第506話 化け物
雪のようで雪で無く
雨のようで雨で無い
どちらでもなく どちらでもある
雪と雨の境が消えて花のように天に咲き誇る
みぞれ
霧のように空間に漂うにみぞれの意識体から憎しみの声が俺に向かって放たれた。
人が外界を識るための五識が、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識である。
みぞれの魔はこの五識の区別を無くす魔である。
世の中には共感覚という成長過程で完全に分かれる識が未分割のままの者が入る。そういった者は音が色として見えたりする。それでもせいぜい二識が混合するくらいだが、みぞれは五識全ての共感覚、胎児のままの感覚を持って生まれた。
だが体が10代に近づくに連れ体の成長に合わせ五識もそれなりに分化していき、今まで五識の共感覚が普通で合ったみぞれにとっては逆に過度の違和感を感じただろう。そしてその過度の違和感から周りの共通認識を書き換える魔が生まれたのだろう。
みぞれの普通は世間の人間には異常で、世間の人間にとっての異常はみぞれの普通。
人と違う感性を持っていたが故に疎まれた俺に似ている。
「ぐっなんだこれは!??」
これがみぞれの魔なのか、眼識、耳識という二つの識によって別々に感じ脳に送られるべき情報が混じり合ってしまう。
光の波長帯域は360~830x10^-9m、音の波長帯域は0.017~17mと波長の大きさが全く違うので本来なら混じられたところでどちらかがノイズとして塗り潰されてしまうはずが、流石魔の力等しく波が合成され脳に流れていく。
音を見ているのか光景を聞いているのか分からない。
今まで味わったことのない新感覚。俺が胎児ならなんの違和感なく受け入れられただろうが、今の俺は成長し分化が進み定着してしまっている。そんなところに新感覚を投げこまれれば脳は適切な情報処理が出来なくなりバグる。
絵画と音楽のモダンアートだけの世界に迷い込んだ、天才が見れば狂喜する体験。神の天啓を受けたかのような衝撃。麻薬の過剰摂取によるルナティックトリップかのような状態。
軽く使えば認識の誤認程度で済むが、魔の力が上がっていくほどに識は混じり合っていき、下手をすれば感覚に狂わされ発狂する。
みぞれは生まれて初めてといってもいいほどの怒りを抱き、怒りを込めて魔を放っている。
霧靄のようだった意識が怒りを核にみぞれの姿を取り戻しだす。多少靄がかかっているが生まれたままの姿のみぞれが全身を使って怒りを表すのが、怒りの形相のみぞれと怒りの声が合成された波、世界のどんな絵、世界のどんな旋律を超えた怒りのアートが俺の脳に流れ込んで来て、みぞれの怒りに脳が焼き切れそうだ。
これが戦闘中だったら致命的だがみぞれは癇癪を起こした子供に過ぎない。直接殺しに来ることはないと俺は瞼を閉じて耳を塞いだ。だが目で見える光景も耳で聞こえる音も変わらなかった。どうやらみぞれの魔は混ぜた識を直接脳に流し込んでいるようだ。
このままだと俺はみぞれの怒りに焼かれ狂うだろう。
みぞれは本来優しい子だ。これだけ怒り狂っていても泣いて謝れば許してくれる。追撃はしないだろう。
だがまだだ。
「お前が両親に疎まれていたのは当然だな。誰がお前のような化け物を愛する」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ」
怒りが沸点を超え湧き上がり憎しみとなった。
愛憎という人間にとって最も強い執着がみぞれに生まれた。
仏の心に近付いたみぞれだが果無への怒りと憎しみで執着が生まれ業に落ちる。
四苦八苦の現世にみぞれは戻ってくる。
「うわああああああああああああああああああああああああーー。
お前は私の一番触れてはいけないところを侮辱したんだ。
泣いて狂ってしまえーーーーーーーーー」
みぞれの憎しみを込めた渾身の一言が放たれた。
癇癪を越しても優しいみぞれは無意識に加減をしていたが、今はそれも無くなった。
完全に眼識と耳識がみぞれされた。
今までのように目に見えていた光景に音が交じるような感覚ではない。完全に混じってしまった視識と耳識、完全なる別感覚。直識すれば脳が狂う。
「色即是空 空即是色」
「!?」
「ほう。これがみぞれか。
ふむ、心地いい」
「はえ!?」
「その今のもなかなかいいぞ。新感覚でも思う。可愛いぞ」
「なっ何を言っているの。そうか分かった。
今更そんなやせ我慢してお世辞を言っても許さないっ」
「今の怒ったみぞれも心地いいぞ」
「そんなので誤魔化されない。許さない絶対に許さない」
どうやら両親のことに触れたりしたのはみぞれの逆鱗だったようで、本気で俺を憎んでいるようだ。
「良いぜ、とことんやろうじゃないか化け物。退治してやる」
「みぞれみぞれみぞれ、くるっちゃええーーーーーーーーーーー」
五識たる眼識、耳識、鼻識、舌識、身識が混じった。
刹那で脳がぐらっとくる新感覚。
初見だったら危なかったかも知れない。だが二識で対応策が見いだせた以上、数が増えたところで応用に過ぎない。
『色即是空 空即是色』
「またそれかっ」
『ふむ、これも悪くないな。今やみぞれの存在というものを前以上に識ることができる。
これが可愛いという新感覚』
俺は強がりでもなんでもなく平然と自然に言い、みぞれの顔に戸惑いが浮かんだ。
そんなに驚くことか? 対応など分かってしまえば簡単なこと。
今まで積み上げた経験をリセットし、新しい感覚を赤子のようにあるがままに受け入れればいいだけ。
所詮この世は色即是空。不変なものなどない。世界を識る感覚が変わったと言うなら前の感覚に執着することなく新しい感覚を受け入れればいいだけのこと。
『どうした、これで終わりか?
化け物と疎まれていた割にはこの程度とは拍子抜けだな』
「まだ私のことを化け物というかっ。
なら見せてやる」
いよいよ、みぞれすら識らなかった真の魔が識れる。
みぞれが天を指差せば、巨大な雪の結晶が表れた。
世界を識りし六つの花弁
天に舞い
天に咲き誇る
みぞれて世界を識れっ
六花天塵
みぞれが天から腕を振り下ろし俺を指差せば、巨大な雪の結晶が一瞬で砕け散った。
辺り一面がホワイトアウトする。
それは空に無数に舞う無限に細かく砕かれた砕氷。
無限に小さい砕氷は氷なのか気体なのか
どちらでもなく どちらでもある
ただ美しく世界を白く染める
人が外界を識るための五識が、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識である。
これに意識を足したものが六識、六根とも呼ばれ人が識る全てである。
五識が物理世界の現象の今を識るものなら、意識は意根という心の器官をよりどころとして,一切の対象を認識し,推理する心。過去現在未来すら識れる。
この人が識る全ての識、六識が混ざり合った。
外界の情報と心が混じり合う。それは新感覚とか薬でドリップしたとは次元が違う。まさしく人の身で神と等しき高次元体になったようなもの。
人を超え人が理解出来るものでない。
一瞬で廃人となる。
全身から力が抜けた弛緩した状態になり目の焦点が消え真っ白に変わり果てた。
「貴方がいけないのよ。私をここまで追い込むから、貴方が悪いのよ」
みぞれは目の前の真っ白となった果無を前にして自分に言い聞かせるように言う。
「もうこうなったら、壊れた心は元に戻らない。
でもでも、果無さんが悪いんだから。
嬉しかった。信じたのに。だから必死になって助けようとしたのに、あんな酷いことを言うから。今までの人達のように私を怖がって裏切って化け物なんて言うから」
誰が乳臭い餓鬼んちょなんか怖がるか。
「えっ!?」
何を驚いているんだ、乳臭い餓鬼んちょ。
「そっそんな、六識すらみぞれされたはず。なんで意識があるの?」
確かにお前は俺の六識を砕いて混ぜてくれたが、俺の根幹である末那識には及ばなかったな
末那識。妄執たる我を生み出す識と言われている。
大我の対極。我の極地である果無の根源と言っても過言ではない。
「ばっ化け物」
みぞれの顔は恐怖に染まり、知らず後ずさっていた。
もうそこには先程までの悟っていた少女も悪鬼のように荒れ狂う少女もいない。等身大の少女がいるだけだった。
一時は高僧が目指す解脱し大我に到って悟ったというのに、所詮才能だけで到達したものは直ぐに崩れる。みぞれはもう一度大我に到ろうとしても容易には再現できないんだろうな。
折角現世の苦しみ四苦から解放されたのに可哀想なことをした。みぞれには人生経験を積んだ上でもう一度到って貰おう。
酷いな。まあ俺もみぞれに言ったし、これでおあいこだな
「そんな軽く」
ごまんなさいして仲直りしようぜ
「でもでも」
みぞれは六識を砕かれ指一本動かすことの出来なくなった真っ白な俺を恐れるように後退りする。
みぞれはそんなに俺のこと嫌いかい
「私は・・・、私はなんてことをしてしまったの。助けようとしてくれた果無さんになんて酷いことを」
溜め込んだ感情を爆発させ切ったことで理性が戻ってしまえば、己のしでかしたことにみぞれは泣き出しそうになっていた。
気にするな子供の癇癪くらい受け流してこそ大人さ
「でもでも」
生真面目なみぞれが素直に甘えられないのは仕方ないか。
ならば、こうしようみぞれはこれからいっぱい勉強していっぱい遊ぶことで、俺に償えばいい
「なんなのそれ?」
言っただろ。人の好意を踏み躙るのが悪意なら、素直に受け取るのは善意さ
「子供の私でもわかります、それ屁理屈」
みぞれは口を尖らして言う。
少し賢くなったな
「ふんだ」
みぞれは怖ず怖ずと近寄ってくると老人を介護するかのように俺の体を支えた。
「でもあれどうするの?」
みぞれが太極に至って俯瞰して認識することで善意と悪意の境がなくなったが、みぞれが個に戻ったことで悪意は復活し、俺達を逃すまいと襲いかかってくる。
みぞれは先程悪意に弄ばれたことを思い出したのか怯えている。
大丈夫だ。みぞれのおかげで勝てる
「それってどういう意味?」
みぞれは小首を傾げて俺に聞く。そこに疑問はあっても頼り切った安心があった。
まあ、見てなって
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