもむろに振り返った。
どこで貰ったのか、彼女は自分の背丈ほどはある大きなクマのぬいぐるみを大事そうに抱えこんでいた。クマの首が力なくふさぎ込んでいる。そのクマの首元あたりから小さな可愛らしい顔が覗いていた。
「汐織、どうしたの?」
少し、動揺している由香を不思議そうに汐織は見つめる。ただ、すぐに思い出したようにクマのぬいぐるみを由香に突き出してみせた。
「さっき、射的屋をしてたクラスの子たちがくれてん。誰も倒されへんかったらしい」
確かに、その大きなぬいぐるみをオモチャの銃で倒すのは無理だろうな、と由香は思った。それに射的屋の子たちが、このぬいぐるみを汐織に与えてしまう気持ちも少し分かる。
「良かったね」
あはは、とそっけなく手を振る。早くこの場から離れてね。無言のメッセージだ。
「うん、めっちゃうれしい。今日からこの子と一緒に寝るわ」
そんな大きい子をベッドに乗せて狭くない? と由香は思ったが、当の彼女が小さいので多少は問題ないのかも知れない。
「そんで、由香ちゃんはここでなにしてんの?」
メッセージは、送信エラーと出ている。受信拒否かもしれないが。ぬいぐるみを抱いた彼女の微笑む目が、いやに恐ろしく感じた。
「いやー、べつにー、なんでもないよ」
あからさまに由香の目が泳ぐ。その泳いだ目を、汐織が不可解そうに追いかけた。
「ど、どうしたの?」
由香は、言葉をつまらせた。眉を潜めた汐織の顔がじわじわと近づいてくる。由香は、息を飲み込む。ゴクリ、と大きな音を立てた喉が「なにかを隠しています」と汐織に告げる。
「なんかありそう」
「どうして送信を押していないメッセージに気づくんだ!」と叫びたくなった。
どうしようもなくて視線を上に逃した。秋の様相を一層深くした夕暮れが空を赤く染めている。大きな雲から千切れたうろこ雲が、その朱色に当てられて漆黒の陰を成していた。その時、後ろから声がかかった。
「お友だちかな? 邪魔しちゃ悪いから、僕はそろそろ帰ろうかな」
こういう時の汐織の思考は本当に早い。申し訳無さそうに由香の後ろから声を掛けた颯を見た瞬間、「きゃっ」と彼女が声を出した。
「もしかして、この人が由香ちゃんにピアノ教えてくれてた人?」
キラキラした目が、颯を捉えた。見つかってしまったと、由香は頭を抱える。
「そうだよ……」
「この度は、うちの立花がお世話になりました」
汐織が深く頭を下げる。クマのぬいぐるみも腰をおるようにさらに倒れ込んだ。誰の立場だよ、と内心でツッコミをいれて、由香は必死に愛想笑いを浮かべる。
「いえいえ、こちらこそ」
颯は、汐織につられて微笑んだ。2つの生暖かい目が由香に向く。挟まれた由香は、気まずさに、ゴホゴホと思わず咳き込んだ。
「合唱とても良かったよ」
「ほんまにありがとう!」
嬉しさに、ぴょんぴょんと汐織が跳ねた。クマの頭が反動で、がるんがるんと振り乱される。
「それじゃ、また後でね。汐織」
余計なことを言われないうちに、汐織をこの場から離したかった。汐織の背中を校舎の方へと押し出す。
「なんで背中押すん?」
「余計なことすぐ言っちゃうじゃん」
「ひどい」
汐織は怒ったようで、クルッと踵を返すと由香の方を見て頬を膨らませた。
「うち余計なことなんて言わへんよ!」
「ごめん、ごめん。でも、ほら今はそっとしといてよ」
「分かったって、教室で待ってるから。それと最後に、今後もうちの由香ちゃんをよろしくお願いします」
「何をお願いしてるの?」
由香の問いに、顔を赤らめながら汐織は自らの頬を抑える。
「将来的な」
「だから、余計なこと言わないでって」
由香の反応を見て、ひゃは、と汐織はイタズラに声をだす。確信犯だ、と由香はさっきよりも強く背中を押した。
自分と同じ程のぬいぐるみを抱えているにもかかわらず、跳ねるような身軽い動きでスキップをしながら、汐織は校舎の方へと戻って行った。
「元気な子だね」
颯は、幼子を見るような目で汐織の方を見た。由香は慌てて赤らんでいる自分の頬を撫でた。秋の風がイタズラに落ちた塵たちを巻き上げる。キャーと、辺りから声が飛んだ。由香も思わずスカートと髪を抑えなら目を閉じた。
「それじゃ、僕はそろそろ帰ろうかな。暗くなって来そうだし」
冷たい秋風に当てられてか、熱かった頬の温度が下がる。
「そうですか。でもさっき、汐織が来る前になにか言おうとしてませんでした?」
汐織の登場に阻まれた彼の言葉を由香は思い出す。それで彼を引き止めることはできないだろうか、という思惑が由香の中に浮かんだのだ。
「いや、またの機会にするよ。由香ちゃんも、少し寒くなってきただろうし。また、演奏聞かせてほしいな」
「いえ、私のなんかに時間を割いてもらうなんて」
由香の謙遜の言葉も彼の笑顔に振り払われた。由香は、何も言うことなく小さく頷いた。
「それじゃ、またね」
「はい。今日は、わざわざ聴きに来てくださってありがとうございます」
颯は、小さく手を振ると廊下の雑踏の中へと足を進めた。由香は、ただ彼の姿が見えなくなるまで見守り続けた。
夕日が沈みそうな西の空に、絵の具を零したような灰色の雲がかかっていた。明日は、雨かも知れない。そう思いながら、由香は少し身震いする体をさすり、汐織の待つ教室へと戻った。
――第三楽章へ続く
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