第508話 脱出

 照らされる太陽の温かみ、風に含まれる潮の香り、踏み締める土の感触。

 かつて無いほどに世界を実感を持って感じる。

 悪意の六識は元の六識と遜色なく機能しているようだ。

 そして俺の周りには悪意の子宮に呑み込まれた大陸の兵士達が転がっているのが見える。俺と一緒に此岸に戻ってきてしまったようだ。

 俺はあれだけの代償を払ったというのに無償で戻ってきた此奴らに理不尽を感じる。いや違うか、これも俺が此岸に戻る代償というわけか。

 此奴らはもう直ぐ目覚めるだろう。元々此奴ら全員を相手に出来ないからこそ人を捨てるようなマネをしなければならなかった。しかし人間に戻ってしまった今はその手すら使えない。だが折角みぞれが命を賭けて俺を連れ戻したんだ、みぞれと俺揃って神狩や美華達の元へ帰らなくては成らない。

 逆に言えばそれ以外はどうでもいい。此奴らが気絶しているうちに止めを刺してしまうべきなんだが、何しろ数が多い。殺しきれるか? 寝ている此方の首を捻っていくだけの単純作業だが時間が掛かる。爆弾や毒ガスでも無い俺は今のうちにみぞれを連れて逃げるのがベターで確実な手のように思える。

 そうだ、みぞれはどうした?

 探せばみぞれは兵士達に交じって気絶していた。

「みぞれ」

 俺は直ぐさまみぞれの傍に駆け寄って抱き起こす。

 呼吸も落ち着いているし顔色もいい。悪意の子宮で力を使い過ぎて疲れて寝ているだけのようだ。

 遊び疲れて眠る子犬のようなあどけない寝顔。見ていて癒やされるし、甘やかしたくなってくる。

「うううっ」

「ちっ」

 周りの兵士達が目覚めだした。もう猶与は無いようだ。みぞれを抱えて急いでこの場から逃げ出さないと。

 みぞれを肩に担いで立ち上がると、視界の先に既に起き上がっていた兵士がいた。逞しい顎髭を生やし服装も地面に寝転がっている連中と違って偉そうだ。

 隊長か?

 隊長に続き周りの兵士達も次々に目覚めだしている。くずくずしていたら包囲されてしまう。

 逃げるしか無いが、逃げる時間を稼ぐためにも俺は隊長に向かって走る。隊長格だ相当の腕前だろうし少なくとも俺よりは強いだろうが、悪意の子宮で嬲られた後で精神にダメージが入って寝起きと同じで頭がまだ鈍いはず。逃走を確実にするためにも指揮官を潰しておく。

 俺がみぞれを担いだまま隊長に向かって行くと、俺に気付いた隊長が両手を上げた。

 変わった構えだな? 熊が威嚇する姿に似ているから中国拳法の象形拳か? 間合いに踏み込んだら振り下ろしが来るのか、寝起きでありながら直ぐに対応するとは俺の目論見は外れたことになる。

 だが今更修正は出来ない。逃げれば背を討たれる。

 覚悟を決めて俺は速度を上げた。

 幸い隊長は熊の如く大きくは無い標準の人間サイズだ。あの構え両手を天に上げているので正中線を晒している、完全攻撃の型。間合いに踏み込み、踏み抜き、一撃で勝負を決めることも出来る。

 スピード勝負。

 歩みを緩めず迫ってくる俺が間合いに踏み込む遙か手前で隊長はガバッと地面に倒れ込み両手と頭を地面に付けた。まるでこのまま後頭部を踏み潰して下さいと言わんばかりだ。どんな意図があるか分からないがその意図ごと踏み潰してやる。

「許して下さい。改心します。罪を償います。貴方に逆らいません。貴方に忠誠を従います。だからもう二度と地獄に墜とさないで下さい」

 隊長は必死に俺に懇願し始めた。

「へあ!?」

 俺は思わず隊長の後頭部を踏み潰す一歩手前で止まってしまった。

「許して下さい。許して下さい。許して下さい」

 必死に頭を地面に付けてる姿は神に縋るかのようであった。

「今まで好きかってしておいて随分と勝手だな」

 悪意の子宮で此奴らの悪行は見た。決して許されることでは無く情で裁くなら処刑以外には無い。

「知らなかったんです。地獄があるなんて」

 そういえば世界救済委員会のエージェント殻が言っていたな。人は所詮罰が無ければ己を律することが出来ない愚かな生き物だと。

「今までお前に殺された者達がそれで許すかな?

 ほら地獄へ誘おうとお前の足を掴んでいるぞ」

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。

 許してくれ許してくれ、償う罪を償います。これからは人の為に生きます。

 だからもう地獄には墜とさないでくれーーーーーーーーーーーーーーーー」

 俺のちょっとしたからかいに恥も外聞も無く醜態を晒し必死に許しを請う。

 こんな大人の姿はみぞれの教育に良くない。いや反面教師としていいのか? 面倒臭いから始末したいが、どうすっかな~。

「隊長なんですかその姿は、それが栄光ある祖国の兵士の姿ですか」

 なんか偉そうな若造が目覚めたようで俺に許しを請うている隊長に怒りを露わにしている。

 なんだ骨のある奴もいるじゃないか。

「リー、お前だって地獄を見ただろう。俺達は間違っていたんだ。罪を悔いるべきなんだ」

「何を言っているんですかっ。あんなの幻覚攻撃に過ぎない。地獄なんて無い」

 この若いのは俺に近い。実に合理的だ。そして我が強い。

 こういう奴の心を折ってこそ、嫌な奴だよな。

「お前あれを体験してそんなことが言えるのか」

 隊長はリーの発言が信じられないと言った顔をしている。

 まあこの場合リーの発言の方が正しい。あれは宗教上語られる地獄では無い、俺がこの島のユガミを利用して生み出した地獄だ。

「栄光ある祖国への忠誠心を思い出して下さい。人民を幸せに導くと語り合ったじゃ無いですか」

「ふっ」

 傍観してしているつもりが思わず失笑してしまった。

「何がおかしい」

「いやいや、お前は本気でそんなこと思って手を汚してきたのか?」

「当たり前だろ」

 リーは真顔で言い切った。

「お前お坊ちゃんだろ。それに対して其方の隊長さんはずっと泥臭く現実的だぞ。

 祖国への忠誠心、人民の幸せ、そんなもの建前で自分の行動は祖国を支配する上級国民の利益の為であることを自覚している。そしてあわよくば自分も上級国民の仲間入りをするか、お零れを貰う事しか考えてねえよ」

「貴様我等を愚弄するか」

 リーは顔を真っ赤にして怒りを俺に向けた。

「あっ別にお前達を卑下しているつもりは無い。そんなの何処の国でも同じだからな」

 五十歩百歩の程度の差でしかない。

「貴様っ我等を腐った西側諸国の豚共と一緒にするな」

「そうは言うが、ならなぜ稼いだ富を民に還元しないでその西側諸国の秘密口座にせっせと送金するんだ?」

「そんなことはしていない」

「いやいやいや、そんなこと公然の秘密だから。みんな知っているから。お前そんなことも知らない馬鹿とでも言うのか、だったら話にならない。だって馬鹿だから」

「仮にそうだとしても、いつか国に蔓延る汚職を一掃し理想国家を実現するための軍資金だ」

「上級国民全員が? だったら上級国民全てが手を取り合って今すぐ実行しろよ。敵は誰なんだよ」

「腐敗した国の上層部だ」

「腐敗した上層部全員を打倒する為に腐敗した上層部全員が軍資金を貯め込んでいるのか。

 それはよくある権力闘争じゃないのか?

 あっ誤解するなよ。別に俺はお前を否定していない。力なき者は力ある者にしゃぶられる。所詮人の世なんてそんなものだからな。

 悪意に塗れて濡れ手に粟

 栄華の道は悪意の導き

 さあ、取り繕った仮面を外し胸に秘めたるお前の悪意を解放・・・」

「辞めてくれ、俺が説得する説得するから、許してやってくれ。此奴はまだ若いんだ、俺と違ってまだ性根が腐ってねえんだ」

 リーの盾になるように隊長が割って入ってきた。何をそんなに俺を恐れるのか、隊長はリーを護ろうと必死に俺に嘆願してくる。

「隊長」

 その滑稽なほどに必死の姿にリーは力が抜けたような顔をする。

「俺はリー君と楽しくお話ししているだけだぜ」

「お願いだ許してやってくれ」

 会話にならねえ~。だがまあいい。それよりも気を取られている内に他の兵士達も起きてきてしまっている。一斉に来られたら対応出来ない。

「さて気付けば随分とお仲間さんも起きてきたようだ。

 おいお前とリー」

「はい」

「なんだ」

「従うか戦うか、意見を統一しろ。その上で俺の元に来い。

 従うなら罪を償わせてやろう。抗うなら今度こそ地獄の底に墜としてやる」

「分かりました」

 隊長が起き上がってきた兵士達の説得を始めたのを見届けて、俺はそのまま悠々と立ち去っていくのであった。

 よし。無事この場から離れられる。うまいこと仲間割れして自滅して欲しいが、それは望み過ぎか。急いで一乃葉達と合流して対応策を練らないとな。

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