第087話 ヒラサカノチギリ
「これで、いいですか?」
セイナの確認にコクリと頷くカヨ。
意識のないニールにセイナが寄り添って横になっている。
今から使う『ヒラサカノチギリ』という魔法は魂を分配する二人の距離をゼロにしなければならない。
その二人を挟む形で僕とカヨは立っている。
「それじゃ始めるけど、ジンも準備はいい?」
「……ああ、大丈夫だ」
反射的に答えたが、全く大丈夫ではない。
突然ふられた大役に心臓がバクバクしてるし、手も震えてる。
「じゃあ、せーので詠唱するわ」
恩人の……ニールの命がかかってるんだ。腹をくくって、やるしか無い。
それに何となくだが、カヨと一緒にやるなら成功する。そんな予感がある。
「せーの!」
カヨの掛け声に合わせ、大きく息を吸う。
そして詠唱の冒頭を二人で紡ぐ。
『悔しきかも、先だち黄泉戸へ踏み入れる御霊よ!』
まずは先に死んでしまう命……ニールの魂への問いかけを行う。
たったこれだけの詠唱でカヨの魔力に引っ張られながら魔法を発動させてる為か、急激に体の力が抜けていく。
『その愛しき伴侶は永寿を拒む!』
次にその伴侶……セイナの寿命を不要だと否定する詠唱。
この詠唱でセイナが優しく光っているように見えた。
いや、凝視するとニールもほんの僅かに光っている。その光は今にも消えそうだと直感でわかる。
……これがカヨの言う魂なのだろうか?
『愛が故に、共に歩む宿命を欲する!』
そしてセイナが否定した寿命を、ニールへ受け渡す事を願う。
たった数秒の詠唱だが、僕の魔気は空っぽだった。
それでも魔法が失敗していないのは、強烈な魔力が僕を包んでいるからだ。
カヨがフォローしているんだと思う。
彼女は立て続けに古級魔法を唱えて、大量の魔気を使っている。
額には滝のような汗が浮かび上がり、僕同様に息も絶え絶えだった。
僕が先に倒れるわけにはいかない。
心を奮い立たせ踏ん張り、最後の言葉を振り絞る。
『我ら、今に黄泉神をも偽る! ヨモツヒラサカノチギリ!』
生死を司る神を騙すとは、運命を捻じ曲げる事。
共に歩む契りを交わす。
死すらも二人を分かつことはできない。祝福であり、ある意味、呪詛でもある。
徐々にだが、セイナの光がニールに移って行っている。
魔法は……成功したのか?
『セイナ!』
突然、子供の声が頭の中で響き、目の前が白くなっていった。
…………
『……あれ?』
……あれ?
声が出ない。というか、自分の体……感覚が無い。
宙にぽっかりと浮かんでいる感じだ。
でも、目は見える。
すぐそこに茶色い髪の男の子がいた。
歳は……10か、そこらだろう。
「セイナ、早く行こうよ!」
「もう! 待ってくださいよー」
セイナと呼ばれた時、少し胸がドキっとする。
そして女の子の声で返事を返していた。
視界の端に赤い髪が揺れている。急かされてるけど、とても楽しい気持ちが伝わってくる。
この男の子は…………少年時代のニールではないだろうか?
幼いが声も特徴も似ている。
僕はセイナの視点で少年のニールを観ている……?
徐々に周囲の情景が浮かび上がってくる。
出店が並び、なにやら賑やかな雰囲気だった。
小銭を握りしめて、二人で楽しくそれらを回っていた。
これは……お祭り?
その時の記憶か?
コロコロと変わるセイナの感情も伝わってくる。
「じゃあ明日もこの場所で」
「隣町への馬車は正午だから、遅れないようにして下さいね」
「セイナのおばさんのお弁当、美味しいんだよね」
「そのお弁当作るの、私も手伝ってるんですよ」
明日は隣町へお弁当を持って出かけるのか。
彼女は今日という楽しい日を名残惜しみながらも、明日という楽しい日を待ち遠しく感じていた。
……………………
突然、場面が切り替わり、今度は倒れた馬車の中にいた。
「お父さん!! お母さん!!」
涙で滲んだ視界には、男女が重なり合って血を流し倒れているのが映る。
手足は震え、恐怖に支配されていた。
血の付着した短剣を持った男達が周りを物色している。
『な、何だ!?』
僕は反射的に腰の刀に手を伸ばす……が、手の感覚がなかった。
自分の意志で視界を動かすこともできない。
そして僕が抱く焦りの感情よりも、今は強烈な負の感情がセイナから伝わってくる。
……はやりこれはセイナの記憶?
さっき使った魔法の効果で、彼女の記憶、過去の体験を垣間見ているのか?
「ガキどもも売れば金になる。これ以上傷付けるなよ!」
「分かってるって」
そんな会話が飛び交い、ロープと麻袋を持った男が近づいてくる。
何処かへの移動中にこの盗賊たちに襲われたのか。
「……ぁ……や……」
声が出ない。
出たとしても、助けはない。
視界が闇に包まれた。
……………………
また場面が変わり、目眩がしそうなほどの空腹感と絶望、悲しみに包まれていた。
後ろ手で縛られ、暗い倉庫の柱に括られていた。
少女は身動き一つ取れないし、取る気もなかった。
両親を失った事、これからの自分の不安。
それらが思考をぐちゃぐちゃにかき乱している。
フッっと手を縛っていたロープの感覚が無くなる。
ドサッっと足元に切れた縄が落ちる。
手が自由になり、肩が楽になった。
「……セイナ! セイナ! 無事か!?」
「ニー……ル?」
汚れて傷だらけのニールが、少女の肩を揺すっている。
「どう、して……?」
「ああ、見張りが寝た隙に抜け出したんだ! 早く逃げよう!」
「…………でももう、お父さんもお母さんも……」
セイナの足は悲しみで立ち上がることが出来なかった。
ただただ、涙が溢れている。
たとえ過ぎ去った過去の話であっても、観ることが辛い……
できることならば、目を閉じて耳を塞ぎたい。
「セイナまで捕まったら、おじさんとおばさんはもっと悲しむだろ!」
「……もう……どうでもいい……」
彼女は全てを諦めていた。
「これからもっと酷い目にあうんだぞ!」
「ほっといて……下さい……」
ニールの説得も心に響いていない。
彼は立たせるため、強引に手を引っ張ってきた。
ヌルりとした変な感触。
手には血がベットリと付いていた。
彼の全身に付いた泥か何かの汚れだと思ったもの、それは全て血の汚れだった。
「ニール、この血は!?」
「……」
今度はニールが黙った。
視界を動かすと、倉庫の出口にいた男に長剣が突き刺さっている。
……寝込みを襲えば子供でも大人を殺す事はできる。
ニールは生きるために、それをやったのだ。
「頼む、セイナ……一緒に生き延びよう!」
「…………」
絶望の淵にあったセイナの心が、少し動いたのがわかった。
自分と変わらない歳のニールが生き延びる為に必死になっている。
一緒に逃げようと言ってくれている。
少女は足に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
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