第041話 触手

 大広間での休憩を終えて、下層へ続く階段を降りる。


 真っ直ぐに続く長い階段で、上層ー中層間より長い。ゆるい勾配だが20mは下に降りただろう。

 降りるに連れて、壁に光っている部分が見受けられる。

 疑問に思い、後ろにいるニールに尋ねた。


「この光る壁は?」

「魔道具のランタンに使われてる鉱石で、迷宮内の魔気が濃いと光る。この辺の特産品だったらしいぞ」

「へぇ……ランタンに入ってる石が光ってるんですか」


 光る壁を手で擦ると、指先に淡い光りが移る。

 小さな砂つぶでもしっかりとした光量がある。

 試しにランタンを消してみても、階段の下まで目視する事ができる。


「これなら下層はランタンが要らなそうですね」

「ああ、そうだな。魔石節約の為に消してもいいぞ」


 ニールは少し変な声色の返事をした。きっと触手を見落とす為の芝居を打ってくれているのだろう。

 ……間違いない、僕は師に恵まれている。



 …………



 長い階段を降りきり、いよいよ待ちに待った下層に到着した。

 上層、中層の整った壁や天井と違い、下層は洞窟のように凸凹していた。だが床だけは不自然に整った石畳が続く。

 岩肌の所々が強く発光しており、灯を持っていなくても足下が見えるし遠くまで見渡せる。

 半分洞窟のような雰囲気だった。



 警戒しながら一本道を歩いていると、巨大なイソギンチャクが天井にへばり付いていた。ヤミノテと呼ばれる魔物だ。

 樽の様な胴体からは、人の腕くらいの太さはある触手が7、8本出ている。ヌラヌラとした紫の触手は不気味に脈をうち、わきからも無数の小さな細い触手も見える。


 僕が待ち望んでいた“触手”そのものだった。


 ただ、実物を見ると……グロテスクで気持ち悪い。その一言に尽きる。

 もしこれに女の子が絡まれたら、キャー、いやーん、ムフフーな展開になるのだろうか。

 チラリと後ろを見る。


「うっ……かなり気色悪いわね……」

「はい。私も何度か下層に来ていますが、これを見る度に帰りたくなりますね」


 カヨもセイナも生理的な嫌悪感を剥き出しにした表情で酷評する。


 ですよねー……僕も似たような感想しか出てこない。


 取り敢えず見つけたのは処理しておこうか。


 胴体は殆ど動かないから、触手の範囲外から矢を射れば楽勝だ。手に届く範囲なら触手を切り落としながら剣で斬りつけてもいいらしい。

 ヤミノテは不意を突かれない限り、ただの気持ち悪い魔物でしかない。


 僕が矢筒から一本矢を引き抜いた時、後ろからカヨの声が聞こえた。


「火炎よ焼き払え!ファイアーボルト!」


 彼女はヤミノテに向かって火の下級魔法をぶっ放した。

 巨大な火球に直撃したイソギンチャクは、吹き飛びなら消し炭となった。


 標的を失った僕は無言でカヨの方を見る。


「ご、ごめん。余りにも気持ち悪かったから、つい……」


 彼女は謝りながら弁明した。


「いや、いいよ。 僕も気持ち悪いと思ってたから」


 フリッツから、今回は長丁場になるから極力魔法は節約してくれ、と軽く注意をされていた。


 普段は僕に無茶振りしてくるカヨだが、パーティーでいる時は指示に従うし、作戦を乱すようなことはしない。

 それが思わず魔法をぶっ放している。

 つまり、我慢ならないほど気持ち悪かったのだろう。


 もしも、そんな気持ち悪い魔物を“僕がワザと”見落とした事がバレたら……魔物よりも先に僕が処理されてしまう可能性が高い。相当に高い。


 ニールをチラリ見るとコクコクと頷いていた。

 僕と師匠の仲ならば言いたいことが何となくわかる。

 これは“気合いを入れてちゃんと見落とせ”っていう合図だろう。



 …………



 それから見つけるヤミノテは、いかにも「天井にぶら下がって獲物を待ってます!」というものばかりだった。

 これでは見落とそうにも見落とせないし、カヨとセイナ自身が相当警戒して目を光らせている。


 むう……どうしたものか……


 そう考えながら歩くと、またも天井にぶら下がっている個体がいた。

 すぐ近くの壁が強く光っているため、非常に目立つのだ。


「はぁ、もう少し工夫して生きて欲しい」


 そんな身勝手な独り言をして、3本矢を射っ

 た。ビクビクと触手がうねり、ドロッとした紫色の粘液を撒き散らす。

 自分がコレに絡まれると思うと、ゾッとする。


 やがてヤミノテは白いモヤとなって消えた。コロンっと紫色の小さな魔石が落ちてくる。

 この魔石の売値は安く、北壁の下層が不味いと言われる所以だ。


 僕は無造作に魔石を拾い、一つため息をついた。


「あ……」


 ニールの声が後ろで聞こえた。


「ん?」


 それを聞いて振り向いた時、触手がぬるりと僕の右手に絡みついてきた。


「うおぉ!?」


 気持ち悪!というか何処から!?


 そう思いながら、左手で刀を抜く。見上げると闇の中から触手が伸びていた。

 強く光る壁は、天井の凹凸に濃い影を作っている。その濃い影の窪みに、触手の主がいたのだ。


 なるほど、だからヤミノテなんだ……



 僕の関心をよそに、かなり力強く右腕が引っ張られる。そして二本三本と新たな触手が伸びてきた。

 とにかく触手を切り落とさなければ! 右手に絡みつく触手に刀を当てた時、フッと引っ張る力が抜けた。


 ーーべチャ!


 粘液をまきちらしながら、目の前にヤミノテの本体が天井が落ちてきた。樽のような胴体は衝撃で避け、割れ目から小さな触手が伸びている。

 恐らく、全ての触手が僕に向かってきている。

 おぞましい光景だった。


「ヒィィ!!」


 情けなくも、思わず悲鳴が漏れる。

 逃げよう踏ん張る僕の体に一本、また一本と触手が絡んでくる。脚に、腰に、首に。


 ここまで絡みつかれれば、もう引っ張り合いは勝てない。

 ジリジリと手繰り寄せられ、今度は細い触手が服の隙間に入り込んできている。


「オイィ! ちょっとぉ!?」


 全身が粟立つ。体をまさぐられているようで非常に気持ち悪い。


 な、なぜ僕がこんな目に……!

 いやそんな事よりも、この状況なんとかしないと!


 意を決して両手で刀を持つ。触手を切る事を諦め、ヤミノテの胴体に思い切り刀を突き刺し、横に切り裂いた。

 切っ先には紫色の薄い刃が出来ていた。

 コイツの体液でも首切丸の回路は働くのか。


 絡みついてきたヤミノテは倒すことができた。

 だが、切り裂いた胴体からは紫色の体液が飛び散り、僕は全身が浴びてしまった。

 その体液は糸を引くほどの粘度がある。


 どう理屈かは知らないが、魔物が消える際に飛び散った血や肉片は一緒に消えず、なぜかそのまま残る。

 ちなみに魔物の素材が欲しい場合は、消える前に皮や牙なんかを切断すれば良い。


 まあ、つまりヤミノテが消えても服は粘液まみれで乱され、ヌルヌルのグチョグチョなのだ。ちなみに臭いは……妙に甘ったるい。

 それが返って気持ち悪さに拍車をかける。


 僕は……汚されてしまった。


「ブハハハハッ!!」


 悲惨な状況を見て、ニールは指をさして笑っていた。


「あーははは! ランタン消すからっ! ブハー! そりゃ暗い所が見えねぇだろ!?」

「ニール! テメェ!」


 コイツわざと言わなかったな!


 怒りのあまり、僕はニールに抱きついた。


「うお!? おまっ!」


 そして手についた粘液をべチャリと彼のにやけたツラに擦りつける。


「な!? ウエェ!きったねぇ! 」

「いっつもいっつもニヤニヤしながらハメやがって! 今日という今日は許さん!」


 僕の方がニールよりも力が強い。必死に離れようとする彼を担ぎ上げる。

 そしてヤミノテが落ちてきた場所、つまり一番粘液が残ってる場所に投げ捨てた。


 ベチャ!


 僕も足を滑らせ、ニールの上に倒れた。


 グチャ!


 男二人が糸引く粘液の中で揉み合っている。


「ジン! お前いい加減にしろ!」

「もう遅い! 全身ベチョベチョにしてやる!」

「やめっ!服の中に手を入れんな!」

「僕はもう汚されてしまったんだ! お前も汚されろ!」


 男同士の✖︎✖︎✖︎が始まってしまった。


「キッツイわね……」

「ええ……」

「何をやってるんだ……」


 師弟の絆を他の3人は遠巻きで眺めていた。


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