第496話 敬意

 町から少し離れた高台に青瓦の日本家屋の豪邸があった。こんな離れ小島にこれだけの豪邸を建てられるなんてかなりの財力があったのだろう。

 正門を潜れば見事な日本庭園が広がっている。時間があればゆっくり鑑賞したいところだが、今は松の曲がり具合にわびさびを感じつつ飛び石を踏み締め正面玄関に辿り着く。出迎えは無し俺も訪問の挨拶をしない。そのまま無断で玄関の戸を開けて屋敷の中に入っていく。

 入ると広い土間に黒光りする沓脱ぎ石が置いてあり、上がった直ぐ先には竜の屏風が置いてある。

「本当に昔は栄えていたんだな」

 漁業の中継地としておいしかったということか。富が集まるなら争いが起こるのも必然で、暗部が生まれるのも必然という訳か。

「失礼する」

 俺は非常時だし何かあったときのために靴のまま上がっていこうかと思ったが、今なお塵一つ無く清掃された板張りの床に敬意を称して靴を脱いで上がった。

「さてどっちにいけばいいのか」

 大勢の客を迎えるためか旅館並みの広さがある。下手をすれば結構な時間を取られそうではある。かといって旅館のように案内してくれる女将はいないし案内板も無い。だがまあ相手は隠れているわけじゃ無い。島主様がいるような部屋の位置はだいたい決まっているだろうとガラス戸が開け放たれ風通しと見晴らしがいい板張りの廊下を日本庭園を眺めながら歩いて行くと、奥の方から声が聞こえてきた。

 ドンピシャだな。声の方に行くと見事な仏壇が置かれた奥の部屋に老婆がいた。

 息子が血迷った哀れな島主一族の老婆の名前は宋猪 トメ。ここにも神狩が来ただろうに避難すること無くこんな所で念仏を唱えている。

 一心に念仏を唱えていたようで無視というより俺の存在に気付いてないようだ。祖先に助けでも求めているのか祖先に恨みを晴らさせてくれと呪っているのか。

「逃げなくていいのか?」

「誰だお前は? 招いた覚えは無いぞ」

 俺が少し大きめの声を掛けると迷惑そうな顔でのっそりとこちらを向く。そういえばこの姿で会うのは初めてか。

「俺は警察だ。無断で入ったことは緊急事態ということで許してくれ」

 俺は一礼する。

「ふんっあの若造が何か言っておったな。だが由緒ある島主の一族である宋猪家も息子がこの島を出て行った時に終わりが定められた。儂は最後の島主の一族としてここで終わる」

 トメはこれ以上俺に興味が無いとばからに再び仏壇の方に向き直る。

「まあ老い先短い身だ。死に場所くらい好きに選べばいいさ」

「ふんっならお前は何しに来た?」

 トメは俺が無理矢理避難させるためにでも来たとでも思ったようだが、俺にそんな気はない。

 人はいつか死ぬ。なら死にたい場所で死にたいときに死ぬのも悪くない。

 俺がここに来たのは合理では無い、この島の歴史に敬意を示しただけ。

「お誘いさ。

 どうせなら島主の一族として自らの手でこの島の歴史を精算しないか」

「どういう意味だ?」

 再び俺の見るトメの皺だらけの顔に俺への興味が浮んでいる。

「あんたの息子もやらかしたが、山の中腹にある祀られている穴。あれこそこの島の暗部じゃ無いのか」

「余所者がなぜ知っている?」

 今度は俺に対する驚きと警戒が浮かぶ。

 あの穴の儀式、近代の日本人のメンタルでは行えないだろうな。最近は使われた形跡も無かったことから、多分息子とやらも知らずトメの代で墓場に持っていき風化させてしまうつもりだったのだろう。

 だが当事者が消えても降り積もった人の恨みはそんな事じゃ消えない。だからこそ清算人として俺は呼ばれたというわけだ。

「呼ばれたからな」

「呼ばれた。誰にじゃ」

「この島の希望たる少女にさ」

「何を言っている?」

 トメの顔に困惑が浮かぶ。

「この島の長い暗部の歴史においてただ一人希望を見た少女。まあ言っても分からないだろうし分かって貰う積もりもない。

 どうする? 時間も無いし無理強いはしない。いざとなれば俺一人でやるまで」

「放って置いてもこの島は終わる。今更精算して何になる」

「あんたらは消えるだろうが、この島は新しい歴史を刻もうとしている。だったら旧世代として負債を残さないの先人、いや旧島主の一族の責務じゃ無いのか?」

「・・・」

 沈黙するトメに俺は興味を失った。じっくり待って説得するほど敬老精神は無いし、タイムリミットも近い。俺は敬意で声を掛けただけのこと。

「待てっ」

 立ち去ろうとしたタイミングでトメは俺を呼び止めた。

「ん」

「正装に着替える。それまで待て。

 それくらいの敬意はあるのじゃろ」

「分かったよ。でも時間が無い急いでくれよ」

「なら手伝え」

「俺男だぞ」

「儂から見ればおしめをしているような若造が何を恥ずかしがる。

 さっさと手伝え」

「はいはい。では慎んでお手伝いさせて頂きます」

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