第090話 凶刃
何かギルドの依頼なのか? それにしては武器や装備を身に着けている感じはない。
むしろここは街の中……というか多分、セイナの家の庭だ。花壇や屋根の形に見覚えがある。
彼は忍び足でドキドキと胸を鳴らしながら壁に張り付いた。
ザーっという水音と鼻歌が聞こえる。
板の切れ目からは灯りが漏れ、ニールはそこを覗き込んだ。
湯煙の中には裸体の女性の後ろ姿が映し出され……最低だな、この野郎は。
「くふふ……」
師匠、変な声出てますよ。
そもそもニールはセイナの裸を見ているだろうに……一夜を共にした恋人であっても、覗きは別腹なのか?
記憶を垣間見てる僕も目を瞑る事が出来ない。
不可抗力だ。仕方ないのだ。この瞬間だけ目に焼き付けておこう。くふふ……
しっとりと濡れた髪、普段のセイナよりも色っぽく紅潮した肌をしている。
露わになるボディライン、引き締まった身体をしていた。太もも、背筋、特に肩あたりはまるで剣士ようだ……
冒険者だけあって、セイナの服の下も……本当にこんななの?
だんだんと疑わしくなったが、湯煙で顔は確認できない。
浴室から漏れ出てくる上機嫌な鼻歌。
……いや待てよ、これだけ聞けばさすがに分かる。
セイナとは声が明らかに違う。
ーーザッ、ザッ……
あ、おい、師匠?
後ろから足音が聞こえません? 僕は聞こえますよ?
しかし、ニールは覗きをやめない。もうすぐ絶妙なアングルで覗けるようだ。
「……何やってるんですか」
「おわぁッ!! セ、セイナァ!?」
振り返った視線の先にはセイナがいた。
どうやら覗きに夢中で彼女の接近に気付いていなかったようだ。
「何、やってるんですか?」
真顔……というかなんとも読めない表情のセイナは同じ問いを繰り返した。
ま、何やってるかは見ればわかるよね?
「あ、いや……何って……お前、それ!」
視線の先で何かが光っている。
鼓動が早まり、嫌な汗が背中を流れる。
セイナの手には短剣が握られていた。
問答を間違えればアレに刺されるのか?
「今日はうちにリリィが泊まりに来るって、知ってましたよね?」
「そ、そうだな」
リリィ……確か前に同じパーティにいたという女性の剣士だったはず。
先ほど覗き見た女性はそのリリィだったのか……通りで身体付きがしっかりしているわけだ。
「それで、何をしていたんですか?」
「あー……いやぁ……」
それを狙って覗きに来てたのか、最低だな師匠。
「信じてたのに……」
セイナの頬に一筋の涙が流れ、表情が崩れていく。
崩れるというよりも豹変している。
本当にこのニールという男は最低ですね。
代わりに僕が謝りますよ。
だからセイナさん、ナイフをしまってもらえませんか?
と、言いたいが今の僕は声を出せない。記憶の観測者だ。
「へぇ、ニールちゃん、私に興味あったんだ」
浴室の窓から濡れた髪のリリィが顔を出した。
彼女の性格なのか、裸体を隠すそびれは無い。
ただし、こちらの手にも刃物が握られている。背の丈ほどある大きな大剣だった。
……デジャブだ。
この後の展開なんて分かりきっている。
やられるなら短剣の方だろう。大剣の方だダメだ。助からないと思う。
さあ、師匠、早く謝れ。
謝罪は早いほうがいい。光の速度で土下座しろ。
「あー……俺だって男だし、たまには……」
この期に及んで言い訳を始めるクソ野郎。
「愛してるなんて嘘だったんですね……許せないッ!!」
間髪入れず、光の速度で凶刃が飛び込んできた。
ーーグサッ!
「ギャアアァァァァァ!!」
アアアアアァァァァァ!!!???
ニールの右腕にナイフが突き立てられ、激痛が走った。
その痛みを僕も体感している。
ーーグリッ……グリッ……
セイナは刺さったナイフを力任せに捻ってきた。
傷口広がり血がボタボタと地面に落ちる。
今の僕に目玉が有れば飛びてていたんじゃなかろうか、そんな痛みだ。
とても耐えられるようなものじゃ無い。
「セ、セイナ、愛してる。嘘じゃ無い!」
「うるさい!」
ニールは激痛で震えながらも刺されていない左腕をセイナの腰に回し、優しく抱き寄せた。
「ごめんごめん、こんなに怒るとは思わなかった。次からは気をつける」
「…………」
セイナは荒げた呼吸が段々と落ち着いてきた。
この激しい痛みの中、よくそんな立ち回りが出来るな。
流石師匠だ。尊敬する。
「はぁ……そんなに見せつけちゃって、妬けちゃうなぁ」
窓から身体を覗かせたリリィがため息をひとつ。
隠されてない大きな山は二つ。
悲しいかな、ニールの視線は大きな山に釘付けだった。
「…………ニィィィルッ!!」
「ちょ、まっアアァァアァ!!」
『ギヤアアアアアァァァ……』
セイナの叫びと共に短剣が更に深くねじ込まれ、ガリガリと骨に当たってる。
激痛の最高記録が更新された。
………………
「……アアァァァァ!!?」
「ねえ! しっかりして! ジン!」
「ごめんなさい!!! やめて!! 痛い!!!!」
「ど、どこが痛いの!?」
聞きなれた声が出る、これは自分の声だ。
聞こえるのはセイナの声ではない。
良く知る幼馴染の声。
ゆっくりと目蓋を開けた。その感覚が久しく感じる。
心配そうにこちらを見つけるカヨと目があった。
「……あ、あれ? カヨ?」
バッっと起き上がり、手甲を外して右腕を確かめる。
ニールの右腕ではなく、自分の右腕だ。先ほどまで感じていた痛みはない。
僕はあの悪夢のような経験から解放されたんだ。
セイナとケディも不安な表情で僕を見ていた。
「はぁ、はぁ……」
「大丈夫なの?」
「ああ、ちょっと……いやとても悪い夢を見ていた感じだ」
立ち上がって自信の具合を確かめるが何ともなっていない。
場所もニールと戦っていた遺跡の出口だ。
僕の隣にはニールが横になっていた。
……そうだ、僕はこのクソ野郎を助けるために頑張っていたんだ。
「ニールは……ヒラサカノチギリは成功したのか?」
「魂の分配は上手くいったから、そのうち目を覚ますと思うわ。ただ……その……」
「まだ何か足りないのか?」
カヨはそうではない、と歯切れ悪く言い澱んでいる。
少し暗い表情のセイナが僕の前に出てきた。
先ほどブッ刺された過去を見たためだろう。彼女から反射的に距離を取ってしまった。
いや、落ち着け。僕は何もしていない。僕は。
「ジン、大丈夫ですか?」
「あ、はい。ちょっと混乱していて」
落ち着いて聞いてください、と言いながら近づいてい来るセイナ。
僕はじりじりと後退していく。
ナイフはまだ握られていない、僕の加護の力なら彼女の突きを避けれる。
よし、大丈夫だ。落ち着いて話を聞こうか。
「……先ほどの魔法に巻き込まれて、あなたも魂を分配されてしまったようです」
「……うっそ?」
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