第486話 絶望
人は穴を覗く前に心の中で想像する。
未来が開けると信じて財宝や桃源郷。
良くないことが起こると予感して怪異や地獄。
そして己の心を投影しつつ穴を覗き込む。
最初こそただの穴だったのかも知れない。だが度重なる強烈な負の認識を穴は向けられ続け、穴そのものがユガミとなった。
穴は覗き込む人間によって投影されたものを穴の先の世界に映し出す。
酉祕島において穴を覗くのは未来開けると信じている冒険者ではない。穴に捧げられるのは酉祕島社会の歪みを背負わされた人間、よって恐怖憎しみ悲しみ絶望などの強烈な負の感情を抱えた人間が穴を覗き込むことになる。そんな人間が穴の先に想像するものが希望な訳が無い。穴を覗き込み己の心のままの世界を見せられた人々は、想像した通りの世界に狂振し呑まれ墜ちていく。
もしこの穴に幸福な世界への入口だと感じることが出来た者がいれば幸福に浸れ染まることが出来たのかも知れない。だが島の人間社会の歪みを背負わされて生け贄として墜とされる穴に、そんなことを思えるような人間はほぼいなかったであろう。
故にこのユガミは気が遠くなるほど延々と投影された人々の負の世界を染み込ませ、やがて決壊し溢れれば島を負で呑み込むほどになっていた。
旋律士が挑むならこの島そのものを調律する力が必要となる。それは超一流クラスの旋律士、さもなければ複数人で挑まなければ出来ないことだろう。
この穴の由来を何も知らない俺を絶望させ絶望を投影させるためか、俺はユガミに呼び寄せられ穴に墜ちる寸前に見せられた島の記憶からそのことを知った。
絶望を突き付けてくるユガミだが、このユガミはまず人の心を覗き込む事から始まる。 後の先。
つまり俺の心を発狂させようと攻撃する前に、まずは俺の心を覗き込んでくる。
「俺の心を覗くというなら、俺の心に空いた虚無を見るがいい」
俺は普段理性によって演技し、最近の出会いで覆い被さりだした瘡蓋を剥ぎ取った。
人間には決して開かない心を俺はユガミに心を開いて晒した。
俺が人間社会から弾かれたときに空いた穴
人の心が無限大の可能性を秘めているというなら
空く穴もまた無限に深く昏い
怒りや憎しみとは違う
一切の感情が消え失せた
無限の虚無という特異点の入口
この穴は宇宙すら飲み込みどこまでも墜ちていける。
その穴を覗き込んだ穴は虚無に呑み込まれた。
ふっ、お前が今まで呑み込んできた恐怖、怒り、憎しみ、悲しみは俺の心に空いた無限の虚無を埋めてくれるのか?
まず穴から負が掃除機に吸い込まれるように虚無に吸い込まれていく。
久しく忘れていた感情で心の芯が少し満たされていく。
例え怒り憎しみ恐怖悲しみでも満たされれば俺は普通の人に戻れるのかも知れない。
いつまで経っても俺の心は満たされない、やがて穴という概念そのものも中身と一緒に吸い込まれ出す。
「ん?」
ユガミが俺の虚無から逃げだそうとするのを感じた。感情があるか分からないユガミも虚無に呑み込まれるのは嫌らしい。
穴の入口を閉じ始め俺から離れようとする。
「そう嫌うなよ。覗き込んできたのはお前だぜ。それに虚無もまたいいモノだぜ」
俺の優しい呼びかけに応じることなく逃げようとする穴。
ならば仕方ない。ここで逃がす気はない。
裏返れ
俺は心に空いた穴を起点に心を裏返した。
虚無が裏返り、穴を吸い込むのでなく覆い被さって呑み込んでいく。俺の虚無に呑み込まれ塗り替えられていく中、穴もまた逃げられないと悟ったか決死の反撃に出た。
虚無が裏返って穴を覆い被さりだしていたが、穴もまた自ら裏返って逆に俺の包み返そうとしてきたのだった。
ここで俺は穴の力が弱まったからか、俺は穴の先に物理世界を見る。
下に伸びていく赤黒い鍾乳洞のような空間に幾重にも骸骨が積み重なり、幾重にも重ね積み重なった怨念の地層から染み出す水が壁を伝って地上に上がっていく。
このまま墜ちれば物理的に俺は墜落死する。
つまりここでユガミ退治を成し遂げても俺は墜落死し、名誉の相打ちとなる。
「それは御免被る」
俺は虚無と穴の勝負はもはや心の流れるがままに任し物理世界に目を向けるのであった。
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