第507話 悪意の天敵

 《危ないから下がっていろ》


「はい」

 俺に全幅の信頼をしてしまったみぞれは素直に後方に下がっていく。将来悪い男に騙されないか心配になるが今は騙されていてくれる方が都合が良い。

 六識全てをみぞれに混ぜられ指一本まともに動けない俺に悪意が渦巻く。

 秋の木枯らしで舞う枯れ葉のように悪意は無数の赤黒い破片となり俺を中心に渦を巻いた。

 無数の悪意の破片から口が生まれ 

  うけけえけけけけ

   うひゃひゃはやああああ

    気味の悪い声で俺を嘲笑う。

 無数の悪意の破片から目が生まれ 

  じろじろ

   ぎょろぎょろ

    ねっとりとした視線で俺を侮蔑する。

 そして無数の悪意の破片は俺に襲い掛かってくる。

 シュッ

 悪意の破片が俺を切り裂き朱が走る度に

  もてなさそう

  暗そう

  キモイ

  だから惚れた女を脅して肉奴隷にしたんだって

 切られた傷から悪意の言葉が流れ込んでくる、文字通りの言葉のナイフ。

  男らしく無いな

  人の心が無いのか

  友達いなさそう~

  やだ~臭い

  何か普通の人と違う~

 悪意の破片に切り刻まれ服はとっくに無くなり、晒された素肌は鑢で擦られたように赤く肉が削られていき、心も挽肉のように切り潰されていく。

 そして体も心も十分に痛めつけた頃合を計り、切り刻んでいた無数の悪意の破片は俺にプスプスッと突き刺さり、ぼっと真っ赤に燃えだした。

 一瞬で俺は炎に包まれ火達磨となる。

 はひゅ~、炎が酸素を奪い呼吸困難に陥る。

 そして窒息死ギリギリの苦しさを彷徨いつつ灼熱により皮膚が爛れ肉体が炭化し崩れ落ちていき全身の穴から沸騰した体液が噴き出す。

 灼熱地獄に墜とされた悪人のように苦しんでいる

 ことになるんだろうな。

 俺は状況から客観的に自分の状態を分析していた。


 ???、叫び声どころか苦悶の表情一つしない俺に悪意共が戸惑う。

 俺はこんな風に苦しむことになるんだろうな~と映画でも見ているほどに第三者的視点、いつもの意志の強さで耐えているわけではない。

 平然、泰然、徒然

 悪意の渦に凪の如く

 それもそのはず、みぞれに五識である眼識、耳識、鼻識、舌識、身識を狂わされた俺に煙による呼吸困難や熱による火傷などの身体の異常を識ることはない。

 よって体の危険信号に苦しむことは無い。

 六識たる意識すらみぞれに混ぜられた俺には、過去のトラウマも現代の嘲笑も未来の不安も識ることはない。

 つまり悪意の全てが無駄なのである。


 純粋な悪意は

 金儲けのためでも無く

 権力を握るためでも無く

 憎しみからでも無く

 ただ対象が苦しむ様に愉悦する。だが対象が無反応ではただの空回り、純粋な悪意は存在価値を失う。


 《悔しいか悪意供》

 《俺は六識を狂わされ肉体的にも精神的にも、まともに感じない》

 《くすっ》

 《ただ七識たる末那識による我があるのみ》

 《くっくっく、失礼。しかし笑いを堪えきれない》

 《無様過ぎるぞ悪意》


 笑いが止まらない。これが悪意の愉悦というものか

 かつて悪意に晒され心を壊された俺が、悪意の天敵となったのだ。運命の皮肉が効き過ぎて笑いが止まらない。

 悪意を嘲笑していると俺の切り刻まれ燃えて炭化した肌がみるみるうちに瑞々しさを取り戻していく。

 ここに墜ちた兵士達を見れば分かるが、悪意は獲物を無限に嬲りたい故に死ぬまで痛めつけは肉体を再生させ、再び痛めつけるを繰り返してきた。

 地獄同様、死などという安息は与えない。

 地獄と違い、罪人が罪を償っても終わらない。

 永遠に獲物を苦しめる、それが悪意。その悪意は俺を嬲るために慌てて俺の肉体を必死に再生させようとしているのだろう。


 《無駄無駄無駄》

 《必死になっているようだが、みぞれに狂わされた六識は直せまい》


 みぞれ本人は自覚してないが、みぞれの魔は全知全能の仏に通じる。格が違う。悪意如きで太刀打ち出来るわけが無い。

 矮小たる人間は感覚を六つに分けなければ摂理を理解出来ないが、全知全能たる仏なら分けるわけも無く全てを識る。

 俺も末那識に目覚めはしたが矮小たる我なので折角の六識を統合した全識を使いこなせない。使いこなせれば現在だけで無く過去未来全てを見通せる全知になるというのに残念なことだ。


 《体は治っても六識は狂ったまま。全く別の六識の代わりでも与えられない限り、俺がお前達の存在を識ることはない》

 《俺はお前達を認識しない認識されないのなら存在しないのと同義、さっさと消えろっ鬱陶しい》


 悪意が止まった。

 諦め大人しく消滅するのかと思えば悪意の破片が集まりだした。

 まとまって何をするつもりか知らないが、無駄なことだな。

 集まる悪意は人型を為していき、くっきりと輪郭が為されると、そこには赤黒い素肌を晒す 夢乃 胡蝶 がいた。


 《俺が裏返った存在である夢乃 胡蝶となってどうするつもりだ?》


 悪意の夢乃は大きく上に飛び上がった。

 夢乃は股を大きく開き秘部がラフレシアのようにくぱ~と大きく開き俺に向かってくる。動けない俺は抵抗すること無くそのままズボッと頭を呑み込まれた。

 ぬるぬるぐにゃ~ごくごく

 蛇が卵を丸呑みにするように下の口で俺を頭から呑み込んでいく悪意の夢乃。

 腹がボコッと俺の頭の形に膨らみ、それでも止まること無く呑み込んでいく。やがて、すっぽりと全身を悪意の夢乃に呑み込まれてしまった。

 全てを呑み込むと夢乃の体が空気を抜かれるように縮んでいき中の俺が浮き上がっていき、俺はレオタードでも着たかのように夢乃の皮膚を被ってしまった。

 そして裸で晒される肌に風を感じた。


「これは?」

 自分の手が目で見える。

 六識が戻った?

 悪意は俺が六識が狂っている限り無敵と識り、悪意は俺の混ぜられた六識の代わりに自らが俺の新しい六識となったのだ。

 俺を苦しめたい執念が可能とした業である。

 悪意の眼識

 悪意の耳識

 悪意の鼻識

 悪意の舌識

 悪意の身識

 悪意の意識

 俺は悪意を通して六識を感じるようになった。

 六識が復活すれば当然痛みを感じるようになる。嬉々として悪意は俺を拷問しようと襲い掛かろうとする。

「ありがとう。お前達のおかげでみぞれに負い目を背負わせないで済んだ。

 感謝しか無い」

 俺の嫌みで何でも無い心からの感謝に悪意に頭を下げる。

 みぞれに六識を狂わされたまま地上に戻れば俺は単なる廃人だ。狂わされた六識がいつかは元通りに成るのか成らないのかは誰にも分からないが、確実にみぞれの心に咎を打ち込んでいた。

 これ以上みぞれがくだらないことを背負って苦しむことは無い、まして俺の所為で苦しむことなあってはならない。

 だからこそ俺は心の底から純粋に悪意に感謝を送る。

 悪意が心から純粋に感謝される、これ以上の存在否定は無い。

 消滅するほどのアイデンティティーの揺らぎ。

 悪意は霧散していき白装束を纏い顔に穴がぽっかり空いた少女が表れた。かつて穴に希望を見た少女の成れの果てだ。

 少女は穴の先に星空が広がる顔を向ける。

 絶望と希望は表裏一体。このまま悪意が消えれば希望である少女も消えるだろう。

 そもそもはこの希望の少女に助けを求められたことで始まったんだな。

 ならば一度だけ希望に手を伸ばすとするか。

「さあ、交渉を始めよう」

 俺は少女を通して悪意に提案する。

「悪意共よ。

 俺に仕え力を貸せ。

 俺は四苦八苦待つ地上に戻ろう。

 そして調子に乗って高笑いをしている奴らの足下を掬う嫌な奴になろうじゃ無いか。

 さぞや愉悦を味わえることだろう。

 さあ、俺をお前達の主人と認めろ」

 暫しの沈黙後希望の少女は頷いた。

 ならばと俺はその穴に手を突っ込み希望を掴む。


 そして、気が付けば俺は現実世界に戻っていた。

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